【元寇】モンゴル軍が用いた「てつはう」に殺傷能力はあったのか ★3at NEWSPLUS
【元寇】モンゴル軍が用いた「てつはう」に殺傷能力はあったのか ★3 - 暇つぶし2ch208:名無しさん@1周年
19/10/13 10:53:38.07 41m4LWfy0.net
>>207
モンゴル軍の精鋭はほとんど来てないんじゃなかったっけ?

209:名無しさん@1周年
19/10/13 10:55:59.45 eoOfZZks0.net
>>204
>南京で30万人も大量破壊兵器を用いないで殺している
中国の現王朝が正当性を主張するために用いるよくあるプロパガンダ
中国数千年の歴史で毎度のようにこんなのある
前王朝が一億人殺したとか
実際には死者数はその100分の1以下で
しかも現王朝が前王朝を殲滅する際に関係ない住民も殺したのが死守数の9割以上とか

210:名無しさん@1周年
19/10/13 10:57:05.59 2HdRm2m70.net
>>115
クビライは征服地の人間を積極的に登用してる
日本への5回目と6回目の使者の趙良弼は
元に征服された金の出身だけど宮中図書館長だし、
日本でも正気の歌で有名な南宋の文天祥は
元に敗北して捕らわれた後にクビライから
何度も何年も自分に使えるように勧誘された
(拒否し続けて処刑された)
少なくともクビライは、人間は人的資源であり
能力ある人間を発掘登用することに
メリットがあるということを理解してる

211:
19/10/13 10:58:12 kC/B79AW0.net
>>208
モンゴル軍は現地調達した軍で攻撃するのが基本だよ
高麗や宋人で構成された軍が日本攻撃のモンゴル軍の精鋭部隊

212:
19/10/13 10:59:37 eoOfZZks0.net
>>208
モンゴル軍の精鋭って騎兵だからな
攻城兵や水軍は外人だろ

モンゴルと戦った国の軍隊も重装で敵に突撃するだけとか
こんなので機動力の高いモンゴルに勝てるはずない

もしこの時代に方陣つくって戦ったらどうだったんだろ?

213:名無しさん@1周年
19/10/13 11:00:23.81 QqW4wHDt0.net
ハンモックみたいな投擲用具に乗せて、
複数人で投げればいいしょ
なんで一人で砲丸投げしなくちゃならないの

214:名無しさん@1周年
19/10/13 11:01:14.36 2HdRm2m70.net
>>207
活躍してるモンゴル人力士とかのスポーツマンは、
沢山のモンゴル人の中でも特に優れた一握りの人だからね
何千何万のもモンゴル人がみんなそんなに強いわけじゃない
日本人がみんなイチローや室伏みたいじゃないのと同じ
>>208
軍隊も征服地の人間が登用されているので
元軍=モンゴル人+征服地の人間

215:
19/10/13 11:05:50 oqAPEzzT0.net
>>204
トルコ人もかなりの古強者、第一次世界大戦で人口120万人のアルメニア人地区で
アルメニア人を300万人も叩き殺したことになっている
アルメニア人もスゴイ、なんと最低3回は死ねるらしい、まさにゾンビ
ちなみに去年までは200万人だったが、一気に5割増しに増えた
もっとも5年前は100万人だったが・・・

216:名無しさん@1周年
19/10/13 11:06:57.03 ldNHwbAc0.net
>>171
石投げ器ならあったけど主に狩猟用
技術がいって手頃な石って狩猟なら再利用できるけど
なかなか戦場では数が用意できないし矢と違ってわざわざ重いの運ぶのもなんだし
当てても相手がかたわになるくらいで戦後捕虜人買いに出すにも使い物にならなくて
治療も困難 矢でなくそれを使ってくるのって貧乏だから勝っても旨味が無いし
死んだらまだ後腐れがないぶん卑怯といわれてて日本の戦闘では好まれなかった

217:名無しさん@1周年
19/10/13 11:09:57.76 kZXqJZNH0.net
 > 九州武士の寝返りを警戒はしてるんじゃないかな
 > 援軍かつ監視役の意味合いもあったと思う
例えば、松浦党の祖である源久は 源平合戦 の壇ノ浦の戦いでの平家方水軍の主力だし
源平合戦、承久の乱での敗者支持側、など九州には中央から警戒される武士団が多い
今回、幕府本隊に全く見せ場がない
そこで、体制から離れた監視対象である九州武士の功績をなかなか認めない一方
、神風、だとか唱えた西大寺など、寺社勢力に祈祷料や恩賞を与えたのが北条政権
>>115  >>117 領地および、領民、が資産
 遊牧国家 ゆうぼくこっか  ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
> 実力主義で王位を継承することが多かったため争いが頻発し,いずれも分裂したり,
> 短命国家に終わることが多かった。
 遊牧民の慣習である、「領地領民の分割相続」により君主の弱体化・内乱を招く
 征服した各地の文化に染まり遊牧民の文化が薄れる
 「四方八方戦争吹っかけて回ったツケ」であちこちで叛乱
つまり征服戦争により拡大するが、その疲弊、各地での叛乱、さらに王族同士ガチ内戦など
短期で弱るのが 遊牧国家 の必然

218:名無しさん@1周年
19/10/13 11:10:33.38 +r8bTdnD0.net
なんでほかの歴史的仮名遣いの用語は現代読みに直されてるのに、てつはうだけてっぽうにならないの?

219:名無しさん@1周年
19/10/13 11:13:35.40 eKwi2Adk0.net
>>213
投げてる奴にしろ投石器見たいのにしろ絵には描かれてない
そういう奴が居れば必ず描くと思うけど かなり珍しいから
防御線構築用の設置型とかもあり得る

220:名無しさん@1周年
19/10/13 11:14:32.36 dDYT9i0H0.net
>>218
戦国時代に使用されはじめた
火縄銃も鉄砲って言うだろう?
それと区別がつくように、じゃないか?

