16/10/25 20:44:41.64 /7YjMmjm.net
比丘たちよ、その場所(処)は存在する
―そこにおいては、まさしく、地なく、水なく、火なく、風なく、
虚空無辺なる〔認識の〕場所(空無辺処:虚空のように終わりはない、という瞑想の境地)なく、
識別無辺なる〔認識の〕場所(識無辺処:心意識に終わりはない、という瞑想の境地)なく、
無所有なる〔認識の〕場所(無所有処:いかなるものも断片的対象物として存在しない、という瞑想の境地)なく、
表象あるにもあらず表象なきにもあらざる〔認識の〕場所(非想非非想処:表象があるでもなく表象がないでもない、という瞑想の境地)なく、
この世なく、他世なく、月と日の両者はない。
比丘たちよ、そこにおいて、また、わたしは、まさしく、帰る所(現世)を説かず、赴く所(来世)を〔説か〕ず、
止住を〔説か〕ず、死滅を〔説か〕ず、再生を〔説か〕ず、
これ(涅槃)を、依って立つところなきものと〔説き〕、〔対象として〕転起されることなきものと〔説き〕、まさしく、〔転起された〕対象ならざるものと〔説く〕。
これこそは、苦しみの終極“おわり”である」と。
132:神も仏も名無しさん
16/10/25 21:13:25.67 Blb1Bmnl.net
>>131
そんなものを丸写しして頭で解ったような気になってみても、君の日常生活は何も変化していないでしょう。
それが、まさしく釈尊の滅後に原始仏教が衰退して行った理由でもあるのです。
誰もその 「苦しみの終極“おわり”」 に到達することはなかったのですから、教団として存続することなど
あり得なかったのです。
ところが、釈尊と同じ覚りを得ていた一部のすぐれた弟子達は、その奥にあるもっと本質的な哲理に気付き、
それによって 「苦しみの終極“おわり”」 が得られることに気付いたのです。その教えが大乗仏教の教え
です。ですから、仏教を理解する為には原始仏教だけでは足りず、大乗仏教を学ぶ必要があるのです。
133:神も仏も名無しさん
16/10/26 00:59:07.57 sFuQBxbk.net
最近般若心経の写経にハマってる
1日のストレスがスッキリ
134:神も仏も名無しさん
16/10/26 01:20:43.12 FG6pWmzm.net
>>132
できるよ。
末法の世ではできなかっただけ。
135:神も仏も名無しさん
16/10/26 01:26:01.71 FG6pWmzm.net
仏法が正法から末法に至る2500年の周期が一巡して
いま二度目の正法のサイクルに入っているそうな。
この2500年の周期が終わると、次の弥勒菩薩が如来として登場する
まで、正法は失われることになるらしい。
なので、今は末法仏教に固執する必要はない。
三蔵を原語で読めるし、戒律を守るサンガにも接触できる。
今はそういう時代。
136:神も仏も名無しさん
16/10/26 01:38:34.40 pD8buaNX.net
>>134-135
できません。それは蜃気楼なのです。追い求め続けてもたどり着くことは決してありません。
出来ると思っている人達は偽善者として生きて行くことになるだけなのです。
麻原を中心としたオウムの連中は、そのような偽善者達によるエセ仏教教団の典型だったのです。
大乗仏教哲学では、それを達成するという思い自体が妄想であることを明らかにしているのです。
137:神も仏も名無しさん
16/10/26 01:58:37.20 FG6pWmzm.net
禅定の定力がないから知らないだけだよ。
修行階梯の一部だけを見ているので、他の段階(上の段階)が見えないだけ。
聖サンガを構成する七種類の人々である「七聖」。
[七聖]
1.倶分解脱者 ウバトーバーガヴィムッタ ubhatobhagavimutta
2.慧解脱者 パンニャーヴィムッタ pannavimutta
3.身証者 カーヤサッキン kayasakkhin
4.見到者 ディッチパッタ ditthippatta
5.信解脱者 サッダーヴィムッタ saddhavimutta
6.随法行者 ダンマーヌサーリン dhammanusarin
7.随信行者 サッダーヌサーリン saddhanusarin
[差異]
1.倶分解脱者 四無色定 有 慧解脱 有 漏 全部尽 [定力・慧力]
2.慧解脱者 四無色定 無 慧解脱 有 漏 全部尽 [慧力]
