【古代】稲作は縄文時代に伝わった!? 「邪馬台国」と緊密な関係、常識が変わる「末盧国」の遺跡巡り ★2 [樽悶★]at NEWSPLUS
【古代】稲作は縄文時代に伝わった!? 「邪馬台国」と緊密な関係、常識が変わる「末盧国」の遺跡巡り ★2 [樽悶★] - 暇つぶし2ch600:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:29:27.46 XCLmU52S0.net
>>562
日本海でさえ北朝鮮の船が漂着しても
乗組員が遺体で見つかる過酷さだからな
どうだかな

601:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:32:44.91 CGVcnCuX0.net
倭人は海洋民族だから対馬海峡を自由に往来出来たが、航海に不慣れな半島人は流されるだろうね

602:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:33:06.11 y2r0r3jp0.net
よく縄文時代には弥生時代のような縄張り争いによる戦いはなかったってこと言われてるけどホントかなと思う
発見される骨に矢じりとかによる傷あとがないからだって言うけど

603:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:42:02.94 ZCHkgllV0.net
>>570
だよな。後代の埴輪の船も数人乗りだ。
陸伝いの黄海ルートで何世代もかけて、水稲集団が日本列島に到達したと考えるのが自然かな。
その過程で、先住の狩猟採集集団と混血もし、諍いも


604:起きたということで。



605:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:42:12.97 Y0/U/IgU0.net
>>545
稲作は元々の住民が技術だけ受容して行っていることが分かってる
なので「渡来人がやった」「渡来人が縄文時代の人にとってかわった」みたいな状態には全くなってない
この事から元々の住民が選択的に水田だけ積極的に受け入れたという状況になってる
だからよくこの手の話で使われる「渡来人の仕業」だけで説明する安易な手が使えない形になってるのが話を難しくしてる

606:バカボンパパ
20/11/25 19:43:53.50 1ySOBiO/0.net
>>572
弥生人には何かマズイのかね?

607:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:44:21.03 ZCHkgllV0.net
>>571
航海技術も泳ぎも遺伝するわけではなく、学習だからなあ。

608:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:48:47.57 ZCHkgllV0.net
北九州で水稲文化が発展しはじめたころ、俺は縄文人でお前は弥生人だとのアイデンティティーが形成されたか?
あるいは、俺は倭人でお前は華夏人の子孫だろとの意識は?
想像してみたが、ねえわ。

609:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:50:01.86 Y0/U/IgU0.net
>>547
縄文時代の早い段階でのプラントオパールや豆の圧痕などの2次的な農耕の可能性は存在してる
ただ農具の存在がなく農耕があったとしても地面に種を適当にばらまく程度の物しか考えられない
この状態から突然、水田という高度な農耕が行われていて、農耕道具も半島由来の石包丁などが使われている
これらの事から日本国内で元から水稲が行われていたとか、高度な農耕が発展していたとは考えにくい
問題なのは、先だ後だとかいう話じゃなくて、なぜ水田の段階になって突然受容したのか
なぜ半島でも初めての段階の水田の技術を獲得できたのかという話

610:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 19:58:20.59 ZCHkgllV0.net
>>578
横で申し訳ないが、その「突然」受容とは、数世代のスパンでいいのかな。
文明の所産の受容は、ゼロから発展するよりずっと簡単ってことか。
ゼロから文字が発達するために要する時間は数千年規模だが、完成品としての活字体系を受容したり、
活字というコンセプトを受容し現地語にあわせてローカライズするのは、1世代でいい。
青銅鋳造も水田耕作も。
ゼロから発達させるには、必ず前段階が必要だが、受容する方は突然でいいと。

611:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:00:06.03 xD0yJAWe0.net
>>578
縄文人は硬い翡翠や栗の木を加工する技術があったから、地面を掘るのなんて苦もなかっただろう

612:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:05:30.85 SuTLmSJM0.net
栽培していたのは、栗では無く粟ですよ

613:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:07:51.96 Y0/U/IgU0.net
>>579
江戸から明治への変化も技術の受容だけなら短期間で済んだ
あるものを受け入れるだけだから話は早い
しかし、問題としてるのはそこじゃない
「なぜ今まで無視し続けていた農耕を水田になって【突然】受容したのか」という事
明治維新は外圧への対処という理由があるわけだが、縄文時代の人がなぜ水田を一気に受容したのかの背景が疑問

614:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:10:34.46 QmZXa5xQ0.net
稲作は仏教の伝播とほぼ同じルートと考えていい

615:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:10:42.04 RKX77jbB0.net
>>582
酒だ酒、酒造りが一緒に渡来したのさ
証拠はない

616:バカボンパパ
20/11/25 20:11:37.52 1ySOBiO/0.net
一気に稲作を受容、の意味が分からないのう
ネット時代じゃないから100年はかかるだろうに

617:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:14:12.34 Y0/U/IgU0.net
時間の話はしてない
縄文時代の人は畑作を数百年無視し続けているのに、
水田だけは半島にさえ来たばかりの段階で「フルセット一気に受容」して広めている
×畑作→水田
〇水田からスタート
という状態をさしてて突然と言ってる
この選択の理由が謎だと言ってる

618:バカボンパパ
20/11/25 20:15:01.8


619:8 ID:1ySOBiO/0.net



620:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:18:01.22 Y0/U/IgU0.net
繰り返してるように
「水田は元々の住民が技術だけ受け入れている形」
なので渡来人の仕業だとか、侵略だとか、民族が変わっただとかいう話には全くなってない
元々の日本人がなぜ畑を無視して、水田になったら急にこれを受け入れたのかという話

621:バカボンパパ
20/11/25 20:18:45.13 1ySOBiO/0.net
渡来人が侵略してきた時に金具武器と稲作を持ち込んだよ。
なんの不思議も無い

622:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:20:08.92 ZCHkgllV0.net
>>582
なるほど。
>「なぜ今まで無視し続けていた農耕を水田になって【突然】受容したのか」という事
畑作による人口増と水稲による人口増を比較すると、後者が圧倒的だったという説明ではダメかね?
縄文時代の日本列島民の視点からは、畑作民とは出会わなかっただけで無視していたのではない。
しかし、水稲民は圧倒的な拡大で半島から南下し、出会った。

623:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:22:15.61 ZCHkgllV0.net
>>588
そういうことか。
>「水田は元々の住民が技術だけ受け入れている形」
移住民だったで説明してはいかんの?

624:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:23:42.48 QmZXa5xQ0.net
そもそも栗の栽培すらしてないのに
馴染みのない米の栽培をいきなり始めるのもおかしいし
陸稲が先ならまだわかるが水田作りから始めなきゃならない水稲が初発なのもあり得ない

625:バカボンパパ
20/11/25 20:27:58.99 1ySOBiO/0.net
ようは、稲作して食糧確保しながら侵略していったわけ。
だから弥生人が縄文人に伝えたなんてのはミスリード
世界史的にもそんな例は無いしね

626:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:28:50.33 Iu6jgDBB0.net
日本人のDNAの9割が弥生時代以降の渡来人由来…

627:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:30:30.82 RKX77jbB0.net
十分な人数と食傷を持っていたなら、文化や祭祀も持っているはず
なぜ南方系原住民の文化や祭祀に合わせたか
それともそもそも南方系だったのか

628:バカボンパパ
20/11/25 20:31:26.98 1ySOBiO/0.net
侵略者が被侵略側になぜ技術を伝えるのか?
あり得ない話

629:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:34:39.95 Y0/U/IgU0.net
>>590
そういう話ならもっと早くから簡単な畑作をやっててしかるべきだろう
その事情で畑作よりも技術的に高度な、半島でさえも初めて来たばかりの水田を始めるのは考えにくい
実際に半島では水田の利用は小さくその生産量も少ない
この畑作が主で水田が補助的な物に過ぎない状態は李朝の段階まで続いている
むしろ水田などあてにならないだろう
単純に切迫した食料事情なら別な選択の方が合理的だろうと思われる
技術をもたらした移住民がいた可能性は当然考えられる
しかし、新技術以外は、元々の人々の様式が維持されていて主体は元からの人々であるとわかる
この事から現地の人々の意図的な選択の結果、新技術なり移住者なりが受け入れられたというのが明らかといえる

630:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:35:54.06 xD0yJAWe0.net
>>581
栗も栽培していた

631:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:37:56.28 TSJ894Ii0.net
>>597
>しかし、新技術以外は、元々の人々の様式が維持されていて主体は元からの人々であるとわかる
なぜ主体の変化がなかったとわかる?
元々の(生活)様式とは?

632:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:40:06.09 TSJ894Ii0.net
水稲は半島を通って日本列島にやってきたにしても、日本列島によりフィットした生産様式だった。
朝鮮半島で主力にならなかった水稲が、日本列島で文化の柱になっても別におかしくはない。

633:バカボンパパ
20/11/25 20:42:35.40 1ySOBiO/0.net
弥生人=渡来人=侵略者
これで全て稲作の件は矛盾なく説明できる

634:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:44:49.25 QmZXa5xQ0.net
文字や仏教や暦に陶器など文化的な伝播は半島渡来人に依るものなんだし
稲作だけが別ルートってのも無理スジすぎる話なんだよな
特に古代の農業は暦と密接に関わること考えたらそれが理解できるはず

635:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:48:58.82 RKX77jbB0.net
>>601
侵略者だとしよう、そうしよう
ではどこから来た侵略者なのか、なぜ来たのか
侵略者である終わり、では何もわからんな

636:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:5


637:1:20.33 ID:Y0/U/IgU0.net



638:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 20:56:29.14 sp6J7xvY0.net
>>602
仏教の伝播って本当に朝鮮半島なのか
朝鮮には日本の宗派全然ないんだが
中国にはたくさんある
朝鮮半島の意味ってなに

639:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:00:43.57 0UTmdPtp0.net
>>597
またネトウヨさんはソースなしで語りますね
日本では「突然に」水田稲作を受容したわけではないですよ
北九州に水田稲作が広まってから、その周囲に稲作が広まっていくまでに
250年もの時を要した
「伊勢湾沿岸地域で弥生稲作が始まるまでの約 400 年のうちの約 250 年間,
 九州北部玄界灘沿岸地 域にとどまっていた弥生稲作は,
 玄界灘沿岸地域を出ると,一気に鳥取平野~岡山平野~香川平野 ~高知平野を
 結ぶ線まで広がり,その後も 5 ~ 60 年で神戸,さらに 70 年で徳島,奈良盆地,
 伊勢 湾沿岸まで急速に広がっていった。」
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
つまりは日本人は玄界灘地域に稲作があることを知りながら
250年間も稲作を始めようとは思わなかったんです
おそらくはそれほど縄文という生活スタイルは、当時の日本の気候に合っていて
合理的だったということでしょう つまりは稲作に興味が持てなかったということでしょう

640:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:01:47.25 0lI7TAWK0.net
>>15
来た人たちがもっと政治・経済や生活文化の役立つものをもたらしてくれたらおもしろかったのにと思う。紙とか文字とか。

641:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:06:27.18 vAYbKVgv0.net
>>592
栗を栽培していた痕跡は青森県三内丸山遺跡で発見されているよ
縄文時代中期は暖かい時代で食糧が豊富にあり、現在の青森でも十分食糧が得られたわけだな
ところが後期後半くらいになると寒冷化し始め、彼らは南に下り、縄文人の人口が少なかった西日本にやってきたわけだな
北部九州に来た青森人たちが半島や大陸との交易で知ったか、自ら半島や大陸に行って知ったかして水稲栽培が導入されたわけだ
だから、水稲栽培を谷間の土地で試行錯誤していた時の縄文土器は亀ヶ岡式土器の影響も強く受けて作られている(この頃には既に文様としての縄文は消えていた)
そして半島南端との交易を重ねるに従い、半島南部の土器作りの影響も受けて、福岡県板付遺跡かその前段階あたりで広い水田(灌漑施設を生み出したのだろう)と、
弥生土器が成立し、その土器と水稲栽培がセットになって南九州、四国、畿内まで広がったわけだな
背景には慢性的な食糧不足という事情があったからこそ、広い水田さえ作れば一年後には集団が食べていけるほどの保存の利く大量の食糧が得られるかもしれない
水稲裁判を受け入れざるを得なかったわけだな
縄文人とて馬鹿ではないわな

642:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:07:59.52 4ti5D7LD0.net
>>584
縄文人は�


643:Dき



644:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:09:43.92 4xUS3dUp0.net
>>1
朝鮮半島伝播説は既に一部の親韓派の学者が頑なに唱えるだけの少数派の過去の説になってるよ
逆に日本から朝鮮半島に伝わったという説もあるくらい

645:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:12:22.25 sp6J7xvY0.net
仏教の公伝は538年百済からだが
これは蘇我氏の"仏教を導入しろ"という要請で行われたもの
つまりもう伝わって知られていたからやったこと
民間レベルではとっくに伝わっている
中国から最初に伝来したのは高句麗で372年頃
高句麗人は北日本海から直接来るルートだし
中国からの渡来人も当時いた以上
半島以外からとっくに伝わっていたのでは

646:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:12:38.23 QmZXa5xQ0.net
>>605
日帝が統治して韓国文化をぶち壊す前までは
普通に韓国に仏教の高僧とかいたよトソンとか有名だし
今の韓国はキリスト教だから見る影もないけど

647:バカボンパパ
20/11/25 21:13:27.34 1ySOBiO/0.net
>>>603
そりゃ弥生チョンだよ
侵略した理由は、縄文人が豊かなわりに平和的だったからだよ。
侵略は楽勝だったろうね

648:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:14:03.92 SCuhyGt90.net
縄文時代から弥生時代にいきなり変わるわけないじゃんよ

649:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:16:56.00 TSJ894Ii0.net
>>610
考古学に親韓も嫌韓もない。
事実を積み上げるだけ。

650:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:17:02.78 sp6J7xvY0.net
>>612
違う
宗派の話
臨済宗曹洞宗天台宗真言宗など全て中国にあるが
朝鮮にはどれも無い
宗派の意味がわからないのか?
朝鮮には仏教が根付いてないからわからないのだろう

651:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:18:00.22 TSJ894Ii0.net
>>604
事情はわかった。サンクス。

652:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:19:05.42 RKX77jbB0.net
>>613
6000年前頃 ジャポニカ米が長江流域で栽培
4200年前頃 寒冷化で、長江・メソポタミア・三内丸山衰退
2500年前頃 寒冷な時代から温暖な時代へ移行
弥生チョンはいつから稲作を


653:?



654:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:20:13.26 TSJ894Ii0.net
野焼きの方が簡単に作れるからではないのかね。

655:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:20:46.86 4ti5D7LD0.net
>>606
それ論文要旨だけで
根拠やエヴィデンスを全く示してない
もっとマトモな文献出せwww

656:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:21:05.98 YPOzQ8O80.net
縄文時代に人口が大幅に減少してるし稲作は弥生からで合ってる

657:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:23:57.64 QmZXa5xQ0.net
遣唐使にしろ半島が仲介役と中継地点なってんだし
逆に考えれば伝播は地政学的にも全て半島から伝わったが正解
まずは半島まで行き韓国のお墨付きで洛陽や長安まで行けたわけだんだよな

658:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:25:22.43 SDg5h8F30.net
稲来ましたハイ弥生って訳には行かんだろそりゃ

659:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:25:33.69 JfLUQvs10.net
>>606
感覚がおかしくなるけど、当時からしたら「も」というより「しか」という方が本来は正しいんだけどな。
その後の伝播の仕方がチートなだけで。
これがゲームだったら発売日に修正パッチが出る。

660:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:27:04.18 GTaMMxzo0.net
コメは日本人の宗教だからな
コメ食=弥生の渡来とか意味がわからねえが

661:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:27:11.44 QmZXa5xQ0.net
>>618
ごくごく当然の話しだが陸稲種のインディカ米が先
だから稲作の伝播ルートは仏教が伝わったルートと同じだよと言っただろ

662:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:27:13.89 sp6J7xvY0.net
一般的に狩猟遊牧エリアに農耕が進出するのは
狩猟民が農耕民を連れて来て奴隷として開始させるのが多いけどな
いずれ農耕民は1人歩き


663:して農耕と人口を増やしていく こういう形で立場が逆転していく



664:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:29:28.73 4ti5D7LD0.net
>>622
小野妹子は遣隋使の帰路
百済を通行中に糞チョンに身ぐるみ剥がれた時
煬帝の返書をも盗まれたと云ってるから
その後の遣隋使や遣唐使は朝鮮を避けてたはず

665:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:29:43.62 sp6J7xvY0.net
>>622
長安は船による航行だから半島は通らない
韓国なんて国は当時ない

666:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:30:34.10 TSJ894Ii0.net
>>627
出現の順番は、狩猟採集>農耕>遊牧
遊牧は農耕民との交易前提でしか存在できない。

667:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:31:58.86 0UTmdPtp0.net
>>620
ソースすら出せないネトウヨさんが何言ってんですかw

668:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:33:55.64 sp6J7xvY0.net
>>630
反論になってないんだが
それと遊動民エリアでの農耕の伝播となんの関係が
初期の農耕は農耕民を奴隷として連れて来てやらせることが多い
もう一度繰り返した方がいいか

669:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:36:16.23 SDg5h8F30.net
>>612
嘘付け
自分らで仏教迫害してたろが
儒教の国(自称)なんだろ?
自信持てよ
今はナンチャッテキリスト教らしいが

670:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:37:04.07 TSJ894Ii0.net
>>632
狩猟民=遊牧民、との世界観ですか?

671:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:38:57.84 sp6J7xvY0.net
>>634
遊動民と書いたのも読めないのかな

672:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:39:53.91 4ti5D7LD0.net
>>631
縄文稲作に触れてない文献は引用するだけ無駄
暇つぶし対象外wwwwwwwwwww

673:高篠念仏衆さん
20/11/25 21:41:25.83 51Uh7vNT0.net
王様がいないと
困る?大陸の人は

674:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:42:24.49 TSJ894Ii0.net
半島づたいにグルっと黄海を回って山東半島に至るルートは、卑弥呼の使節から推古帝の遣隋使まで長い間使いましたが、
白村江の敗戦以降は、東シナ海をつっきるルートに変更ですね。

675:高篠念仏衆さん
20/11/25 21:42:39.30 51Uh7vNT0.net
>>612
山間部にしか残ってないのは
迫害されていたから

676:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:44:10.21 TSJ894Ii0.net
>>635
>一般的に狩猟遊牧エリアに農耕が進出するのは
すみません。つい。

677:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:45:05.85 TSJ894Ii0.net
縄文人は定住民だし。

678:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:48:36.35 sp6J7xvY0.net
>>640
遊牧成立の順番が文明的にどこであっても
土地としては水田稲作を行った土地が草原に戻ることはほぼない

679:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:49:42.48 0UTmdPtp0.net
>>636
ん?
畑作のことを言ってるんじゃないですか?
あと縄文稲作というのはありません。
「弥生文化の輪郭」
これはあなたのいう「論文要旨」ですが、このタイトルで検索すると
藤尾の論文をpdfでダウンロードできます。
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
これを読めば縄文は、稲作の受容、祭祀、鉄器をコアとした
弥生文化の登場によって終わったことが理解できると思います
この論文はそのコアの周辺に、必ずしも稲作や鉄器を伴わない日本の周辺が
存在したことを藤尾が研究したものです
つまり周辺地域では「縄文」稲作は存在したかもしれませんが
日本の中心文化を担った地域では「縄文稲作」など存在しなかったということです

680:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:54:20.76 sp6J7xvY0.net
>>641
柳田国男の山人(ヤマビト)は遊動狩猟採集民だな

681:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:54:52.31 4ti5D7LD0.net
>>642
>水田稲作を行った土地が草原に戻ることはほぼない
何かの理由で数平方


682:キロ単位で耕作放棄したら草原に戻るのは簡単。 草原に戻ったら馬などの放牧地として使える。



683:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:57:07.66 sp6J7xvY0.net
>>645
ソースは?
農耕で一度掘り返した土地は二度と元の自然の草原に戻ることはない
農耕放棄の荒れ地を放牧地に使った例を言ってみろ

684:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 21:57:33.76 TSJ894Ii0.net
>>642
ですよね。そもそも草原を水田にはできない。
>>644
失礼しました。縄文時代に日本列島に暮らした人々のすべてが、三内丸山的な定住とは限らない。

685:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:00:38.11 TSJ894Ii0.net
もともとは、農耕民は狩猟遊牧民(遊動民?)の奴隷として連れてこられた説を説明したいのでしょう?
山人や耕作放棄地の状態に何の関係が?

686:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:04:26.17 sz5mq7r/0.net
>>636
はい

URLリンク(publications.asahi.com)
「発掘された日本列島2014」(文化庁編)
P21
縄文時代に稲作はあったのか
 縄文時代にも陸稲などの稲作が行われていたと考えられていました。
縄文時代の堆積層や土器の中に、イネのプラントオパールが確認されたこと、
土器についた籾(もみ)の圧痕の発見から、縄文時代後期まで稲作はさかのぼると
みなされていたのです。しかし、籾圧痕にシリコンを注入して顕微鏡で観察した結果、
籾にあるはずの針状の突起、「禾(のぎ)」を確認できませんでした。
また米を食べるとされるコクゾウムシ圧痕の有無も調べられましたが、じつはコクゾウムシは
コメ以外の雑穀類も食べることが判明し、現在のところ、確実な稲作は弥生時代早期からと
いうのが最近の研究者の大方の見解です
URLリンク(imgur.com)

687:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:04:37.36 sp6J7xvY0.net
>>647
漢族は草原を強引に農地化して多くの砂漠化を招いているな
URLリンク(news.yahoo.co.jp)

688:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:05:33.63 Y0/U/IgU0.net
思想とか、半島が嫌いだとか、先が偉いとか後が劣るとか、そんな感情は考古学に一切関係ない

689:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:07:19.56 sp6J7xvY0.net
>>648
縄文人に水稲が広がった経緯を推察してるに過ぎない

690:高篠念仏衆さん
20/11/25 22:08:39.96 51Uh7vNT0.net
「皇帝問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇
思弘德化 覃被含靈 愛育之情 無隔遐邇 知皇介居海表 撫寧民庶 境內安樂
風俗融合 深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉 稍暄
比如常也 故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意 并送物如別」『日本書紀』
なぜか倭皇となっており、「倭皇」を後の日本書記編纂での改竄とする見解がある。
『日本書紀』によるこれに対する返書の書き出しは「東の天皇が敬(つつし)みて西の皇帝に白す」(「東天皇敬白西皇帝」『日本書紀』)とあり、前回とは違う身分が上の貴人に差し出すへりくだった形式となっていて外交姿勢を改めたことになる[12]。
「東天皇」は後の編纂時に改定されたもので「大王」か「天王」だったという説と、そのまま天皇号の始まりとする両説がある[13


691:]。



692:高篠念仏衆さん
20/11/25 22:12:43.10 51Uh7vNT0.net
>>628
返書を掠取した百済に対して日本が何ら行動を起こしていないという史実に鑑みれば、 聖徳太子、推古天皇など倭国中枢と合意した上で、「掠取されたことにした」という事も推測される[14]。
だが、姿勢に変化はあるものの、「冊封は受けない」とする倭国側の姿勢は貫かれ、隋は高句麗との緊張関係の中、冊封を巡る朝鮮三国への厳しい態度と違い、高句麗の背後に位置する倭国を重視して、冊封なき朝貢を受忍したと思われる[15]。

693:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:15:38.52 4ti5D7LD0.net
>>646
ソースはうちの田畑。
今年2月中旬のジャガイモ植え付けの前に雨が降って畑の畝立てが出来ず
種芋が腐ったり干からびたり。
種籾を直播き擦る前に雨が降って
乾くの待ってたら苗代用の農業用水が流れてきて
阪神淡路大震災のせいで用水路のあちこちから水が漏れて
田んぼが濡れて雑草が生えた。
田んぼが湿ってるのに耕運機で土をかき混ぜようとすると
田んぼの泥が耕運機のタイヤの凸凹を埋めてしまって摩擦がゼロで
立ち往生。
それに加えて7月の雨の連続、8月、九月の猛暑で
田んぼも畑もやる気なくした。
数ヶ月で水田が草原に変わった、トホホの8ヶ月
草原の草刈りをして来年の春、夏用の野菜の種まきや豆類の苗の植え付けをした。

694:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:18:52.58 uXAH6RzW0.net
稲作は朝鮮半島から渡来した
当時の日本は水車すら作れないから水田管理が出来なかった
これな

695:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:21:01.01 sp6J7xvY0.net
>>655
そんなもん放牧の出来る草原になんてならんわ
世の中の自然災害の発生理由もわからんのか
掘り返して放置した土地には元の生態系は戻らないから
水害やはげ山などの原因になってるのに

696:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:25:38.53 sp6J7xvY0.net
海が下手な養殖したらプランクトンだらけになるのと同じ
生きた野生の状態と壊して放置した状態とは違う

そんな話はもういいから
山人(ヤマビト)はヤマトそのものだろ
日本の始まりの言葉なんて一目瞭然で
山(ヤマト)と川(カワチ)と津(セッツ)なのだから
誰が見ても日本の始まりとわかるだろ
基礎語彙そのもの

697:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:25:49.48 DW4jB3Jn0.net
縄文の縄ってそのままヒントやろ(´・ω・`)
わら縄を編んでたと考えるのが自然やん

698:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:27:12.96 9wYwkBb70.net
>>651
考古学に必要なのは予算引っ張る弁舌

699:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:27:18.25 tGiiJD5m0.net
稲作中心?

700:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:27:40.25 4ti5D7LD0.net
>>653
>なぜか倭皇となっており
朝鮮人は「日王」と書くけど
支那人は今でも「日皇」と書くぞ
日皇今登基 安倍帶頭喊萬歲
URLリンク(tw.appledaily.com)(100)/cloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com/appledaily/KAEZD2JBCQL3HSN5FQJRPAEKF4.jpg
↑香港の新聞

701:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:27:42.82 QmZXa5xQ0.net
>>628
あまりに見下し


702:た返書だったから 妹子がこんなの持ち帰れるわけがないと 途中で略奪された事にしたってのが定説なんだけど?



703:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:32:22.14 9wYwkBb70.net
大陸では勢力争いで殺し合い、争いによって科学と文化が発展
海の向こうの島では潮干狩りと栗拾いだけで数千年も変わらず循環
優劣は一概に言えない

704:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:37:07.85 4ti5D7LD0.net
>>657
鳥がいろんな植物の種を咥えて運んで来たり
風に吹かれて種が飛んで来たりする。
それらが田んぼや畑を耕(田返)して一旦土中に埋もれても
1年2年後に耕(田返)すと又地表近くに上がってきて発芽成長する。
中には引っ付き虫の様に棘を持っていて木綿の服に着いて
あらゆる処に落ちて発芽する。
おい、オマエ等、今犬HKで「日本誕生 知られざる物語 日本書紀!1300年」放送中だ

705:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:40:22.16 v/McQjMK0.net
縄文時代も弥生時代も後の歴史学が便宜上分けただけだからな。
当時の人たちが「さあ、今日から弥生だ!」とかなったわけないもんな。
縄文期から、稲作以外の栽培農耕は行われてたわけだしそれに米が加わっただけなんだし。
昔の義務教育で習った縄文は採取、弥生は農耕という分類はもはや通用しないな。
それよりも外部からの文化的刺激による変化ととらえた方が自然だな。

706:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:41:02.93 GIoNmS5Y0.net
>>656
中国と日本が一緒ぐらいで朝鮮はその後だよ

707:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:46:36.19 Wi5UmAW90.net
>>664
狩猟と釣りとドングリ拾いで食えて、気が向いたら土器デザインで競う。
そんな暮らしが当たり前だと思っていた。
そこに妙な人々が押し寄せてきた。
米のことばかり考え、起きている間はすっと土地に張り付いて働き、季節ごとに変な儀式をし、光る道具を宝とし、命令する人と従う人の区別がある。
やつらはどんどん人数を増やして、土地という土地を水田に変えていく。
たしかに米は旨いが、どうしたものか?

708:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:49:41.94 wTGvTIDk0.net
歴史の教科書って糞みたいにいい加減だな

709:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 22:52:48.88 Y0/U/IgU0.net
①縄文時代にまともな農耕と呼ばれるものはなく半島で数百年先行している農耕を全く無視していた
②水田が来ると畑作を無視していたのに一気に高度な稲作一式を受け入れた
③道具は石包丁など半島の道具を利用している
④この時点での半島も水田が来たばかりで日本とほぼ同時で特別な先進性はない
⑤日本の稲には半島にない遺伝子の物も広く分布している
⑥水田は日本の元々の住民が技術だけ受けれいたもので、渡来人主体でも、渡来人による民族の入れ替えなども起こってない
これが日本に稲作が来た時の状況
単純な半島が先だの、後だの、渡来人がすべてやった、などという単純な話になってないのが問題
状況から日本も半島も同時に影響を与えた外的な要因の存在が想定されるのではないだろうか

710:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:03:35.38 FVub6QU90.net
整理
米は温暖な地域で主に栽培される穀物であり、栽培不能な中国の東北部を経由し朝鮮半島から日本へはあり得ない

711:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:05:46.33 Y0/U/IgU0.net
道具は半島の物を使ってる
というかそもそも日本は一切農耕をやってないから農具そのもの�


712:ェない なので水田の技術も、農具もすべて海外から来たもの そしてその道具が基本的に半島の物で構成されてる という事なので半島を経由してるだろうことは疑いにくい



713:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:09:17.81 QmZXa5xQ0.net
インドや揚子江流域から稲作が地政学的に北上し陸続きの半島に伝わり
少なくとも陸稲は伝わって
それが海を隔てた日本にもたらされてたというのが自然な伝播ルート

714:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:10:10.21 RKX77jbB0.net
>>670
時代的には春秋時代であり呉 (春秋)滅亡のあたり
魏人的には「呉の太伯の子孫」という認識
当の本人もそう自称していて、もしそれが嘘だとしても
その辺りの歴史知識、どこから仕入れたのか不思議

715:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:13:14.15 sp6J7xvY0.net
おそらく最初は
「わしゃあヤマのモンだべ」「ワシャ川のモンじゃ」とか適当に言ってたんだろう
それが渡来人とかが来て「あなた様がこのクニの王ですか」とか担がれて
「ん? ああそうじゃそうじゃワシらが王じゃ」
とか大見得切って引くに引けなくなった
それで名前が適当すぎることに気付いて
山のモン・・・じゃなくて"ヤマト""ヤマト"
宇宙戦艦ヤマト
みたいによそ行きの名前をちゃんと付けた
それでヤマト・カワチ・セッツとか呼ぶことにしたんだろ

716:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:14:20.51 43U8WEMO0.net
伝わったんじゃなくてそん頃には既に技術を持っていたんだよ
東南アジアに住んでいるころにできあがった

717:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:16:34.88 Nk+hZnos0.net
厚い瞼と糸目の韓国人俳優を見て遮光器土偶に似てるなぁと思った
URLリンク(image.koari.net)(1).jpg

718:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:16:50.72 QmZXa5xQ0.net
間違いなく陸つたいの伝播ルートより海を隔てた伝播は難易度が高い
仮に稲もみだけ奇跡的に半島よか先に伝わったとしても
それを栽培する技術伝播が海を隔てた島が先とかあり得ない
稲作は仏教や文字と同じで100%半島からもたらされて た文化だよ
自分の仮説だがそれは暦とセットだったと思う

719:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:17:16.60 sp6J7xvY0.net
>>665
荒れ地と放牧地は全然違う
お前は北海道の牧場にそう言って自分の荒れ地売り込んで来い

720:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:21:03.01 FVub6QU90.net
整理
お米の発祥は揚子江流域であり
長江文明の影響を受けた地域で
主に栽培されている
朝鮮半島は関係ないな

721:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:23:37.38 sp6J7xvY0.net
こいつらは馬鹿だから稲作スゲーと言いつつ内心原始産業だと舐めてるからこういう誤解が起きる
農耕はほぼ工業
大地を人間の都合で作り替えて大量生産を可能とする
そこにはギリギリのバランスが必要で人類は古来からそれを高度に管理して行って来た
休耕地がほっとけば放牧地になれるとかトンデモにもほどがあるし
当の農耕だってすぐには再開出来ない
だから生活に困らなくても代々の土地だからという理由だけで毎年耕し続けてる元農家の人もいるのに
お前らは本当にカス
稲作の大事さも牧場の大事さも工業の大切さも何もわかってない

722:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:24:25.30 Wi5UmAW90.net
山東半島の水稲栽培遺跡は、紀元前6000年の地層で出現する。
しかし、紀元前5000年~2600年の間の地層からは水稲は出ない。
再び出現するのは、紀元前2500年の地層。
対岸の遼東半島や朝鮮半島への水稲の流入は、紀元前2500年以降だと思われる。

723:バカボンパパ
20/11/25 23:24:33.55 1ySOBiO/0.net



724:不思議なもんだ 頭から思い込みがあるのに自問自答しててw 弥生チョンの侵略だとは嫌でも認めたくないのか 思い込みより事実が大事なんだが



725:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:26:08.97 QmZXa5xQ0.net
縄文や弥生時代は
北海道で見つかった数々の縄文時代の遺跡で
彼ら原始人でさえ越冬できるほど温暖だったのが証明されてる
だから半島が寒冷で稲作が出来なかったとかはウソっぱち

726:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:28:58.86 FVub6QU90.net
弥生時代に渡来したのは揚子江流域からの難民だって
各地に逃げて散ってる
チベットなども移民先

727:バカボンパパ
20/11/25 23:30:07.63 1ySOBiO/0.net
朝鮮由来で一気に広まった、でいいだろ
そう思い込みたいんだから。
不思議なのは、自分でそう思い込んでるくせに反問してる点だがw

728:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:31:24.29 v/McQjMK0.net
列島で一切農耕が行われていなかったわけではない。
農耕を稲作のみと限定するならば、いや、それすら疑わしい。
巨大な貝塚や東北でみられる果樹や穀物の計画的栽培。
それらから伺えるのは、仮に村と云わせてもらうなら村集団の構成員による生産、収穫の為の役割分担・
組織化がかなり進んでいたということだ。
組織化が進んでいたということは高度な社会構造を伺わせるものであり、それがあったからこそ
かなりの速度での稲作農業への移行に成功したのだろう。そしてその鍵となるのは治水技術の発達であろうか。
これによって低地の農地化が急激に進み生産性の向上が達成されたと考えられる。
当時の半島南部と列島の大部分は倭人の生活域であり、その各集団間の交流は現代の我々が考えるよりもかなり活発に深く行われていたであろう。
治水技術のセンターとなったのはおそらく楽浪郡。群と倭人の交流によって列島にもたらされたのではないか。

729:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:31:51.15 yLRBULQh0.net
土木の貧弱な原始時代に稲作を発展させるには何百年かかって当たり前

730:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:33:09.96 9wYwkBb70.net
日本では陸稲の痕跡は6千年前
水稲は3千年前
仏教や陶磁器伝来よりずっと早い
温暖な南方ルートの交易品か漂着民から持ち込まれたのか
半野生の自然農法で貝とかと一緒に土器で煮て雑炊みたいにしてたのでは
大陸の争いで負けた渡来人が集団移住してきて
システム化された水田が拡大
食糧生産による人口増と農地確保の争いからヤマト王制に

731:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:33:40.22 Wi5UmAW90.net
黄河の南岸で数千年前の地層から水稲集落の遺跡が出るから、
黄河流域に米がなかったってことはない。
水稲が行われた時代とそうでない時代があるだけ。
不思議なのは、寒冷期(と思われる時代)に水稲が出現すること。
黄河の行きつく先の黄海周辺もまた同じ。

732:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:35:07.50 FVub6QU90.net
長江文明の人らを見て
驚愕したはず
手品のような色んな道具も見せられた
と思う
黒船来襲と同じ
稲作も長江文明人から学んだと思う

733:バカボンパパ
20/11/25 23:35:55.23 1ySOBiO/0.net
そもそも縄文=原始時代てのが、弥生チョン特有の無知傲慢w

734:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:36:38.72 QmZXa5xQ0.net
今の北海道のイメージと違い裸族に毛が生えてたような
縄文人ですら越冬できるほど温暖だったんだし
当時は先進国だった半島で稲作くらい普通にあったろ
水稲の伝播ルートはよくわからんが
陸稲が日本よか先は地政学的にも間違いないわ

735:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:37:44.41 Wi5UmAW90.net
黄河流域で今から数千年前に水田を作った人々が、長江流域からの移民だったのか、長江人から学んだ黄河人だったのか、
まだわかっていない。
山東半島の水稲遺跡は、朝鮮や日本列島への稲作伝播にも深いかかわりがあり、注目される。

736:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:39:47.24 RKX77jbB0.net
>>684 縄文海進の頃、東京湾に珊瑚群生があるほど暖かかった そこから下がって下がって、木の種類が変わるほど寒くなったのよ



738:バカボンパパ
20/11/25 23:39:53.32 1ySOBiO/0.net
ステンレスの箸を使うのは何百年前からだね?w
それとも最近?w

739:バカボンパパ
20/11/25 23:42:53.00 1ySOBiO/0.net
100年まで箸すら無かった韓国w

740:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:43:43.04 FVub6QU90.net
朝鮮半島で箸を使いだしたのは
俺の推測だと日本の統治が始まってから
だと思う
粟粥を食うのに箸は不便
肉食がメインだったと思うので
基本素手

741:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:44:19.00 Wi5UmAW90.net
>>695
山東半島で水田遺跡が出る紀元前6000年前って、縄文海進のピークと重なるんだよな。

742:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:46:06.78 QmZXa5xQ0.net
象牙や金属の銀箸とかは暗殺を防ぐためだろ
浅学で日本マンセーしてると恥をかくぞ
そもそも金属文化で韓国は世界に名を馳せたんだし

743:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:47:02.49 FVub6QU90.net
北京付近と同様
URLリンク(images.app.goo.gl)
レンゲを使い
粟粥を食べてた

744:バカボンパパ
20/11/25 23:50:14.79 1ySOBiO/0.net
>>698
そ、100年まで手づかみで食ってた原始人
で、いきなりステンレスw
浅い国だよ

745:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:55:49.80 RKX77jbB0.net
黄河文明の主食は粟
長江文明の主食は稲
寒冷化すると生産量で稲<粟となり
長江文明は黄河文明に飲み込まれた説

746:ニューノーマルの名無しさん
20/11/25 23:57:14.29 QmZXa5xQ0.net
藤原の俵太が将門と対峙した時に
食器が地下置きで手づかみで食ってるの見て
ああ、こいつは土人だと見切りをつけたって話が残ってるが
半島から文化もらった弥生あたりから数千年経っても上流階級ですら土人なのが日本

747:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:00:15.18 D0YuYrSa0.net
縄文時代は古墳時代や江戸時代より温暖だったけど
大陸性気候の半島北方は山も多いしそれなりに寒そうで農業には向かない
中国から黄海沿いに稲作が伝播したとすると
半島とほぼ同時期に日本まで到達してたかもしれない

748:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:03:58.75 D0YuYrSa0.net
>>704
半島文化が後退して土人化したのは何故だろう
入れ替わったというのは本当なのだろうか

749:バカボンパパ
20/11/26 00:04:03.71 2y3ByWPL0.net
日本人が難なく使える漢字も箸も、使いこなせかった劣等民族が朝鮮人

750:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:07:53.47 2YjDWzMi0.net
>>706
騎馬民族による日本征服説か?
まったくあり得ないとは言わんが義経ジンギスカンくらいトンデモ説だろう
そうまで飛躍した話はしてないつもりだけどな

751:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:15:49.41 XRKatFtY0.net
食器が地下置きで手づかみで食ってると土人か
フォークとナイフで食わないと土人
音を立てて食ってると土人って言われてるみたいな

752:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:23:38.59 2YjDWzMi0.net
>>709
庶民ならまだわかるが
俵藤太もそうだが将門も地方に飛ばされたにしろ皇族から降りた家系なんだし
いくらなんでもテーブルもない食器の直置きで手づかみ食いはないわ
それなら土人と見限られても仕方ない

753:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:24:04.07 0JE/Aa9e0.net
フォークとスプーンは日本人がヨーロッパに出入りするようになってから作られたものだから
日本人に例えるのはちょっと

754:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:26:38.00 D0YuYrSa0.net
>>709
儒教の恐ろしいとこだな
自分とこの慣習は高尚、異なるものは野蛮

755:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:29:26.99 QWSDBQ9X0.net
>>709
インドの悪口はそこまでだ。

756:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:29:30.35 2YjDWzMi0.net
>>7


757:12 東南アジアの少数民族の酋長 ぶっちゃけお前なんかより偉いけど やっぱり手づかみでメシ食うし土人だろ



758:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:32:25.76 2YjDWzMi0.net
>>709
食い方がサルと変わらんですやんか

759:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:41:04.61 alQL5id60.net
山東半島から遼東半島、そして黄海沿いに南下して北九州の稲作伝播ルートは、
遼東半島の根元(楽浪郡)を掘ってみないとわからんわな。
北朝鮮には考古学の余裕がないのだろう。
いまのところ、山東半島の紀元前2500年と、現在の韓国の紀元前10世紀、北九州の紀元前10世紀しかわからず、
順番が確定できない。

760:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:42:35.17 jpowEQXI0.net
>>716
山東半島も遼東半島も麦作地域じゃん

761:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:44:29.93 D0YuYrSa0.net
カウンター直置きの握り寿司を手掴みで食う日本人
日本では手水で浄める習慣があるように
水が豊富ゆえに流水で洗うことが普通に出来た
茶道のもてなしでも茶碗は畳に直置き
それは下品な行為ではない
儀式的に必要な時は膳で出すしそれに値しないと見れば
チャチャッと済ませるのが東国武士

762:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 00:46:39.70 D0YuYrSa0.net
>>714
おっ、本質が出てきたかな

763:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 01:02:24.14 UuzZKKmI0.net
>>717
山東半島からは、水稲遺跡も出土している。
紀元前6000年前の層の水稲遺跡が最古、その後は紀元前2600年まで水稲は見つからず、
紀元前2500年前の層から再び出土する。

764:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 01:15:11.75 KnAmoiks0.net
遼東半島の最古の水稲遺跡は、いまのところ紀元前2400年

765:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 01:36:32.98 Fbu2+hdi0.net
>>473
面白い
ゴールデンカムイや失われたユダヤ支族説とも一致する

766:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 02:23:05.19 gSiMNkEh0.net
>>670
>②水田が来ると・・・・
誰が水田なんか運んで来るものかwww

767:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 03:55:07.16 gSiMNkEh0.net
稲作伝来は諸説紛々
決め手がない
URLリンク(trc-adeac.trc.co.jp)
登呂遺跡では田一枚が二〇〇〇平方メートル(2反)以上
現代のような田植え機の無い時代に2反の水田に田植えするには家族総出、
或いは数戸の共同作業が必要だ。秋には1,000~1,500kgぐらい収穫できたのじゃないか。
1,500kgを大人1人当り60kg食べるとすれば25人分、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」では
「1日玄米4合」と書いてるから10~15人分ぐらいか。
岡山市百間川の原尾島遺跡では、検出された稲の株跡に規則性がみられたことから、
直接田に種籾をバラまく直蒔きではなく、田植えを行なっていたことがわかる。

768:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 04:31:17.33 jpowEQXI0.net
>>720
根拠となる調査資料などはお持ちですか?

769:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 05:44:32.17 jwn/H8b70.net
ところでYouTubeでやってる古代日本語講座ってのは何なんだ?、文字すらないのになんで縄文時代の発音わかんの
なんで流暢に話せんの

770:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 08:37:53.47 GTi2EUEm0.net
農耕といえるのは日本では5000年前から始まってる
青森県三内丸山遺跡のクリ
古代の言い伝えのとおりクリは3年くらいで実をつけるよ

771:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 09:06:54.80 GTi2EUEm0.net
福岡県平原遺跡の東側のやまなみ
URLリンク(image.space.rakuten.co.jp)


772:9/dea825dc799745c0b54b6b99d06c3bcca4473c7f.22.2.9.2.jpeg 奈良県纏向遺跡からみる東側のやまなみ http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/makimuku01/makimuku1312-00ou3.JPG 似てるだろ 自分は卑弥呼東遷説論者だけどそれは置いといて 1年周期で太陽が昇ってくる位置が違うわけだけど 卑弥呼は山の稜線の出っ張りや凹みを基準に 日の出の位置で稲作でやる各種作業の時期をみてたと考えてる 山の稜線が一番凹んでるところから太陽が昇る3月に土作りをして 途中の凸や凹でも各種作業をして秋になって また凹んでるところから太陽が昇る10月に刈り取りとか 三国志(歴史書)を5世紀前半の南朝の宋の裴松之がまとめなおすけど そのときに裴松之がつけた注釈にこうある >魏略曰 其俗不知正歳四節 >但計春耕秋収 為年紀 魏略(現存しない魏の歴史書)いわく、その習俗では正月(陰暦)や四節を知らない。 ただ春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている。



773:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 09:09:40.04 GTi2EUEm0.net
説明が足りないか 三国志(歴史書)の魏志倭人伝の項ね

774:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 09:25:30.30 QFaUb3bv0.net
事実は変えるなよ。

775:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 09:31:33.37 wtvKsfbv0.net
邪馬台国って北部九州にあったというのは古い常識で
今は畿内説の方が一般的と聞いたけど・・・
まぁ俺は北部九州説時代だけど。

776:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 09:58:17.09 2/P2aMyA0.net
>>16
板付は弥生時代。
縄文時代の福岡平野は海の底。

777:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 10:02:06.40 NcXNo40y0.net
縄文時代の黒曜石とか翡翠が日本海の対岸沿海州で見つかるんだもん、大陸に足を伸ばして種もみをゲットする事は簡単。航海に不慣れな大陸人が海渡って稲を持ち込むとかそんなお人よしは大陸にはいない。

778:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 10:07:36.42 2EFQvoJO0.net
夏があった頃か?

779:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 10:20:13.44 xomFk1a+0.net
>>733
>種もみをゲットする事は簡単・・・・・
稲作は芋作と違い種を蒔いた後ほったらかしで
収穫できる作物じゃないぞ。手入れと灌漑が必須。
大陸or半島の沿岸半農半漁民難民が種と栽培技術を
携えて渡海したんだよ。

780:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 11:09:20.10 Z3jH0wHe0.net
日本の翡翠や黒曜石は取引に使われてたとなんかで見た
石器時代と呼ばれてる時期でも海を挟んで意外と高度な交流をしてたんじゃないか

781:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 11:11:51.08 kmBoGxiL0.net
>>222
それ以前に、日本でいえば平安末期までの朝鮮の古文書は残っていないのだが

782:高篠念仏衆さん
20/11/26 11:17:55.73 SsgUQW6u0.net
>>663
日本見下したから滅びました、とw

783:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 11:24:36.91 0/sXx8wk0.net
妹子を女だと思って舐めやがって

784:高篠念仏衆さん
20/11/26 11:28:17.95 SsgUQW6u0.net
>>663
外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたという[6]。
煬帝からの返書は倭国を臣下扱いする物だったのでこれを見せて怒りを買う事を恐れた妹子が、返書を破棄してしまったのではないか


785:とも推測されている。 (訓令書の破棄) 何書いてあったのか?気になるなw 女よこせ!とかかな?大陸の文献が概ね正しいのなら。



786:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 11:29:52.67 ZubeXZSy0.net
日本の稲作の始まりは、約3000年前 紀元前1000年ごろ
卑弥呼伝説は、紀元200年ごろ
卑弥呼伝説と稲作はあんま関係無い

もっと不自然なのは、朝鮮半島経由論
作物としての北限を越えてる朝鮮半島では栽培できないのに無理

787:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 11:39:31.49 HnspWIJb0.net
>>741
日本に稲作伝えたのって、揚子江流域に住んでいたタイ語系の民族だろうな。
黄河流域の漢民族は小麦や高粱の文化圏だから、まず関係ない。

788:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:00:56.65 Izp/ui6i0.net
南船北馬だから優れた航行技術を持っていたのも江南の人たちだよな

789:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:04:33.39 kef4g/n00.net
>>720
黄河を擁する華北は戦国時代まで
アワと稗(両方イネ科)しか作って無かったから
黄河は氾濫して上流から栄養価の高い砂を毎年持ってくる
そのお陰で肥沃な大地だったの
だから
例え水田の遺構でも直ぐに砂に埋もれて使えなくなる
黄河周域てそんな土地なんだよ
其れに
乾燥した寒冷気候で
南方植生の水稲種はどう考えても無い
まだまだ理由はあるぞ

790:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:10:50.51 XRKatFtY0.net
>>743
弥生土器に描かれた船の線画って多いよね
最近、頭に鳥飾りある人間の線画が話題なったけど
渡り鳥のように海を渡るみたいな意味があるのかな

791:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:11:36.61 YVt9/Rx20.net
稲が伝わるのと、稲作文化が伝わることを混同しても意味ないと思うけどな

792:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:13:13.62 JrJWT10E0.net
>>744
古代山東半島の稲作について
ネットで読める論文としては、これら
アドレスが貼れないので、論文のタイトルと著者名を貼っておく
(山東半島や遼東半島は黄河の氾濫域ではない)
Archaeobotanical records of Middle and Late Neolithic agriculture
from Shandong Province, East China, and a major change in regional subsistence during the Dawenkou Culture
Guiyun Jin
Mayke Wagner
Pavel Tarasov
Fen Wang
The Impact of Climate on the Spread of Rice to North-Eastern China:
A New Look at the Data from Shandong Province
Jade d’Alpoim Guedes
Guiyun Jin
R. Kyle Bocinsky

793:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:16:19.67 Xh8pxfhO0.net
①日本は畑作さえもしてなかったので技術から道具まで全て外来
②石包丁などの道具は半島の影響の強い物
この事から
日本固有の農法が発展したとか、日本から周りに伝わったという話はほぼ不可能
時期に殆ど差は無いが半島経由をしてるだろう事はほぼ疑いない

794:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:26:05.99 HnspWIJb0.net
>>746
稲だけ伝わっても意味ないんだよ。
稲作って水田や水路の為の土木技術から、適切な田植え時期を知るための暦、労働管理、収穫後の貯蔵方法や脱穀の技術等々、様々な要素の複合体だから。
稲藁の利用方法みたいな副産


795:物も含めてね。



796:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:26:51.14 JrJWT10E0.net
>>725
>>747

797:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:28:35.32 qY7xTGk30.net
>>748
時期に差がないなら経由じゃなくて同時に伝播なのでは

798:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:36:23.90 Xh8pxfhO0.net
>>751
上で書いたようにもともと農業を全くやってなかったことと、道具が半島の影響の強い物だからな
殆ど同時でも一度半島を経由してないとこうならないだろう

799:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:39:35.41 ZubeXZSy0.net
道具云々は、眉唾

800:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:44:15.96 XRKatFtY0.net
日本最古の水田跡が半島最古の水田跡とほぼ同時期
半島で見つかっている道具が、最古の水田跡よりさらに古い系譜であるなら
その影響を受けたと言えるが、水田なしで水田用道具というのもなかなか

801:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:45:08.97 b+O/SrDw0.net
>>718
日本は古くから箸を使ってたから衛生的には優れてた
ヨーロッパ人は中世の時代まで手づかみでフォークを使うように
なったのはかなり後

802:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 12:52:07.00 ZubeXZSy0.net
鉄の歴史
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
朝鮮論を論破

803:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 13:10:43.80 Xh8pxfhO0.net
>>754
水田の道具と言うよりも畑作の道具
石包丁はキビやアワにも使われているからね
その道具が水田に用いられている
この使い方から考えてやはり畑作を一切やってなかった日本は半島から経由して伝達したというのが自然だと思う
>>756
その鉄器の話は弥生の鉄の異常な古さや過大評価を訂正した話だよ
稲作伝来の話じゃない

804:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 13:29:50.58 XRKatFtY0.net
>>757
石包丁は華北でアワの収穫具とし発生し、長江の稲の収穫具としても使用
北九州と朝鮮半島南部から出土するのは、長江下流の石包丁と同じ形式
だそうな

805:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 13:35:31.33 UtbQ52YQ0.net
稲作が朝鮮から伝わったとか主張する割には
朝鮮の水田遺構って日本のものより年代が下ってるのよな

806:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 13:37:24.30 HnspWIJb0.net
>>758
揚子江流域の方が朝鮮半島より遥かに先進地域なのだから、当然の話だよな。

807:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 13:51:52.89 LK4nUuc30.net
水田がインドネシアあたりからの渡来なのか日本で発達した技術なのか迷うところだが、大陸から伝わったとはどうにも思えないんだよなあ。

808:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 13:58:59.65 zQZZwrQO0.net
>>747の2個目の論文読めば
山東半島から遼東半島経由の朝鮮半島への稲作の移動はありえないことがわかるな

809:高篠念仏衆さん
20/11/26 14:01:57.47 lLw9Jdp40.net
>>747
やっぱり半島なんだ?!

810:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 14:25:46.31 6UNcekoP0.net
東アジアの言語地図 (オハイオ大学の言語学者 J. Marshall UNGER 氏が作成)
URLリンク(www.oeaw.ac.at)

この地図はわかりやすいですね
900-200 BCE、日本語族が半島から南下し、勢力を拡大
縄文語族(蝦夷アイヌ・隼人)がグイグイと列島の両端に押し出されていった
つまり日本語族は列島在来の集団ではなかった もともと朝鮮半島にいた人たちだったんですね
つまり日本人は列島の侵略者であり、朝鮮半島の先住民だったんですね

811:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 14:36:40.19 wtvKsfbv0.net
任那日本府とかじゃね?

812:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 15:42:39.83 bEbfWeuV0.net
朝鮮半島での水田跡は日本より100年くらい前のものしか見つかってないが
稲作の痕跡は500年前からあるんだよ
土器に籾痕が残ってるから
朝鮮半島の青銅器時代(


813:紀元前1300年前)にはイネ・アワ・キビがセットになって検出されてる アワキビだけに関しては新石器時代中期には普及していた可能性が高い



814:高篠念仏衆さん
20/11/26 15:58:04.05 YB/QeW2B0.net
👩私朝鮮人で良かった

815:高篠念仏衆さん
20/11/26 16:09:05.52 YB/QeW2B0.net
>>726
朝鮮半島は古代どう発音していたかわからない
漢字だからねw

816:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 16:10:16.46 alR+0VYM0.net
竹田恒泰氏 「日本人のY染色体DNA、周辺民族と比べて多様」
スレリンク(newsplus板)
「和の精神、先史時代から」 「血縁で結ばれた天皇と国民」

817:高篠念仏衆さん
20/11/26 16:28:38.35 YB/QeW2B0.net
>>726
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
이두(イドゥ)
ヤンキー文字
魔苦怒奈流怒みたいな奴🍔
향찰ヒャンチャル
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
朝鮮版万葉仮名
吏読이두は漢字の音と訓を利用して朝鮮語を表記しているが、漢字の読み方は古くからの読みが「慣習的に」伝わっている。それらの中には中期朝鮮語とも異なる吏読独特のものもある。

818:高篠念仏衆さん
20/11/26 16:33:30.42 YB/QeW2B0.net
コンピューターに入れれば
琉球語と日本語がわかれた時期まで
はっきりわかるらしいけど。
3世紀の弥生時代末期から4世紀 - 7世紀の古墳時代

819:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 16:41:17.90 XRKatFtY0.net
>>766
500年前とすると3000年前
殷の箕子が朝鮮に国を建てた箕子朝鮮の伝承に合致するね
礼儀・農業・田作・養蚕・機織を伝え教えたのは正史だったか

820:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 16:44:19.95 gSiMNkEh0.net
>>747
アドレス(url)2個ぐらいなら貼れるぞ

821:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 16:48:21.96 MFZYl6zi0.net
古代から朝鮮半島からあらゆるものを盗んできた悪人の末裔が俺たち糞喰いジャップなんだよな
知ってた

822:ニューノーマルの名無しさん
20/11/26 16:49:35.44 iNTNhKP70.net
>>758
日本の最古の水田遺跡の菜畑遺跡から見つかる石包丁は摺り切り式の切り目が入れられたもの
これは朝鮮半島で特有の道具
伝来の流れを考えるにやはり道具から農耕の技術一式を半島をいったん経由していると考えるのが自然

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