221:名無しさん@1周年
19/10/13 11:15:11.07 TfO4i3L+0.net
>>209
いや ロシアから南下していく間に村々を徴発していく際に逆らった奴を皆殺ししただけで
気付いたら30万人で虐殺じゃないんだよな ただ崖から突き落としてた
南京では数百人も死んでいない ラーベの日記では戦闘すらなく3名の犠牲者だけだった 10万倍捏造
ただし川は何処かから流れ着いた死体の山になってたが身元不明 クチナシ

222:名無しさん@1周年
19/10/13 11:19:29 0/lsmiuk0.net
騎馬戦術だけだったのはチンギス・ハーンのときぐらいで
世界征服を進めてるうちに各種戦法戦術も覚えた
自分でやらなかったのは海戦ぐらいでしょう

223:
19/10/13 11:21:05 iWMs8G4s0.net
生粋のモンゴル人なら四キロのてつはうを投擲できたかもしれん
しかし主力のちょうせんじんでは…

224:名無しさん@1周年
19/10/13 11:22:57.92 0/lsmiuk0.net
戦闘員にとって刀剣での戦いは最後の手段だよ
騎馬兵は弓射、歩兵はパイクなどの長物が基本
刀剣は補助兵器でしかない
刀でバッサバッサなんて掃討戦かテレビの時代劇の見すぎ

225:名無しさん@1周年
19/10/13 11:24:25.61 N9HR0DRU0.net
馬がお腹から血を垂らしているんだが

226:名無しさん@1周年
19/10/13 11:24:37.48 oqAPEzzT0.net
古代ギリシャでは投石もする市民軍軽歩兵部隊がいた
彼らは鎧も楯もまともな武器も自弁できない貧乏な市民たちだが
投石で重装歩兵の隊列を崩し、味方の勝利に貢献する場合もあった
傭兵隊ともなると専用の金属玉を使い、約400m離れた重装歩兵の鎧ごと貫通したという
クセノフォンの「アナバシス」に投石部隊の話しが出てくる
でも投石器は簡便な武器だが習得が弓より難しかったためすたれてしまった
現在では牧羊のときオオカミを追い払うのに使われるくらいらしい

227:大島栄城 ◆n3rBZgRz6w
19/10/13 11:25:33 TVcs7Lo40.net
これ、近代戦闘でもイラク戦争にいった州軍兵士、みんな脚やられて立てないの結構多い
いまもだ、オバマケアがあってもまだ苦しんでるのも居る
イスラム教徒が脚集中してねらってるのか狙撃してるのかシランが


ただの足止めでも、結構効く場合もあるんでは

228:名無しさん@1周年
19/10/13 11:26:41.54 Dajfb8a90.net
要するに村上水軍とかが使ってた焙烙玉だろ
大けがぐらいはするだろ

229:名無しさん@1周年
19/10/13 11:28:25.04 A5KlKOfi0.net
>>208
家族同伴で来た将軍クラスのモンゴル人が全員処刑された記録があったな

230:名無しさん@1周年
19/10/13 11:29:06.14 vfNxVg6J0.net
内陸のモンゴルが海軍?てずっと疑問だったけど「ほとんど属国の朝鮮兵だった」て何かで読んだ
これってヘイトのフェイク?

231:名無しさん@1周年
19/10/13 11:30:21.36 A5KlKOfi0.net
この時代の日本刀は名刀として珍重されてきたそ、今でも当時の技術を再現できないという

232:
19/10/13 11:39:52 TfO4i3L+0.net
>>225
原画では矢が刺さってやられそうなんだ てつはうでやられたわけじゃない 離れたところで爆発ナニアレ

233:名無しさん@1周年
19/10/13 11:40:24 mImi9xVh0.net
ベトナム人が最強
古代モンゴル軍とアメリカ軍の両方に勝った唯一の民族

234:名無しさん@1周年
19/10/13 11:45:30.69 IAito1p70.net
>>122
今はNHK高校講座でも学者さんが言うのが
「何で1日で帰ったのか?何で天候待ちしなかったのか?」
負けてなければ慌てず4日~7日風待ちして南風で晴天の日に出航してた

235:名無しさん@1周年
19/10/13 11:48:00.45 lEg6RRwW0.net
>>227
狙撃は必殺以外に怪我人出して救助者を狙ったりいろんなやり方がある。
苦しむさま見せるのは心理的ダメージもあるし。
鉄砲も命中率以上に爆音でびびらせる役目がでかかった
>>233
ベトナムは歴史とおしてパねえよな。

236:名無しさん@1周年
19/10/13 11:48:19.39 iWMs8G4s0.net
夜になって船に戻ったところを侍たちが小舟で夜討ちしたんだよな

237:名無しさん@1周年
19/10/13 11:51:36.02 YRgta0ZQ0.net
>>230
当時の朝鮮半島の高麗も元寇に参加してはいる
ただし第一次の文永の役でも第二次の弘安の役でも高麗兵の割合は半分以下
文永の役では船員と合わせても高麗軍一万二千七百人、
元軍(元が征服した地域の人も含む)は二万だから元軍の方が人数は多い
弘安の役では江南軍、旧南宋人が十万と最大
元軍と高麗軍を足しても四万
元軍は南宋攻略によって南宋の海軍や貿易港も手に入れているので海軍=高麗ってわけでもない

238:名無しさん@1周年
19/10/13 12:01:57 hlMgkJP/0.net
>>200が正しい

239:名無しさん@1周年
19/10/13 12:15:50.61 cDeIbg5H0.net
しかし戦争に強いってだけならまだ分るが、車もない時代によくあんな広大な領域支配できたよな
しかも遊牧民なのに継続して支配してるし

240:名無しさん@1周年
19/10/13 12:17:58.43 M5XLUng50.net
まあ短い距離で相手を驚かせる程度の効果はあったが、戦闘力にはなってない。
世界にない騎馬重武装弓兵かつまた鍛え上げられたプロの戦士集団である
「鎌倉武士」の一方的勝利が元寇。
まだ騙されてる人が居る神風は、仏教勢力が自分達の成果にするためのウソ宣伝。
けど調べればすぐわかるように、1回目の元寇は初冬で台風の影響なし。
二回目は防御壁でどこにも上陸できない元軍に、鎌倉武士が海戦を挑み
蹴散らして元の主力は真っ先に敗走。残された元の兵が小島に
逃げ込んだ時に季節の台風が来て、元兵は帰る手段を失い抵抗戦になっただけ。
その手柄は大陸の情勢を監視してずっと前から反撃策を準備していた鎌倉幕府にある。
関東武士を大量に送り込んで九州の兵力を増強。
名乗りや一騎がけは「褒賞なし」と禁じて、騎馬重武装弓兵の集団訓練を怠らなかった。
当時の騎馬重武装弓兵の絵↓
URLリンク(i.ytimg.com)

