10/10/14 00:21:57
郷里の銘菓の紹介文より。
時は南北朝の争乱の最中、南朝の長慶天皇は、現在の岩手・青森県境付近にやってきていた。
南朝方の武将の中にも北朝に下るものが少なくないこの頃、はるばるこんなところまで流れ着いてしまったのだ。
身の回りのものも十分でない中、当然食事にも事欠く。
困っていたところ、家臣の赤松何某という者がそば粉と胡麻を練り、兜に塗りつけて焼いて差し出し、
一同はそれを食べて空腹を凌いだという。
他にも諸説あるらしいですが、地元で一番有名なのがこの説。
今はそば粉ではなく小麦粉を使うのが主流になっている、南部煎餅の始まりの話。