22/03/22 10:11:27.81 0.net
「『意味のない』ことをする」とは、一般に、それをしても「何ら
『成果』の見込めない行為をする」ことだろう。「意味のないこと」
を「糞(くそ)」、すなわち、自らの身体を具体化するのに役立たない
ために身体に吸収されることなく、身体から「排外」される「排泄物」
とみなすことは、日本語に限らず他の言語においても普通である。
逆に言えば、「意味のある」こととは、それが自分にとって「身/実(み)」
になることを具体化するのに役立つ、すなわち、「つか(使/仕)へる」
ことであることになる。
これに関して哲学的に検討することがとても重要に思へるのが、
『古事記』に記載される「オオゲツヒメ(大気都比売神)」のエピソード
である。というのも、「オオゲツヒメ」は、食べることの方向性の
常識に反して、あたかも排泄物を排外するかのように自らの身体
から「成果」を出すからである。
>又、食物を大気都比売神に乞ひたまひき。爾に大気都比売、
鼻口及尻より、種種の味物を取り出でて、種種作り具へて進る時に、
速須佐之男命、其の態を立ち伺ひて、穢汚※して奉進ると為ほして、
乃ち其の大宜津比売神を殺したまひき。< 『古事記』