241:名無しさん@1周年
19/10/13 12:39:41.76 6MFa5slb0.net
朝鮮が属国になってたぐらいだからあるだろ

242:
19/10/13 12:41:34 cDeIbg5H0.net
南宋は滅ぼしたのに高麗は滅ぼしてないんだよな
「こらあんまり関わりたくないとこだわ」と思ったんかな

243:名無しさん@1周年
19/10/13 12:46:30.18 aHf+eX680.net
「ボウリングの歴史は古く、7200年前のエジプト古墳からも木のボールとピン、大理石のゲートなどが発掘されている。
 さらに紀元2~3世紀には、ゲルマン人の祖・チュートン人による原始的なボウリングが存在した。
 そして4世紀以降の中国大陸では、寺院の長く狭い回廊で、ピンを悪霊に見立てて打倒するゲームに変わっていった。
 うまく倒した場合はそれだけ信仰心の篤い者として評価を受け、逆にミスをした場合は祈りの努力の少ない異端者と批判された。
 こうして仏僧の間で行われていたものが4世紀以降、一般庶民にも広まっていき今のボウリングの原型となっていく。
 (中略)
 このように儀式やゲームとして世界に広まりつつあったボウリングを、一つの武術流派として昇華せしめたのが
 7世紀後半における少林寺武術師範の一人であった暴麟愚(ぼう りんぐ)である。
 少林拳法鍛錬の際に生み出される打岩を誤って転がし多数の死傷者を出した際に着想したと言われるが、詳細は定かではない。
 わかっているのは暴が創始した武術が以後脈々と受け継がれ、第2代モンゴル帝国皇帝オゴデイの時代には、
 モンゴル軍の正式な戦闘術の一つとして大規模に採用されていたということである。
 当初は手刀で球状に削り出された岩球を用い、やがて量産鋳造されたやや小さめの鉄球を一斉多数投入するようになり、
 時として油を染み込ませた木球に着火したものが投じられる場合もあったという。
 そして第5代皇帝クビライの時代には、球体内部に火薬と破片を充填し敵中で爆裂させるタイプのものが主流となっていた。
 これが元寇の際に日本の武士団を大いに苦しめたと言われる「鉄炮」(てつはう)の正体である。」

244:名無しさん@1周年
19/10/13 12:48:30.23 BbWTz7zX0.net
てつはう殺傷能力実験
URLリンク(youtu.be)
てつはうを船上からカタパルトで放つには
日本軍が放つ和弓の射程外から放たなければならない
重たい砲丸と弓矢では弓矢の方が射程が長いだろう
馬を驚かせて制御不能に陥らせる為ならば爆竹で事足りるだろう

245:名無しさん@1周年
19/10/13 12:58:32.31 5dRf8BFa0.net
>>242
朝鮮半島は、中原、北方など大陸王朝から地続きで侵略が容易なのに
不思議と直轄支配は逃れてきた。
理由は色々あるんだろうが、直轄支配するより服属させた方がコスト的
に安いというのが大きかったんだろうな。

246:名無しさん@1周年
19/10/13 13:46:39.82 YhZH6wtm0.net
>>240
>1回目の元寇は初冬で台風の影響なし。
あんたの言う通りに調べてみたら、文永の役で台風が来たのは10月20日だぞ。
きのう10月12日に日本に台風が来たの知らないのか?

247:
19/10/13 13:50:17 YhZH6wtm0.net
>>240
旧暦と勘違いしてたがこんなのあるじゃん。
11月30日に和歌山に上陸してる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)平成2年台風第28号

248:名無しさん@1周年
19/10/13 14:25:25.22 TfO4i3L+0.net
必死に台風言うけど福岡は大丈夫 東北の心配してなさい
元寇で勝ったのは台風のおかげってのがチョンの捏造報告
事実は鎌倉武士と九州防人が世界最強兵だったってだけ 世界でな モンゴル雑魚野蛮人

249:
19/10/13 14:36:40 YhZH6wtm0.net
>>248
悪いが俺は福岡。
日赤病院生まれでその隣の中学に通った。

250:名無しさん@1周年
19/10/13 14:39:51.62 hdHfAOhs0.net
>>245
あんなどん詰まりの半島じゃな
攻めるに易く守るに難い、農業に豊かな土地でもないし直轄支配しても良いことが何も無い

251:名無しさん@1周年
19/10/13 14:46:58.24 gCDI+3Xz0.net
モンゴル軍には革製の簡易投石具なんかは無かったのかな?

252:名無しさん@1周年
19/10/13 14:52:20.34 C21zYIme0.net
>>11
そもそもてつはうは鉄砲でも大砲でもなくて手榴弾に近いし
絵でも鉄砲た大砲っぽく描かれてなんかないけど

253:名無しさん@1周年
19/10/13 14:52:55.93 M5XLUng50.net
>>247
万が一、恐ろしく季節外れの台風があった可能性はゼロではない。
また九州が晴天であったのに、半島との間で影響を受けるコース
だった可能性も同様。
しかし、早朝に上陸し橋頭保も築けずに総員撤退。軍議で帰国を決めた。
>クドゥン「孫子の兵法に『小敵の堅は、大敵の擒なりとあって、
>少数の兵が力量を顧みずに頑強に戦っても、多数の兵力の前には結局
>捕虜にしかならないものである。疲弊した兵士を用い、日増しに増える
>敵軍と相対させるのは、完璧な策とは言えない。撤退すべきである」
『高麗史』URLリンク(ja.wikipedia.org)
無謀な夜間撤退で玄界灘を渡った異常行動の理由は明らかではないが、
元軍が嵐に会ったのは撤退してからの話
(日本の本軍はまだ途上。九州からも武士がまだ続々集まる途中)

254:名無しさん@1周年
19/10/13 14:54:16 C21zYIme0.net
>>242
直接支配はしてないけど歴代高麗王に元の皇女娶らせてガッツリ関わってる
元の使者に捕まって連行されて流罪にされた王もいるくらい内政にもガッツリ