3.身証者 四無色定 有 慧解脱 無 漏 一部尽 [定力]
4.見到者 四無色定 無 慧解脱 無 漏 一部尽 [慧力]
5.信解脱者 四無色定 無 慧解脱 無 漏 一部尽 [信力]
6.随法行者 四無色定 無 慧解脱 無 漏 未尽 一部法察[慧根]
7.随信行者 四無色定 無 慧解脱 無 漏 未尽 一部仏信[信根]
引用元:
URLリンク(mixi.jp)
138:神も仏も名無しさん
16/10/26 01:59:59.65 FG6pWmzm.net
「心解脱 慧解脱 倶分解脱」という検索ワードで自分で調べて。
あるいは、↓このページの「『倶舎論』等における悟り(無漏)の階梯」の項あたりには図表があるから、視覚的に分かりやすい。
URLリンク(www.horakuji.hello-net.info)
139:神も仏も名無しさん
16/10/26 02:07:31.73 FG6pWmzm.net
>>137 の七聖に当てはめて言うと、3.の身証者以上の段階の話をしている。
読書体験による思慧は、6.随法行者から4.見到者の段階。
>>136
貴方がやっていることは、4.の段階から 3.以上のものなど無い、そんなものは
できないと言っている状態。
140:神も仏も名無しさん
16/10/26 02:09:02.23 FG6pWmzm.net
>>136
大乗仏教を学んだというか、特定の宗派のドグマに染まっただけでしょう。
全然知らないじゃないの。
141:神も仏も名無しさん
16/10/26 02:54:20.10 pD8buaNX.net
>>137-140
そんな言葉による分類と説明をいくら頭に詰め込んでみても何の意味もないのですよ。
それらは妄想によって作られた想像の世界なのです。(修行主義の妄想)
そんなものが仏教だと思っていると、君は一生を妄想の中で過ごして終わることになるでしょう
大乗仏教では、それらが妄想であることが哲学的に明らかになっているのです。
>禅定の定力がないから知らないだけだよ。
君は、その妄想の階梯のどこに自分がいると思っているの?
そのようなものを求めることで、自分のステージが上がっていくとでも妄想しているのかな?
そのような観念による妄想を離れて、現実の日常生活を送っている自分自身の心を正しく
見つめることが大切です。
仏教の勉強というのは、そのような妄想概念を頭に詰め込むことではありませんよ。
そのような階梯を登って行って自分が立派になるという思いそのものが妄想であることに
気が付いた時に、初めて真の仏教の世界に入ることができるのです。
142:神も仏も名無しさん
16/10/26 02:54:49.53 FG6pWmzm.net
だって、できるもんはできるし。
143:神も仏も名無しさん
16/10/26 02:56:36.94 FG6pWmzm.net
>>136
>大乗仏教哲学では
>>141
>哲学的に明らかになっている
もうこの一言にすべてが集約されてるけども。
仏教を哲学として捉え、理解しているわけでしょう。
思考の範疇にはないものなので、考えても永遠に分かりませんよ。
お勉強は入り口に過ぎません。
144:神も仏も名無しさん
16/10/26 03:39:02.74 pD8buaNX.net
>>142-143
君は何も知らないんだね。
仏教哲学というのは西洋哲学とは全く違うのですよ。
仏教哲学というのは体験と同時に理解できる世界で、頭で考えて理解するものではないのです。
君は西洋哲学も仏教哲学も両方とも知らないのです。
もう一度、言っておきましょう。
そんなものが仏教だと思っていると、君は一生を妄想の中で過ごして終わることになりますよ。
145:神も仏も名無しさん
16/10/26 03:45:36.18 FG6pWmzm.net
もういいや。
NG。
146:神も仏も名無しさん
16/10/26 04:02:47.20 pD8buaNX.net
>>145
人生を棒に振りたくなければ大乗仏教も学ぶことです。
原始仏教だけでは危ないです。(最悪の場合がオウムです。)
147:神も仏も名無しさん
16/10/26 05:37:58.62 /dGe2rvu.net
>>146
大乗仏教を学びたいのですが
ダンマパダやスッタニパータ以上に優れた経典はありますか?
