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分布状況に、奈良時代における大和朝廷の影響力の範囲や多寡が如実に出ている。
群馬 ( 上野 ) や埼玉 ( 武蔵 ) は、東国支配の拠点だったのだ。
北海道や沖縄、江戸時代までは海だった東京や大阪の埋立地 ( 東京の芝浦や港南、大阪の南港南 ) に
同和事業による保護区が存在するのは、明治以降に屠場が造られたためで、
それに伴い被差別部落民も移転し、新たな被差別部落が形成された。
特に北海道では、農業移民というかたちで、全国各地の部落から移民をしている。
農業移民が本格的に始まったのは明治20年代からだが、
そのころから西日本の奈良、滋賀、広島、岡山、北陸の石川、富山、
あるいは、群馬や東京の練馬の被差別部落から移り住んだという記録が残っている。
なお、東北に被差別部落が少ないのは、
飢饉の影響で存続維持が困難だったから、という説が有力である。