12/03/07 17:32:19.74
15年前、交換留学に来た同胞学生に尋ねた。「韓国では何が最も印象的か」「自動車がみんな
似ている」「…」ショックだった。私は一度もそう考えたことはなかった。その言葉を聞いて
路上を走る車をつくづくと観察したことを思い出す。もちろん今は違う。自動車の多様性指数
はその間、かなり高まった。
他の文化を経験することは、自らを省みることにつながる。外国出張でいつも感じるのは、今
でも韓国社会は過度に画一的という事実だ。数日前はハワイへ出張に行った。美しいビーチが
多い有名観光地であるため、ビキニファッションもさまざまだ。しかしそのビーチで最も印象
的だった光景は、その水着の個性ほどに多様な人々の体つきだった。スリムな人(男女に関係
なく)だけが体を露出して海を楽しむわけではない。韓国ではやや恥ずかしく感じて海辺でも
シャツなどを着ているが、そこではみんな自由を楽しんでいた。なぜこういう違いが生じるのか。
もちろん、西洋人は韓国人に比べてより個人主義的、独立的に思考するということはよく知ら
れている。韓国の職場の会食風景を考えてみよう。そこではすでにメニューは誰かによって一
括で注文されている。時間を節約しようという意味もあるだろうが、「選択の多様性」と遠ざ
ける文化も無関係でない。このようにあらかじめ準備された会食の席でなければどうか。部長
がキムチチゲを注文すると、課長も「私も同じ」と続く。すこし変わった新入社員でも、メニ
ューをしばらく眺めて「何でもかまいません」と言う。ハンバーガーやオムレツも自分の好み
の材料を選択して食べる西洋人の立場では理解しがたい注文方法だ。自分のお金を出して食べ
るのに「何でもいい」とは…。
◇教育制度、軍隊、マンション、そして画一化
韓国人は本当に多様性を不便に感じる人たちだ。大勢に従わないことに対する恐れと、変わった
行動で烙印が押されることの心配が少なくない社会だ。このため西洋人に比べて物や商品の多様
性だけでなく、方法や制度の多様性にも負担を感じる。しかし最も負担なのは考えの多様性だ。
私はこれに関連して「考えの多様性(Idea-Diversity)」または「I-diversity」
という名前をつけたい。それは個人が同じ現象に対してどれほど多様な考えを出せるか、そして
集団全体的にそういう考えの数がどれほど多いかを表す指数だ。たとえばビキニの着用につい
て、コーラ瓶スタイルの若い女性だけがその資格があるという考えと、どんな体つきの人でも
ビキニを着る自由があるという考え、さらに体型にいかなる偏見もない考えは、考えの多様性
の指数面で大きな差がある。この場合は後者であるほど指数が高い。
こうした観点で見ると、韓国社会の考えの多様性指数は高くない。集団主義的で相互依存的な
東アジア文化を遺産として譲り受けたためだけではない。大学入試関門の前にその個性あふれる
子どもたちを成績の順に並べる教育制度は考えの多様性の主敵だ。考えの多様性を噴出させる
年齢の青年を軍隊に送る状況は、南北対立状況でやむを得ないことではあるが、国家の考えの
多様性指数を落とす主要因だ。狭い国土に多くの住民を収容するために活用されてきたマンシ
ョンは、日常で考えの多様性を停滞させる外部環境要因でもある。同じような空間を毎日同じ
ように出入りする私たちの脳に、新しい考えが湧き出てくるはずはない。
>>2へ続きます
中央日報 2012/03/07
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