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「亡き息子とロンドン走る」 山本さんパラ五輪代表に内定
20歳のとき交通事故で下半身がまひ。以来、車いす陸上に取り組んだ。
2008年の北京パラリンピックは男子マラソンで6位入賞し、ロンドンは優勝を目指した。
しかし、昨年2月9日、高校1年だった寛大さんが同級生と飲酒運転の車にはねられた。一時は何も考えられなくなった。
事故から半月後、東京マラソンに出場した。東京は寛大さんが修学旅行で行くのを楽しみにしていた場所。
「寛大と東京を散歩しよう」との思いで走りきり、3位になった。
それ以来、山本さんは心の中の息子とレースを走る。車輪をこぎ続けて疲れたとき、自分に声を掛ける。
「まだだ。もう一こぎ。死んだ寛大は何もできんちゃけん」
昨年10月のマラソン選考会は日本人6位に終わったものの、5000メートルの最終選考会は得意の先行スタイルで完勝。
「やったぞ。1番を取ったぞ」。いつものように寛大さんに呼び掛けた。
代表選手の正式発表は7月3日の予定。同9日には、18歳を迎えるはずだった寛大さんの誕生日が控える。
「家族で、ロンドン決定の報告パーティーをしようかな」。妻の美也子さん(43)とともに遺影を見つめた。
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)
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この仏壇て創価?