255:名無しさん@1周年
19/10/13 15:08:44 IAito1p70.net
>>247
文永で神風と言い出したのは戦後になって初めて

文献の状況から通常の前線通過
高麗の航海技術と船の性能では南風の晴でないと北上できなかった
船乗りは経験で偏流を覚えるから、この航路は夜間も霧がでても厳しい
この季節は数日風待ちするのが普通で
出航できるのは7日のうち2日だけとか1日だけとい学者もいる

天候待ちせずに即日出航している
つまり湾内に停泊できないほど負けてた

鎌倉部会は京大閥が権力もってて、ここが只管捏造してた
元高麗を捏造してまで持ち上げ、日本を嘘を重ねて無能で弱く非合理だと貶してた

256:名無しさん@1周年
19/10/13 15:24:28 C21zYIme0.net
>>27
日本列島深く侵略してたなら台風を陸地で耐えるだろうし
そもそも船では日本列島深くまで大進軍できない

257:名無しさん@1周年
19/10/13 15:25:32.93 kfdFYj0D0.net
>>218
鉄砲とは違う武器だからな
自動車と自転車より仕組みが違う

258:名無しさん@1周年
19/10/13 15:29:56.35 C21zYIme0.net
>>255
元の方が日本遠征自体が非合理的なんだよな
南宋包囲網といったって日本は南宋が滅亡しそうだからって
援軍出すほど親しいわけじゃないから
別に日本落とさなくても南宋には勝てるし
渡海他の不利な条件多数を無視してまで攻め込む必然性ある理由はなかった

259:名無しさん@1周年
19/10/13 15:30:45.49 5dRf8BFa0.net
てつはうは、今でいう榴弾砲だわな。

260:名無しさん@1周年
19/10/13 15:33:40.01 kfdFYj0D0.net
>>235
でもスナイパーの位置がバレたら倍返し食らって死ぬんじゃないか

261:名無しさん@1周年
19/10/13 15:35:23.85 hdHfAOhs0.net
>>258
だから体の良い厄介払いという説に信憑性が有る
征服地の兵力を使い捨てて減らす思惑があるから、
上手く日本を征服出来れば良し、失敗してもそれも良しと
どっちに転んでもモンゴル帝国の不利益にはならないという

262:名無しさん@1周年
19/10/13 15:44:25.82 VuolMP7W0.net
テツ「はうっ」

263:名無しさん@1周年
19/10/13 15:51:43.91 TfO4i3L+0.net
>>261
確か前の方で高麗とかが日本もヤッてってしつこく交渉したからと言ってた
モンゴルのアイデアとは違うようだがね

264:名無しさん@1周年
19/10/13 15:56:11.83 K01cpDIm0.net
>>4
その韓人の国王が、日本征服をクビライに何度も進言して実行して大失敗したのが元寇

265:名無しさん@1周年
19/10/13 15:57:15.85 FBcBemNY0.net
>>261
メリットがない南宋出身兵はやる気がなく、逆に日本を征服したがっていたのは高麗だったからそれも大きいんだろうね。

266:名無しさん@1周年
19/10/13 16:00:00.43 dAoZ3ruj0.net
韓国軍は昔から弱い

267:名無しさん@1周年
19/10/13 16:03:20.46 J9a0aFzt0.net
アンゴルモア対馬編では漢人部隊が使ってたな

268:名無しさん@1周年
19/10/13 16:19:29.53 8IW6nFLu0.net
二回目の元寇のとき後続部隊が到着するのを待って三か月も海上で待機とか
そうしてる内に台風シーズンに突入
戦略ミスの大チョンボやろ
大陸で後続部隊が完成するまで待機して一緒に侵攻されたら日本は大苦戦してたやろな

269:名無しさん@1周年
19/10/13 16:20:22.36 uY3ega7+0.net
ただの脅しの武器でしょ
爆竹の大きいのでしかない
もし殺傷能力が高く武器として実用性があれば
日本人ならとっくにコピーして殺傷能力を高めて量産してるから

270:名無しさん@1周年
19/10/13 16:23:42.92 eJH7b6+E0.net
どうして素手で投げる前提なんだ
ハンマー投げは7キロのハンマーを80m飛ばす
てつはうも紐で投げればいいだろ
いきなり自陣に爆発物が飛んできたらやばいってわからんか?

271:名無しさん@1周年
19/10/13 16:24:42.03 AQuKQlJq0.net
モンゴル弓騎兵に幻想抱いてる無知多すぎ
歩兵弓兵を主体とする元の蒙漢軍はカイドゥのモンゴル弓騎兵を圧倒してるから馬を何万頭運んでも意味がない

272:名無しさん@1周年
19/10/13 16:25:56.37 eJH7b6+E0.net
>>269
当時の日本は騎兵が主体
馬上で使えない武器は使わない
クロスボウなんかがわかりやすい
また火薬を使うノウハウがないからコピーも不可能だったろう
鉄砲を量産出来たのは火薬の原材料硝石の輸入ルートが成立したからだ

273:名無しさん@1周年
19/10/13 16:37:58.38 TfO4i3L+0.net
>>269
それもないでしょ
日本人って古い慣習に縋りつくだけで新技術はバカにするだけの精神論

274:名無しさん@1周年
19/10/13 16:39:25.05 lsq4L4f40.net
使った記録が図面だけなら、
蒙朝軍「新兵器を日本へ送れ!」
日本軍「ああ、ビックリしたーw」
で終わりって云うだけでしょ!
後にも先にも出てきたのはこの図だけ。
朝鮮軍「どうか改良を!」
蒙古軍「アホか!」
日本軍「アレ何だったんだろ?」

275:名無しさん@1周年
19/10/13 16:40:32.97 eJH7b6+E0.net
>>273
長槍、火縄銃、ライフル、マシンガンとか最新技術を好むよ

276:名無しさん@1周年
19/10/13 16:40:47.60 TfO4i3L+0.net
>>270
大野城も水城もただ岩を積み上げただけだから自陣とか言われてもね
太宰府には幅広い堀があるから近づけなかったんでしょ

277:名無しさん@1周年
19/10/13 16:42:44.32 87Q8334n0.net
ジャーンジャーンジャーン、ドカーン!

