08/04/10 12:14:44
実は昭和43年のノーベル文学賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的活動を問題視する声があがり、川端康成へ移行しただけ。
ある審査員が三島を、全共闘の仲間と短絡し、急進左翼に肩入れしているとみなし、かわりに川端を強く推したのである。
また、川端は事前に自分が受賞することを知り、三島へ「今回は私がいただかせてもらいます」と言ったという。
三島の死後、川端は、「あれは三島君がもらうべきだった賞だ」と知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。