【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【9箱目】at HOBBY
【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【9箱目】 - 暇つぶし2ch205:名無しの愉しみ
18/05/15 19:25:02.02 .net
一石=一両
結城百万石だから毎年百万両
六民四公で毎年六十万両の収入
数千両なんて軽い軽い
なぜ財政難だといえるのか聞きたい

206:名無しの愉しみ
18/05/15 19:35:57.91 .net
徳川家康は晴朝死後、腹心の武将を捕らえて 足の指を1本ずつ切り落とすなどの
拷問にかけたという話だから。何らかの埋蔵をしていたと思っていたんだろうな。

207:名無しの愉しみ
18/05/15 20:30:24.80 .net
徳川時代

208:名無しの愉しみ
18/05/15 21:14:02.09 .net
以前の板みていたけど、赤城山とか探している人今もいるのかな?
ひとつ疑問なんだけどさ。
仮に、赤城山の中腹を埋蔵のために掘ったとするじゃない。当然、地下水の湧水があるよね。
だから、穴が深ければ深いほど、近くに配水するための沢のようなものが作られたはず。
また、穴を埋め戻すよとなったら、当然、土が閉め固まってないよね。
だから、山頂からの地下水が地表に出てくる。
だから、穴を埋め戻す時には、粘土とかで止水しなきゃ、バレバレだよね。
あと、どうやっても、地表が地山とは違ってしまうよね。だから、不自然に小石を敷き詰めたり、
または、木を植えたりして周囲と違った風景にならないように偽装するはず。
あるいは、地下からの湧水を利用してため池みたいなの作るとかさ。
こういう跡地は、今はのこってないのかな?(行ったことないから、分からないけどさ)

209:名無しの愉しみ
18/05/16 00:06:44.32 .net
山の中腹とかを掘って、埋め戻した場合。湧水していると思うんだよね。
いくら何でも、江戸時代の技術では止水は難しいだろうしさ。
ましてや、赤城山のように頂上に湖があって、また標高が高い山の場合はさ。
合理的に考えたら、小さな池みたいにして偽装するとか。
もしくは、取水用の井戸を埋蔵地点の下側に何か所も掘ってさ、水を抜きながら埋めるとか。
その場合は、埋め戻した井戸跡が、何か所も跡となってのころだろうし。
(もっとも、この場合は埋設した地表面が不自然になってのころけどさ。)

210:名無しの愉しみ
18/05/16 00:09:18.35 .net
謎解きとかばかりに、注意が向くけどさ。
こういう不自然な場所を探したほうが間違いないかもな。

211:165
18/05/16 01:22:55.87 .net
>>203さん
結城の越前への国替えは、慶長9年(1604年)で幕末じゃないですよ。
元禄13年(1700年)しばらくは幕府直轄地(天領は、「天」皇の「領」地のことです。)になりますが、
能登の西谷藩から水野家が転付で着て幕末まで続きます。
結城の埋蔵金は、結城氏の国替え(慶長9年(1604年))の時の話なのです。
>>208さん
赤城周辺は、地山が黒土で、その上に赤城山などの火山灰が降り積もった赤土で形成されています。
この赤土は粘土質ですが、地下水を形成するまで水を含みません。(不透水層)
簡単に言うとサンドイッチのパンの部分が赤土で、具の部分(滞水層)が水脈となります。
赤城山の場合、最上部のパンの層(赤土)が数メートル~数十メートルになります。
TBSが掘った穴で水が出たのは2回で、1回目は10m掘って黒土層に当たり出水。2回目は30m掘って黒土層に当たり出水。
なので、>>208さんのご心配は、>>208さんの埋蔵金を埋めるために何m掘る必要があったかが、出水の基準となるかと思います。
また、ご指摘のように、穴を掘るといくら埋め戻しても地表の変化は消えません。
なので、徳川埋蔵金で有名な水野氏初代は、金棒で地面を突き刺して探していました。
標準的な人が出入りできるマンホールの直径は60センチです。直径120センチまであるそうです。
赤城山は広大で、数日たてば雑草も生えるでしょうから、直径120センチの穴であっても探し出すのはかなり困難かと思います。

212:165
18/05/16 01:47:57.33 .net
上記のも書きましたが、赤城山には30メートル掘っても出水しない分厚い赤土層があるわけですから、
数メートル掘って黒土層にあたるもしくは出水のであれば、埋蔵場所に適さないと判断し場所を変更することもできるわけです。
掘れば水が出るわけではなく、滞水層に当たらなければ水が出ないわけです。(降雨時の周りからの水の染み出しを除く)
ちなみに同じ関東ローム層の関東では、温泉を掘るのに深いところで深度1,200m、浅いところで深度200mと言われています。
海やや川の近くは、滞水層の露出部分ですから、浅い深度で水が出ます。

