12/09/24 17:33:10.18 9QF362er
ここで問題になるのは、「個人補償」という言葉に関する感傷的誤解である。
ドイツは国家賠償を済ませた後で、それでは足りないからより手厚い、
心のこもった人道的措置として、「個人補償」をさらに重ねているという前提で
すべてが語られ、そのためドイツの償いの仕方が礼讃されている。
とすると日本はまだ本当の補償をしていないのではないか、という不安と劣等感
に襲われてしまう。近代戦争史では敗戦国が、戦勝国に「国家賠償」を支払うのが
普通であり、戦勝国の被害者ひとりひとりに、個別に「国家賠償」をしたことは
なく、まずここに大きな事実誤認がある。
ところで、ドイツはまだ国家賠償をしていない。これは東西分割国家であった
からであるが、さらに、旧交戦国のどの国とも、講和条約を結んでいない。
よく考えれば驚くべき事実である。
ドイツの巨額補償は、賠償ではなくナチ犯罪に対する「政治上の責任」の遂行である。
したがって、どこまでも「個人」の次元で処理されるべきものであり、「集団の罪」
を認めない歴代ドイツ政府の立場は、ここでこそ貫かなければならない。
ナチ犯罪に、ドイツ国家は、「道徳上の責任」を決して負わないし、
あくまでも個人の犯罪の集積であって、償いは、どこまでも「個人」に対して
なされるべきである。ただし、ドイツ国家が「政治上の責任」を果たすために、
財政負担をするという理屈ではある。
個人補償は、そのような背景から出てきた例外措置で日本人が感傷的に誤解した
ような、より手厚い心のこもった、人道的措置ではない。戦後処理に個人補償など
考えられないことであり、ドイツのこの例が、おそらく歴史上最初であり最後であろう。
サンフランシスコ講和条約では、対日無償賠償政策をとるアメリカの強い圧力で連合国のほとんどが、賠償請求権を放棄し、日本政府が、講和条約の規定に基づいて、
賠償支払いの要求に応じたのは、フィリピン、インドネシア、ビルマ、南ベトナム
の4カ国となった。日本は、とどこおりなく、すべてを処理した。
韓国とは、戦争をしていないから、賠償も支払っていない。ただ日本側が財産請求を放棄し
なおかつ3億ドルの無償供与と、2億ドルの低利貸付の協定を結んだ。
今なら安いが当時の5億ドルは当時、日本国家予算(一般会計)の20分の1である。