世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その2at WHIS
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その2 - 暇つぶし2ch247:世界@名無史さん
11/09/30 22:26:22.05 0
ウィキペディアとかに載ってなくて、あまり知られていない日本軍と明軍の戦いをまとめてみた。
ソースは壬辰戦乱史(の、下巻の参考文献原文)。


・第四次慶州城戦闘(1593年8月6日)
西生浦の日本軍数千人が突如として慶州を襲撃し、防衛にあたった明・朝鮮軍は大敗した。
なおも追撃してくる日本軍に明軍参将・駱尚志が両手に矛戟を抱えて飛び込み、たちまち四人を突き伏せた。
これを見た日本軍は大いに驚き、深追いをやめて撤退していった。
明・朝鮮軍の戦死者は500人を超え、明将の一人が戦死した(名前は不明)。
日本軍の目的は連合軍への牽制だったのか、それとも単なる略奪だったのか不明。
明・朝鮮側の記録を見る限りかなり規模の大きい戦い。

・安康戦闘(1593年12月2日)
西生浦の加藤清正の手勢が安康で略奪を働き、明・朝鮮軍との間で何度か小競り合いが行われた。
新人物往来社の「加藤清正のすべて」の年表にある「安康において明将劉綎の大軍に大勝を博す」とはこの戦いを指すようだ。
明・朝鮮側の記録を見る限り単なる小競り合いに過ぎず、大軍でも大勝でもない。

・報恩付近戦闘(1597年9月20日)
朝鮮軍が霧の中から加藤清正の軍勢に矢を射かけ、数十人を倒した。清正は霧の向こうに伏兵があると考え追撃しなかった。
この後、退却していく加藤勢を参将・彭校徳らの明軍が青山県のあたりで追撃したという。どちらも取るに足らない小競り合い。
なおこの戦い、無敵の加藤清正軍を朝鮮軍が大破した戦い(笑)として朝鮮寄りの書籍で紹介されることがある。

・三嘉付近戦闘(1598年3月24日)
三嘉付近で略奪を働いていた島津勢と明・朝鮮軍の間で行われた小競り合い。

・茂朱の戦い(1598年4月8日)
沙斥駅付近で起きた島津勢と明・朝鮮軍の間の小競り合い。
こんな規模の小さい戦闘で明軍の副総兵・李寧が戦死してしまった。島津勢の偽装退却に誘き出され、包囲されたのだという。
なお、泗川の戦いで戦死した参将の李寧とは同姓同名の別人。


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