278:名無しさん@1周年
19/10/13 16:43:25.89 eJH7b6+E0.net
ちなみに焙烙玉っていうほぼ同じ構造の武器が存在する

279:名無しさん@1周年
19/10/13 16:44:41.38 4JMwQKJU0.net
九州の武人は最強か?
URLリンク(www.sankei.com)
>広く流布した話ではないが、関係者に根強い伝説がある。いわく「九州の将兵は強い」。
九州は古代から、わが国防衛の最前線であり、先の大戦をはじめ、勇猛ぶりは敵将をさえ驚かせた。
現在の自衛隊を見ても、「最強」の呼び声も高い部隊が集まり、南西防衛を担っている。「九州最強説」はどのように生まれたのだろうか。

280:名無しさん@1周年
19/10/13 16:47:20.83 3Bnr+hMC0.net
弓を盾で防いで近づいててつはう投げて混乱させてから乗り込めばいい
盾兵 投擲兵 斬り込み兵を用意すればいいだけ

281:名無しさん@1周年
19/10/13 16:51:37.28 rriiNWTC0.net
モンゴル軍ってヨーロッパを恐怖に陥れションベン漏らすほど、びびらしてんだから凄いなぁ!

282:名無しさん@1周年
19/10/13 16:52:44.34 nkWVpf+S0.net
蒙古襲来以降日本にも伝わったけど
魔改造される事も無く廃れたから役に立たなかったんじゃないか

283:名無しさん@1周年
19/10/13 16:56:21.58 FBcBemNY0.net
>>273
アメリカも「45口径と9mm弾に威力的大差はない」と化学的に結論が出たのに、頑なに45口径を使い続けようとしたから日本だけの話じゃない。

284:名無しさん@1周年
19/10/13 16:57:32.86 4xaN/bHQ0.net
殺傷能力はあったのだろうけれど
海を渡ってきたものだからパルティアンショットを騎馬なし弓兵での運用においても似たような戦況を作り出すため
主に後退時に追撃されない用途として考案し製造してみたが
しかし元側は後方が海だから期待した運用、効果が得られず
でそのままお蔵入りてな感じでは
まあ妄想だけれども

285:名無しさん@1周年
19/10/13 17:00:13.99 TfO4i3L+0.net
まぁモンゴル帝国滅びてるから誰も振り向かないif技術なんだろう もしてつはうが~

286:名無しさん@1周年
19/10/13 17:00:27.39 lsq4L4f40.net
>>279
元軍は対馬を襲い、かなり手こずった←本当
元軍は船の舳先に奴隷を吊るしたが、九州武将は遠慮なく襲い掛かった←多分本当
元寇軍は船に逃げて休むしか無かったが、そこへ夜襲←本当
貴重な飲み水もウンコ水で汚染された←本当
上陸作戦って、当時はかなりのリスク有ったんだよ。

287:名無しさん@1周年
19/10/13 17:08:05 eJH7b6+E0.net
>>283
いや、弾が亜音速でサプレッサーと相性がいいからだが

288:名無しさん@1周年
19/10/13 17:12:37.45 5dRf8BFa0.net
>>282
火薬を日本で自製することができなかったからと推測。
戦国時代でも火薬の原料の一つである硝石は輸入。人造品で代替
することもできたけど戦役の需要を賄えるほど大量生産はできなかった。

289:名無しさん@1周年
19/10/13 18:00:10.53 C21zYIme0.net
>>268
そもそも文永の役で4万で舐めプしたこと時代が戦略ミス
どう考えても日本落とすには足りないし
その結果次の弘安の役までに日本は防塁建造など防衛体制整えたから
次の弘安の役では前より不利になった

290:名無しさん@1周年
19/10/13 18:06:32.14 Hv9PMmdg0.net
>>239
中国部分にかんしては、官僚機構が残っているのでそれにのっかれば割と効率的に
管理できたんだろうね。また、中央アジアから西アジアにかけては人口密度が
低いのと、現地部族が力を見せれば帰順するくらいの弛い紐帯なのでひとまず服属させる
のはできるんじゃないか。

291:名無しさん@1周年
19/10/13 18:15:30.54 1j30LOo40.net
>>278
焙烙玉は爆発弾というより燃焼弾だから、構造は似ていても武器としては全く用途・効果が異なる?

292:
19/10/13 18:18:38 0N4zDmMS0.net
元に大敗したのって対馬と壱岐の防衛戦だけじゃん

293:名無しさん@1周年
19/10/13 18:35:29 uVNtO2LI0.net
ウンコ攻撃って高麗軍にはご褒美やんけw

294:名無しさん@1周年
19/10/13 18:38:40.44 wDqeH1680.net
>>292
結局戦いは数だからな

295:名無しさん@1周年
19/10/13 18:42:07.88 AQuKQlJq0.net
>>294
おっとハンガリーとドイツ・ポーランドの悪口はそこまでだ

296:名無しさん@1周年
19/10/13 18:47:41.53 1OWnud8b0.net
>>268
日本軍が強すぎて上陸出来ず後続を待つしかなくなっただけだぞ
海上だと日本軍に攻撃されないからな

297:名無しさん@1周年
19/10/13 18:49:49 BbWTz7zX0.net
>>284
使いどころが難しいよな
1番効果的な使用法は高地から転がすくらい
しかし、そんな環境ではない
それか、巨大な大型船に大型のカタパルトを積んでたか
後の鄭和の船が137mあったらしいから、1/2サイズくらいの軍艦があったかもしれない

日本はジャンク船の隔壁構造を研究しなかったのかな
楷船は百年後に明から琉球に渡った改良型だし
西洋でも元寇から数百年後だ

298:名無しさん@1周年
19/10/13 19:34:39.11 YhZH6wtm0.net
>>279
旧軍最強十八師団

299:名無しさん@1周年
19/10/13 23:41:43.78 f61+KjDd0.net
>>164
長いヒモを使うんだよ。
簡単だろ?

