12/06/17 11:13:52.59 0
>>643
コプト教とギリシャ正教は、確かに仲が非常に悪い。
ヘラクレイオス帝のエジプト陥落時にはコプト教徒は、
侵攻前からイスラム側に通じていてエジプト侵攻を手助けしてる。
そういう意味では、東ローマによるエジプト奪回後は、イスラム教徒よりもコプト教
とギリシャ正教のトラブルがエジプトの治安維持の障害になりかねない。
だがギリシャ正教は、皇帝教皇主義なので皇帝の方針次第でコプト教徒とのトラブル回避の可能性も大きい。
>>644
自分の意志で前線にロマノス2世に出て来れば違うだろ。ロマノス2世がヤル気が無いから
ニケフォロス・フォカスとヨハネス・ツィミスケスが軍の指揮を取らざるを得ない面もある。
>>645
マラズギルト(マラーズギルド)の戦いだっけ?東ローマ軍の方が数が多かったのに…
この戦いに東ローマが負ける事で十字軍のもとになったし、東ローマ弱体化の第一歩にもなった。
しかも東ローマは、身内の裏切りで負けた。既に帝権が弱体化していたのかね?
史実ではセルジューク朝は、エジプトは占領していない(出来なかった?)が、シリアやパレスティナには侵攻してきた。
セルジューク朝が、バシレイオス2世の死後なので、東ローマとセルジューク朝の力関係がパラレルになっている感じ。
東ローマとしては、海軍の強化やギリシャの火やロケット砲などの重火器や西欧の傭兵をかき集めてシリア-パレスティナ間の
防衛線を固めるしかないだろう。
マラズギルト(マラーズギルド)の戦いの様にならない為に傭兵や士気の低い軍団や裏切りそうな奴は事前に野戦軍から外すべき。