148:神も仏も名無しさん
16/10/26 13:22:46.31 pD8buaNX.net
>>147
大乗経典は原始経典のように心構えのような理解しやすい教えを説いていることは少なく、いきなり
「覚りの本質」 を説いているので、自分一人で学ぶことは非常に難しいです。
仏教では昔から「師資相承(師から弟子へ、そして、その弟子が師となって次の弟子へ・・と
「法」 を直接に伝えていくこと)」 が大切とされています。
ですから、どの経典でも悟ったり救われたりしている師匠について学ぶことが必要になります。
直接の師匠が身近にいない場合は、経典の解釈書(「論」 および、「論」 に相当する書物) を経典と
並行して読むことが必須になるでしょう。
(その場合、悟ったり救われたりしていない学者が頭だけで考えて書いた本を読むと、害あって益なしに
なりますから注意も必要です。)
大乗仏教が原始仏教と異なる根本は、「修行して心を清めて悟りに至る」 という考えが妄想であることに
気付いた点です。「煩悩を滅して悟りを得る」 のではなく、「煩悩があるままで悟りを得る」 というのが
大乗仏教の根本です。
道元禅師の 「正法眼蔵」 は (「論」 ではなく)「論」 に相当する書物ですが、昔から 「正法眼蔵」 を
読むだけで悟りを得た人が多いことで有名です。
また、稲津紀三氏、山口益氏などは 「悟りを得た仏教学者」 として有名ですから、そのような優れた学者の
著書を読むことも大変役に立つでしょう。(仏教哲学である中観や唯識の解説書です。)
重要な大乗経典を挙げれば、
法華経、華厳教、大無量寿経、般若経(総称)、勝鬘経、涅槃経 などです。
(後期の密教経典などは変質した内容になっているので、重要視する必要はないでしょう。)
149:神も仏も名無しさん
16/10/27 05:54:35.97 jY0BdcDL.net
>>148
丁寧に説明していただいてありがとうございます
これからの勉学に参考にさせていただきますが
私は誰かを師事することなく
自らと法を頼りに精進していきたいと思います
長い文章を書くためにあなたの貴重な時間を下さりありがとうございました
150:神も仏も名無しさん
16/10/27 23:37:40.09 fiGY5jsy.net
>>148
道元の山水経での文言は、中国の土着思想である老荘思想に過ぎず、
非仏教的な邪説であって、全面的に否定されるべきもの。
道元自身が晩年には、このような文言を否定する立場に変わっていた。
山川草木悉有仏性、無情仏性はインドでは説かれなかった思想です。
中国天台宗の荊渓が草木成仏が説かれるところが起源です。
この無情のあり方を目指して、無念無想、不思不観、無分別、不二へと陥った。
仏性思想は、老荘思想のタオと一致するので、根源的本質体なるものと実体視、
絶対的な実在、自性、と空に反して、中国思想家は最後まで脱却できなかった。
これら発生論的一元論は、ウパニシャッド哲学と類似する似非なる仏教です。
これらは、日本仏教学会において仏教にあらずと学術論文発表がありました。
道元の老荘思想まがいの仏教は、原始仏教でいう心解脱を得てるか得てないかで、
最終解脱である慧解脱とは無縁であり、中国思想家の犠牲者であった。
無知な人は、禅仏教の祖師に覚者のイメージを勝手に持つが、似非なる仏教の
覚者が正体であった。
曹洞宗の僧は、統計上、毎年犯罪者が多い、これは教えに欠陥があるからで、
仏性が有るからと煩悩を肯定している側面があるからであろう。
151:神も仏も名無しさん
16/10/28 00:36:00.22 Zjq4ETyN.net
>>150
>これらは、日本仏教学会において仏教にあらずと学術論文発表がありました。
何度説明してあげたら理解できるのかな?
スレリンク(utu板:373番)
「学術論文発表がありました」 などと言ってみても何の意味もないことが
まだ理解できないのかい?
君が書く内容は、偏った仏教学者が書いた本とネットの智恵袋を丸写ししているだけだということが
もうバレてしまったのだし、「釈迦在世時に、大乗という概念があった証拠がありません。」などと
馬鹿げたことを書いて子供並みの知能しかないこともバレてしまったのだから、もう君は仏教について
口を出さない方がいいですよ。
対人恐怖で人前でビクビクしながら生きている君が、「道元の老荘思想まがいの仏教は、・・」
などと言って何の意味があると思うの?
そんな浅はかなことをしていたら、君は永久に神経症からは自由になることはありませんよ。