09/08/13 18:41:04 UFP980VNO
>>604
新快速は、まだ彦根まで行かず、1時間当たり京都2本、草津1本、堅田1本だった。
なお、利用状況だが、昼間はビジネス客がそれなりにあり、京阪特急のように2人掛けを1人で占拠することはできず、相席になるくらいの利用はあった。
1986年11月改正で、新快速外側線運行と合わせて実施された各駅停車運行区間変更で、高槻-神戸間は15分に2本来るようになったのは大きかったと思う。
阪急も89年から見直しをはじめていた(平日昼間時の急行10分間隔実施)から、がんばってはいたと思う。