25/01/16 13:54:17.45 BvdkFuVG.net
道元禅師が身心脱落で体験されたように、「今」の自覚が必要である。
一旦「今」の自覚がないと只がわかりませんからね。
そこから、真の只に徹する修行が始まります。
単を練り続けた結果が只です。
単とは一つです。
一つの事を練り続ける、つまり息なら息だけを練ります。
これが単を練るです。
歩くときは歩くだけをするのが動中の工夫です。
単を練ると言う点においては、坐禅と動中と全く同じです。
何もしてない時は、息を練ってればいいです。
禅の極意とは、単、只、ひたすらにあればよい。
只、ひたすらに単を練ってればいいです。
※前スレ
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