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ナベツネの経歴凄すぎワロタwwwwwwwwwww
1926年 現在の東京都杉並区に生まれる
1939年 開成中学校に入学
1943年 東京高等学校に編入学。網野善彦、氏家齊一郎と知り合う
1945年 東京帝国大学文学部に入学。同年7月に陸軍砲兵連隊に入営するも、終戦の2日前に除隊
1946年 天皇制への嫌悪から日本共産党に入党
1949年 東京大学を卒業して東京大学大学院に入学する
1950年 読売新聞に入社。週刊読売に配属される。高校時代からの学友である氏家齊一郎を誘う
1952年 日本共産党山村工作隊を取材するため奥多摩のアジトに潜入し、拘束される。無事解放されるが、このとき隊のリーダーだったのが、『生きることの意味』の著者、高史明であった。このスクープが認められて政治部に異動。
1954年 結婚。大野伴睦の番記者に。
1956年 中曽根康弘と知り合う
1958年 児玉誉士夫と知り合う。初の著作『派閥』を上梓
1959年 中曽根康弘らと「サイエンティフィック・ポリティクス研究会を始め、6月には中曽根康弘の岸改造内閣への入閣に尽力
1960年 安保反対の全学連デモが国会に突入し、その際、東京大学の樺美智子が死亡するが、これに対する内閣声明を執筆
1964年 大野伴睦の死去に伴い、船田中の番記者になる
1968年 1月、政治部次長。12月、ワシントン支局長に就任
1972年 1月、ワシントンでの任務を終えて、帰国。編集局参与を経て、同年10月に解説部長
1975年 政治部長兼編集局次長
1976年 緒方克行が『権力の陰謀』で、九頭竜ダム補償問題での児玉誉士夫と渡邉の関係を執筆
1977年 編集局総務(局長待遇)
1979年 取締役論説委員長。
1983年 専務取締役論説委員長
1985年 専務取締役主筆論説委員長
1987年 筆頭副社長主筆
1991年 社長に就任。日本相撲協会の諮問機関横綱審議委員会委員に就任
1992年 前立腺癌の治療のため、前立腺の摘出手術を受ける
1996年 読売ジャイアンツのオーナーに就任
1999年 日本新聞協会会長。経営難に陥った「中央公論社」の営業権を買収し、中央公論新社を設立
2000年 中央公論新社から『渡邉恒雄回顧録』を出版
2003年 日本新聞協会会長を任期満了に伴い退任