213:名無しの愉しみ
18/05/16 08:19:09.32 .net
>>211 165さん
ごく一般的な土木工事の場合、関東ローム層であっても途中に薄い砂や石の層があり、
地下水が流れている場合もございます。
ですので、まあ結局はケースバイケースですけど、一概には言えないのかなと。
まあ、テレビのような深い場所までは掘り進んでないという証明にはなりますが。
(あれは、当時テレビで見ていても深すぎるなーと。)
以前から疑問なんですけど、穴を掘って埋めたと方々で聞きますが、人数・時間が必要になりますよね。
だから、自分は窪地とか沢みたいな場所を選んで、そこを埋設したのかなとも思っています。
この場合ですと、掘るのは手間が省けますし人員も少なくできますから。
(ただし、周囲と異なる風景になるため偽装は大事になりますが。)

214:名無しの愉しみ
18/05/16 09:04:05.67 .net
偽装工作が必要な場合(この場合は、武士団の開墾作業)
どうしても、別な人員が埋蔵していたはず。
(全員が埋蔵作業していたとは考えにくいかなと。)
すると、少人数で埋蔵なわけだから、手間が少ない方法出なかったかと考えました。
どの発掘者とかの自説を見ても、深い穴を掘り埋蔵したとしか思考されてないから、
それとは逆に、少人数でこういう仕事をする場合、どれが効率的かを考えてみた次第です。

215:165
18/05/16 18:54:55.59 .net
>>213さん
薄い砂や石の層がサンドイッチの具の部分で、滞水層になります。
地形などの要因で赤土層の深さが変わってくるのと、噴石(赤土は灰)の含有率でも変わってくることから、
赤城山のどこを掘っても30m掘らないと水が出ないということはありません。
このことから、サンドイッチを横にしたパンの最上部に例えで、数メートル~数十メートルと書いたわけです。
テレビでは、たまたま10m下で帯水層に当たる赤土層と30m下で当たる2箇所をやっただけです。
次に穴ですが、>>213さんのおっしゃる通り、「沢みたいな場所を選んで」崖部分を横に掘れば上から掘るよりは楽です。
私のサイトでご紹介している八重野氏が登場したフジテレビの番組でも竪堀の大変さを解説しています。(5時間で2m)
実は、この大変さと後々の苦労を古墳が教えてくれています。
古墳時代前期の前方後円墳等は竪穴式石室でしたが、後期は横穴式石室になりました。
横穴式の利点は、入り口の蓋を取れば中に入れる点です。竪穴式だと石蓋を破壊するか持ち上げないと中に入れないのです。
後日、埋蔵金を取り出そうとした場合、古墳と同じで横穴式のほうが大掛かりな作業が必要ないからです。
古墳時代の横穴は、後日にお妃様などが死んだ後に追加で入れるために便利だった。

216:165
18/05/16 19:13:57.12 .net
話が前後しますが、沢や池、川はだめです。洪水時に流されてしまいます。
また、地形が変わる可能性があるためです。
これは、畠山氏、八重野氏もだめと言っています。
これまた私のサイトのTBSの林修氏が手掛けた三枝茂三郎の発掘場所は、
>>213さんと同じ考えで、沢の崖を横から掘っています。崖になんか怪しい点があったのでしょう。
それと、深い穴ではないのです。
水野家の話に登場する児玉某が、水野家初代に教えた深さが刀を振り上げた深さ(約3m)でした。
私のサイトのTBSの1994年放送の番組の解説でご紹介しています。(石坂浩二が手を挙げているシーン)
上記に書いた八重野氏が手掘りで掘った深さが三人がかりで5時間2mとなると約7~8時間で3mになります。
埋蔵金は7箇所に埋蔵されているというのが通説ですから、同時に作業を開始すれば、三人×7箇所=21人になります。
採掘道具こそ時代の違いがありますので、朝から夕方までの時間で埋め戻しも完了すると思います。
1グループ作業員3名、監視2名であれば、延べ35人で作業が完了ですね。

