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ルーテル派は、16世紀ドイツの宗教改革者マルチン・ルーテル(ルター)の
流れを汲むものです。
1508年のある日、彼は新約聖書ローマ人への手紙を読んでいる時、
「義人は信仰によって生きる」(1・17)という聖句に接しました。
そして突如その意味を悟り、平安を得たのです。
救いは、キリストを通して神を信じることによって得られるのであって、
教会の儀式の執行や秘跡(礼典)や戒律の遵守によって
得られるものではないことを、ルーテルは発見しました。
ルーテルは、1515年に、ローマ・カトリック教会に対する
「九五か条の質問状」を、ヴィッテンベルク教会の扉にはりつけました。
その印刷された写しは、全ドイツの多くの人々から求められ、熱狂的支持を受けました。
ルーテルは、教皇からの圧迫を受けましたが屈せず、1519年ライプチヒ討論で
教皇の権威を否定しました。
また20年には、カトリックからの破門状を公衆の面前で焼却して決意を示しました
ルーテルの起こした宗教改革の炎は、やがてヨーロッパ全体を燃え上がらせる
宗教改革の火となっていったのです。
ルーテルの業績は、プロテスタントのあらゆる教派から、偉大なものとして
賞賛されています。
しかし、彼にも欠点がなかったわけではありません。
ルーテルは残念なことに、熱烈な反ユダヤ主義者でした。
彼はユダヤ人を誤解していたのです。しかし今日、ルーテル教会は、
彼の反ユダヤ主義を継承していません。
ルーテル派だからといってルーテルの思想のすべてを継承するわけではありません。
ルーテルの残した遺産の最も大きなものは、プロテスト(抗議)の精神です。