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ジャーナリストの山藤章一郎氏による、「歌謡曲 林住期」。団塊世代を代表する歌手、森進一が
鹿児島から上京して作曲家・チャーリー石黒のもとに弟子入りした。続けて、森が流行歌手として
活躍した時代のことをジャーナリスト・鳥越俊太郎氏が訊く。
1970年から10年間のレコード大賞受賞曲は、鳥越氏が冒頭で指摘した〈日本庶民共有の財産〉を生んだと
鳥越氏は指摘する。そこには「今日でお別れ」「また逢う日まで」「喝采」「夜空」「襟裳岬」「シクラメンのかほり」
「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」「魅せられて」などがあった。
─最前線で歌っていて歌謡曲の時代を実感していましたか。
「もうガンガン来ましたね。後ろ向いてるひまないですから。追い立てられて夢中で。
でもね、いまはみんなにチヤホヤされていい気分だけど、歌の世界なんて長く続くもんじゃないと、
醒めた目が常にあったんです。30過ぎた流行歌手なんていない、走れるうちは走ろうと思ってるけど、
いつも不安で。鹿児島に帰って寿司の板前になろうって。お寿司好きだから」
─30過ぎたら、終わり?
「そうです。だから事務所を独立しました。このままじゃ敷かれた線路を走るだけで、
自分の先は見えてる。ただ歌しか知らない。ぼくらの世代であの時代に、独立や起業をした人は
多くいましたよ。通じるものがあったのかな。歌の世界には、業界の人がいる。
でもぼくは普通の人と仕事をしようと思ったんです。普通がいいと」(>>2以降に続きます)
ソース:NEWSポストセブン
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