09/07/13 23:55:59 Yqfg8RJn0
情報戦もやってるけど内部の相互対立も凄まじい。
スターリンとトロツキーの闘争は凄かった。
たしか、トロツキーがメキシコで脳天にピッケルを打ち込まれたのが1940年の8月かな。
スターリンの執念だった。するとナチスドイツがその翌年の6月に条約を一方的に破棄してソ連領内に侵攻開始。
これはトロツキー暗殺への報復かも知れない。だって、暗殺直後の12月外相モロトフはリッペンドープやヒトラーと
ドイツで会談しているのだからね。スターリンにすれば同盟国ドイツから攻撃を受けようとは思いもよらなかっただろう。
これに関し、メーソンリーのチャーチル首相は戦後、第二次大戦回顧録で「世にも間抜けな人たち」とソ連首脳にあきれ返って
いる。おれの想像ではこの時の鬱憤がスターリンをして1945年のワルシャワ蜂起の際の突入見送り、ゲットーのユダヤ人の
見殺しに繋がったのだと思う。ヒトラーの矛先をソ連に向けたのが国際ユダヤの第四インターシンパであるとスターリンは考えて
いたのかも知れない。その報復のためワルシャワ蜂起への救援を拒否したのだ。
おれの勘では、スターリンのトロツキー暗殺が、独ソ戦開戦を数年早めたのだと思う。