10/11/10 15:54:00
応永二十五年(1418)正月、義持はついに、義嗣を殺害させる。
この事件はこれで幕引きされた、誰もがそう思った。
だが、富樫満成の追求はとまらない。
6月、義嗣の陰謀に加わったものとして、畠山満家の弟、満則、山名時熙、土岐康政らの
名前が上がった。大規模な疑獄の全容が、暴かれようとしていた。
幕府は、強烈な緊張化に置かれた…、
ここで、この事件は急展開を迎える。
11月、将軍義持の下に、富樫満成こそがこの事件の黒幕である。そう言う直訴があった。
これに、義持は満成の逮捕を命じる。富樫満成は失脚したのだ。
満成は高野山に逃れるが、義持の命を受けた畠山満家の手のものに殺される。
こうして、この巨大な疑獄事件は幕を閉じた。
おそらく義持と畠山満家との間に、「手打ち」があったのだろう。幕府の動揺も、これにて治まった。
富樫満成は幕政の安定のための、生贄にされたのだ。
「知りすぎた男」の、悲劇の物語。
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)