23/10/28 16:44:37.71 toAHtXKU.net
江戸時代の暦はカレンダーの部分(天象)は幕府側、
吉凶 方位(暦注)は朝廷側が作成していた。
明から、もたらされた暦は数百年修正される事もなかった為、
日食、月食が全く合致せず(当時の暦は日食と月食が記載されていた)
それは幕府、朝廷の権威を落とす事とみなされた。
江戸時代初期 囲碁棋士渋川晴美が明由来の暦を日本仕様に修正して、
若干の精度は上がるが完璧には程遠いものであった。
この時 幕府に天文方が組織され、正確な暦作りへの長い道のりが始まった。
(つづく)
天下を治めるのに、天体の法則、動きくらいは把握してないと
民衆からの信頼、尊敬を欠く一因になりえたという訳やな。
むむむ、お互いを太陽と月に例えて皆の衆を呆れさせ、朝廷、
更にはお国の権威、品格を落としまくる不届き者が2名
いや、他にもおったのう。