300:名無しさん@1周年
19/10/14 02:28:09.97 dco879/Y0.net
>>288
そういうことだね
使えない武器を作っても意味はないし、無理して作るほどの威力があるわけでもなかった

301:名無しさん@1周年
19/10/14 02:31:26.99 dco879/Y0.net
>>178
漫画とアニメならあって現在連載中
アンゴルモア 元寇合戦記

302:名無しさん@1周年
19/10/14 03:20:15.80 dco879/Y0.net
>>8
鉄砲や大砲が西洋から伝来する前から中国の火薬や火薬武器使用の記録はあるよ

303:
19/10/14 03:22:21 DXFZsMLj0.net
>>301
二期はよ

304:名無しさん@1周年
19/10/14 03:33:27.96 dco879/Y0.net
>>240
二度とも初冬って橋頭保作れなかったらそのまま船で冬を過ごすつもりだったのかなあ
九州とは言え防寒具がないとやばいんじゃ

305:名無しさん@1周年
19/10/14 04:23:26.66 v4mGEQrY0.net
鎌倉武士も驚いてたのは最初だけで、慣れたら投げ返したりしてたと聞いたが

306:名無しさん@1周年
19/10/14 05:42:59.12 DEXfEvr40.net
>>8
海中からサルベージされたてつはうと、
絵の丸みを帯びた破片の中から火が出てる部分は一致してる

307:名無しさん@1周年
19/10/14 08:04:03 DEXfEvr40.net
>>242
ちょうど元寇の前に高麗併合案が元にはあった
元は高麗を信用してなかったらしく、日本遠征の名目で送った軍勢で高麗を併合して、
直接支配した高麗で軍を整備して、日本と南宋を分断してはどうか?と

南宋は中国の南部なので日本ととは東シナ海を行き来して交易できるので、
別に高麗を経由しなくても日本と南宋は分断されないんだけどね
当時はまだ南宋が健在で、そのあたりの地域が元の領土になってなかったから
その当たりの海路の地理を知らなかったのかな

308:名無しさん@1周年
19/10/14 08:06:51 DEXfEvr40.net
それとも高麗に集めた軍勢で海軍作って南宋と日本を行き来する船の妨害でもする気だったのかな
それだって南宋の貿易声には強力な海軍あるし無謀だっただろうけど
だからかこの案は実行されなかった

309:名無しさん@1周年
19/10/14 08:07:46 q5kWlbVk0.net
ゼルダの伝説みたいに穴あけだろう
これなら投げる必要ない

310:名無しさん@1周年
19/10/14 08:15:26 jT9FY57d0.net
>>246
旧暦でしょ?
1ヶ月から1ヶ月半ずれるよ

311:名無しさん@1周年
19/10/14 08:38:47.37 DEXfEvr40.net
>>178
たまに戦わず元に従属していれば戦争にならなかった、形だけ従属すれば済んだと
元の要求を拒絶したことをも北条時宗の失政に数えられたりするけど、
>>307やその他にも南宋と日本セットで言及したり両方欲しがってる言の記録があるので
やっぱり南宋征服までは日本に目を付けた理由は南宋征服事業の一貫っぽいね
仮に従属していれば元との戦争は避けられたとしても、
形だけの従属に留まらずその後の南宋征服事業に参加させられて
日本も軍出して海から南宋を攻めさせられたり、そのための人や物を要求されたんじゃないかな
そういう点が歴代の中華王朝へのそれとは全く違って、同じようにすればよかったとは言えないんだよね
実際に日本遠征に軍や人や物を要求されまくって犠牲も出した高麗いう例もあるし
しかもコストが高くても不利でも遠方でも戦争しまくってる元の戦争相手は南宋だけじゃないし、
元寇の時点でももうずっと昔からあっちこっちと戦争してて、いつ終わるかも果てが知れない
従属拒否して元と戦って防衛戦争するか、従属して南宋など元の敵と戦って侵略戦争するか、
の選択で、形だけといういいとこどりの選択肢なんてそもそもなかったのかも

312:名無しさん@1周年
19/10/14 09:29:53.62 DEXfEvr40.net
>>268 >>296
それはそれで文永の役で日本の武士の強さも攻めにくさもわかっただろうに
それをどうにかする作戦もなくまた攻めあぐねて、って戦略ミスのような

313:名無しさん@1周年
19/10/14 09:31:54.20 ifgZwHWY0.net
>>301
それ面白い?

314:
19/10/14 09:34:59 hS8KZWPs0.net
学研の日本の歴史で威嚇と馬を怖がらせるために使って
殺傷能力はほとんどなかったと書いてあったが

315:名無しさん@1周年
19/10/14 09:41:24.64 PjAy1QOh0.net
>>313
amazon プライムビデオにあったときに
一気見した、それほど面白い

316:名無しさん@1周年
19/10/14 09:47:46.79 DEXfEvr40.net
>>313
個人的には良作
小説だと大河の北条時宗の原作の高橋克彦の『時宗』が特に良作だった

317:名無しさん@1周年
19/10/14 09:49:52.91 ANVwbKS40.net
>>255
>文永で神風と言い出したのは戦後になって初めて
出鱈目書くな
文永の段階で多くの史料が暴風に触れていない中、すでに「勘仲記」のように「神風」と表現している文献も存在するし、
江戸時代の日本では神風は二度吹いたというのが定説化していた。
文永の役の神風の実態を見直すようになったのは、むしろ戦後のこと
ちょっと国会図書館で検索すれば、戦前の神風重視の本ならいくらでも出てくる
URLリンク(dl.ndl.go.jp)

318:名無しさん@1周年
19/10/14 09:50:14.38 DEXfEvr40.net
>>314
てつはうは火薬だけじゃなく鉄クズを混ぜて威力を上げているので
近くで爆発すればその分の殺傷能力もあったと思われる
ただし4キロの弾の投擲をどの程度正確に当てられたかどうか

319:名無しさん@1周年
19/10/14 10:22:10.11 R/Y0oxXD0.net
>>4
最近のレス乞食は質が低いな
もう少し頑張れよ

320:名無しさん@1周年
19/10/14 10:47:46.52 7UeMIKJq0.net
>>312
大体同じところを二度攻めてる時点でどうもね
普通敵も次の襲撃に備えて守りを固めるだろうと
シナ海を航海できる程度の力があるんだからバイキングみたいに日本沿岸荒らしまわって鎌倉に向かえやと小一時間