217:名無しの愉しみ
18/05/16 20:05:16.94 .net
>>216さん 116さんへ
ここから先は、推理になってしまうんだけど。
幕末にさ、赤城山で武士による開墾があったよと。
(偽装工作でも、人の目を紛らわせるためには実際に行っているはず。)
昔は、今と違い普通の農民とかでも山の中から生活物資(薪とか、屋根の草とか、山菜とか)
を採取していたから、今と違い人の目もあった。
それで、武士団はちゃんと人を2手に分けて、開墾チーム・埋蔵チームで作業したと。
江戸時代が終わって、武士の世が終わりますよね。すると、武士は仕事がない人も多い。
そういう時代だから、埋蔵を何にも知らない開墾チームの人は、ここに戻ってきたと思うんだ。
農民としてね。
だって、開墾された土地が入手できるんだから。
(埋蔵に関しては、この幕末は殺人とかは無かったと思う。だって、もしあったら内緒に出来ないから。)
今の、赤城山で水野さんが発掘している集落とかには、この戻ってきた元開墾チームの家はあるのかなー?
もし、無かったとしたら、そういう観点から言うと不自然な気がします。
(あるいは、他の武士団による開墾場所が本当の埋蔵場所の近くかも。)

218:名無しの愉しみ
18/05/16 20:09:07.06 .net
続き。
自分は、単なる興味本位の目線しか持ってません。
ただ、埋蔵がされている場合、開墾が絶対に不可欠だと思う。
だって、仮設で小屋とか建てて作業したのだろうし、人数だってチームを分ける場合
ある程度の人員が必要。
何もない山の中、絶対に物資の輸送(必要物資・埋蔵金含む)とか人の目をごまかさなきゃですから。
こういう、他人の目をごまかす場合は、ある程度当時としては規模が大きな開墾地が無きゃ変だなーと。

219:165
18/05/16 20:33:52.92 .net
>>218さん
興味本位で十分です。私も興味本位でやっていますw
山奥とはいえ、人目があったでしょう。
畠山氏の記述では開墾と書いてありますが、あてになりません。
元開墾チームですかー 一軒一軒聞いてみないとわからないですね。
郷土史を読んでも元開墾チームのことは書いてありません。

220:名無しの愉しみ
18/05/16 20:39:53.02 .net
>>219 165さんへ
仮にの話ですけど、例えば様々な物で場所が特定できそうだとしますとね。
(古文書とか銅板とか、その他もろもろ)
その場所の近くに、江戸時代頃から開墾された場所があるかどうかが自分の推理では
大事な事かと思うんですよ。
だって、人の目を遮るのなら開墾作業とか必要ですもの。
(重いものをもってだ、山の中道なき道を進んで、埋蔵するのはリスクがありすぎるなと。)

221:165
18/05/16 20:46:35.52 .net
一度、見てきてはいかがですか?
私の動機もテレビでやった場所をこの目で見てみたいでしたw
私はいつもオートバイですが、
電車で敷島駅まで行って、タクシーで回ったというお人もいますよw
水野家、三枝氏の場所、双永寺、十二社であればGooglemapでも見つかります。
渋川市 赤城行政センターに行けば、1万分の1の地図も買えます。350円だったかな。
まぁ地図を買ったら最後で、抜け出せなくなりますw

222:名無しの愉しみ
18/05/16 20:54:56.42 .net
>>221 165さんへ
私は関東在住なもので、近く見に行きますわ。
普段は、中久喜とかの城跡巡りですから(笑)
うーん、秘文とか物的証拠とかよりも、自分は開墾地の近く
かつ緩やかな崖などの地形が先なのかと。
行ってみてから、現地の郷土資料読み漁りますわ。

223:165
18/05/16 21:11:08.74 .net
あれ?中久喜好きさんだったの?w
今の時期ちょうどいいですよ。
私のほうは、今週末も雨のようなので、結城はお預けです。

224:名無しの愉しみ
18/05/16 21:20:21.23 .net
>>223 165さんへ
中久喜好きのものです。
だってさ、誰も書き込まないんだもの。なんか、寂しさ感じてしまって。
結城は、武田と違い安全だけは恵まれた場所ですよ。
危険な地形とかないし。
真面目な話、徳川は最初は赤城山の南側かと思ってました。あのあたりは、明治時代
とかまで不毛の地でしたから。(たしか、開発されたのが大正時代とか。)
ただ、偽装工作と今でいうキャンプ拠点が無いんですよ。たとえ不毛の地だとしても
自分は、拠点が無いと埋蔵という工事が出来ないなと。
自分の考えでは、拠点を作らなければ、当時山中での活動は出来なかったと思ってます。
それで、開墾がセットになっているなと考えた次第です。

225:名無しの愉しみ
18/05/17 15:54:19.29 .net
なんかスゴイ


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