20/02/16 23:19:08 cUZbn3uA.net
>>146
昭和初期のことです。
日本は、稲塚権次郎博士が、従来の品種の5倍もの収量のある小麦(農林10号)を
Chinaに持ち込み、終戦後もまる二年Chinaにとどまって、その栽培指導をし続けました。
これは蒋介石の依頼があってのことです。
Chinaでは、日本からもたらされた新種の小麦によって、なるほど小麦の収量はChina全土で約3倍になりました。
「これで、みんなが腹いっぱい食えるようになる」というのは、日本人の甘い見通しでした。
Chinaでは小麦の収量が増えた分、そのまま人口が増えたのです。
その他、台湾満州樺太や多数のアジアの国々発展の為に
尽力した日本人の偉業を
後追い真似るだけのハクジン=シナコリアンという汚物