321:名無しさん@1周年
19/10/14 10:57:34.12 7UeMIKJq0.net
日本の武士が一番凶暴だったのが鎌倉時代だからなあ
戦国時代の大名が聖人君子に見えるレベル
下手なモンゴル人よりヒャッハーな日常を送ってた
現代で言うと、旧ソ連のアフガン侵攻で近代化されたソ連軍が山岳民族の野蛮さに心をへし折られて撤退したようなもんだろうな

322:
19/10/14 11:09:40 ANVwbKS40.net
>>320
海岸線まで平野が広がっている中国に見慣れている側からすると、
日本はそこら中海岸線まで山で、日本の地理の知識もないから、
博多が数少ない大軍の上陸ポイントとしか発想がなかったんだろうな

323:名無しさん@1周年
19/10/14 11:10:34.89 hXLuDgxY0.net
現代も存在する火薬を使って釘や鉄片を撒き散らかすグレネードランシャー的な爆発物は明らかに脅威だけど
グレネード弾の投擲と弓だと、弓の方が射程距離は長く
投擲装置があれば、弓より射程距離は長く

324:名無しさん@1周年
19/10/14 11:12:44.01 hXLuDgxY0.net
日本でも
熱湯やウンコなど、攻撃力のある物体を用いたりしてたが
これらの殆どは、自由落下に重力を用いてたりと

325:
19/10/14 11:15:29 L5it4WwP0.net
>>318
近くで爆発すれば!って指向性無いから投げたヤツの方が近そう

326:名無しさん@1周年
19/10/14 11:15:46 hXLuDgxY0.net
攻撃力と
射程(相手にダメージを与えられる距離)と
縦深性(毒ガスがや手榴弾をその場で炸裂させると自分たちも死ぬ)

など、武力は科学の塊

327:名無しさん@1周年
19/10/14 11:16:24 fBh73IYN0.net
モンゴル軍は海上戦に慣れてなかったんだろうな

328:
19/10/14 11:21:44 6NnfvHAn0.net
てつはうに驚く絵だと一般的に認識されているが
実際は反撃に出ている絵だという研究結果

329:名無しさん@1周年
19/10/14 11:30:20.41 un9VqmS10.net
試作段階の武器だったのかもしれないな
投石器みたいなのは用意出来なかったろうから、もっこみたいなので包んでハンマー投げの要領で投げていたのかもしれない
そんな投擲技術があったのかどうか?
元オリンピックのハンマー投げ選手のおっさんが中世に転生してうんちゃらかんちゃらでいいだろう

330:
19/10/14 11:34:34 gQ5yxXDz0.net
初めて見る敵には、それなりの効果あっただろう。
飛んできて、落ちると破裂する、初めて体験する人間はパニックになる。
馬の近くに落ちれば、馬もパニックになって制御不能になる。
元の兵は、とにかく敵に恐怖を与える事を重視したやり方を採った。
残酷性を見せつけ敵の威勢を挫く事を考えた。
モンゴル兵は騎兵。海渡って日本に来ても、馬、エサを運ぶだけでも大変。
陸に上がっても、大陸のような馬が走れる広大な平地が少ない。
日本側が元兵の戦い方を知るにつれ、元兵は敗退する、帰るのは船しかない。

331:名無しさん@1周年
19/10/14 11:35:08 SngBPzot0.net
>>317
出鱈目書くな
それ昭和17年の八幡寓童訓をもとにした物語じゃねえか

学説を根拠にした教科書では、
戦前は文献を基にした武士の奮戦で書かれ、神風は重視どころか触れてさえない。
大風が初出したのは18年から、それでも戦闘経過は文献を基にしている。

戦後1946年から八幡寓童訓を基にした神風重視となり2005年時点でも同様。

中学校歴史教科書における 「元寇」記述についての比較研究
URLリンク(ir.lib.hiroshima-u.ac.jp)

戦前の教科書p101表2
戦後の教科書p98表1、p102表3

332:名無しさん@1周年
19/10/14 11:37:15 fBh73IYN0.net
投石器で城塞破壊していたらしいからな

333:
19/10/14 11:40:21 d5P7AMEV0.net
>>321
家の前通った人間を弓の練習がわりに射ころしてた時代だからな
簡単に人を殺すヒャッハーな時代

334:名無しさん@1周年
19/10/14 11:50:59.44 c8YM0Uvk0.net
>>304
モンゴルは、1回目の文永の役では「数万の軍勢で一気に攻撃すれば、
九州くらい簡単に占領できる」と思っていたのだろう。
しかし、いざ上陸してみると、予想外の数の日本側軍勢に攻撃を仕掛けられ、
1日で敗退した。
2回目の弘安の役では、前回の失敗にこりて軍勢を10数万に増強して
押し寄せたが、日本側が前回以上に迎撃態勢を固めていたために、
博多湾には上陸できず、志賀島に上陸したところを日本軍に攻撃されて敗退した。
モンゴル側が日本の武力を甘く見ていたこと、不慣れな上陸作戦をしようと
したこと、海を越えての攻撃のために得意とした馬を使った機動戦が
できなかったことが失敗の原因だろうな。

335:名無しさん@1周年
19/10/14 12:24:56.71 jZ82OsqX0.net
>>319
後から自分でレスしてbumpするスタイルか?

336:名無しさん@1周年
19/10/14 13:14:43.85 WeMF3ER20.net
>>320
・正確な地図も海図もなく
そもそも、当時の操船技術では片道切符に近くて無謀すぎ
URLリンク(www.library-archives.pref.fukui.lg.jp)
日宋貿易も、敦賀だと偏西風・海流に逆らう帰路が困難過ぎ⇒博多中心
まして大軍なんて送れない
また、海のプロである海賊の活動もせいぜい隠岐あたりまでで、敦賀はわずか
敦賀⇒渤海ルートなんて遺書を書きたくなるぞ
URLリンク(www.library-archives.pref.fukui.lg.jp)
・守る側としては、念のため、当時の国際港である越前敦賀は防備を固めていた
間違って漂着する場合もあるし
「太平記」より
> 此企兼てより吾朝に聞へしかば、其用意を致せとて、
> 四国・九州の兵は筑紫の博多に馳集り、
> 山陽・山陰の勢は帝都に馳参る。
> 東山道・北陸道の兵は、越前敦賀の津をぞ堅めける。

337:名無しさん@1周年
19/10/14 13:19:17.44 tTY0iNA70.net
>>321
実体としては野盗に近いからなぁ

338:名無しさん@1周年
19/10/14 13:20:51.09 eekq0/ho0.net
>>314
学研の子供用?の歴史の本は内容がピンキリで、本によってはあまり…
たとえば「人物学習事典」の北条時宗の項なんて、
>国書を受け取った幕府は、要求を無視する決意をかため、十八歳の時宗を執権職につけて、
>幕府内部の体制を新たにして、危機にのぞむことにしました。
>その後、何回か元の使者が来ても、時宗は、求めをことわり、
>使者を追い返したり殺したりしました。
>そして西日本の御家人たちを九州にまとめ、守りをかためました。
>一二七四年、フビライは兵力二万五千人をこえる大軍をおくってきました(文永の役)。
とあるけど、文永の役の翌年、一二七五年に七回目の使者・杜世忠が殺されるまで、
時宗が使者を殺したことはないのに、文永の役の前の記述で
『使者を追い返したり殺したりしました。』と書いてしまってる。
この本は『学研まんがNEW日本の歴史』という歴史漫画シリーズの一冊で、
シリーズのうち鎌倉時代を描いた『武士の世の中へ ~平安時代末・鎌倉時代~』では
『翌年以降、さらに4回の使節がおとずれたが、時宗は返書をおくらなかった』と
ちゃんと書いてるし、古い方の学研の歴史漫画でもこの点の間違いはないんだけどね…。

339:名無しさん@1周年
19/10/14 14:25:14.02 ANVwbKS40.net
>>331
出鱈目書くな、お前こそその引用元の論文をちゃんと読んでいない。
リンク先の戦前の教科書p101表2には、「大風」の記述がずっとあるし、その記述内容をちゃんと教科書まで遡って確認しろよ
例えば第二期に該当する「尋常小学日本歴史教授新案. 巻1 第5学年用」(1910年)の解説では
「たまたま夜大風暴風起りて賊船多く暗礁に触れて砕け、残るものも夜に乗じて逃げ去り、翌朝一艘の影も見ることが出来なかった。之を文永の役と云ふ」
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
がっつり文永の役も暴風で撤退したと書かれている。

340:名無しさん@1周年
19/10/14 15:00:49.70 ANVwbKS40.net
>>331
てかその論文も、中学校の教科書を比較すると言いながら、戦前に関しては小学校の教科書と比較しているのもどうかという気がする。
文永の役の記述がない国定教科書の時期は、単に教科書の記述が簡略化されているからで、実物はその広島大学のサイトからダウンロードできる。
小学校の教科書の教師用の参考書だと第三期「尋常小学国史」(1921年)でも以下のようにがっつり文永の役も大風で被害があったから帰ったという解説があり、
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
大正時代のベストセラーとなった「国民日本歴史」でも、文永の役について
「たまたま此の夜大風雨がおこって賊船は多く沈没して溺死する者が多く、残へいはおそれて逃げかへってしまった。」
URLリンク(dl.ndl.go.jp)

341:名無しさん@1周年
19/10/14 15:18:03 +13/Q9pC0.net
>>330
村上海賊に同じ構造の焙烙玉という武器がある
ロープで繋いで振り回して投げるハンマー投げで飛ばして
敵船で爆破することで船員を殺傷させ炎上させる爆弾だ
恐怖より直接的破壊力があったはず

342:名無しさん@1周年
19/10/14 15:37:26.78 zqSJxmYh0.net
> この「てつはう」は陶器製であり、鉄サビの痕跡もあった。
> 容器の中に鉄片を入れ、爆発する際に鉄片が飛び散るしかけになっていたためと考えられる。
銃身が鉄製だから鉄砲と言うのかと思ったら、弾丸が鉄だから鉄砲と言うのか。なるほど。

343:名無しさん@1周年
19/10/14 15:41:26 I1R7XGVS0.net
>>334
そもそも主力が朝鮮人と中国人という弱兵だったのが大きい
2回失敗したフビライは3回目はモンゴルの主力を送る検討もしていたけど結局3回目はなかった

344:大島栄城 ◆n3rBZgRz6w
19/10/14 15:42:07 5DzjLLfW0.net
これ、俺のツラがどうしたってんだろね

また大塩佳織の件かな

345:名無しさん@1周年
19/10/14 15:55:29.75 YGd+Ew410.net
ハウーッ(´Д`)

346:名無しさん@1周年
19/10/14 16:44:48.98 P830q1G/0.net
江南軍は出航するために風待ちする必要があったのだろうけれど
寧波から九州に向け軍を出航するに適した風が吹く時期って
その後九州で台風や大時化に見舞われる時期と重なるような気がする

347:名無しさん@1周年
19/10/14 19:20:26 Bjvdp41M0.net
>>346
かといって夏は台風祭りと夏やと船のすし詰めとか死ぬるわ、
多少気候が過ごしやすく災害が少ない時期に日本到着しても
日本の武士の抵抗で橋頭保築けへんかったらまたヤバい時期になるし
戦力自体が武士の抵抗を物ともせず進軍できるような規模でもないし
やっぱり渡海戦とかぐう無謀

348:名無しさん@1周年
19/10/14 19:22:30.92 Bjvdp41M0.net
>>28
歴史資料は元の記録でも弓が尽きたのでその変荒らして撤退(沢山持って来いよw)
そもそも船で『日本列島深く』どう大進軍するんだ

349:名無しさん@1周年
19/10/14 19:25:52.61 64AZsntdO.net
>>328
功績を示すためというからな
あとは弔いか

350:名無しさん@1周年
19/10/14 19:29:03.72 ainOzeJy0.net
高い城壁から下に投げて防御する武器だよな
使えるかわからんけど一応持ってきただけだろ

351:名無しさん@1周年
19/10/14 19:33:18 Bjvdp41M0.net
>>343
中国(南宋)兵って弱兵かな
モンゴルとの戦争でもかなり長期間、
それも武官冷遇や最前線への援助不足あっても持ちこたえてるし
東シナ海含めた海に面して交易が盛んな地域もあるから海軍もあるし
まあ防衛戦争と元寇じゃモチベーション全然違うだろうけど

将軍クラスですら武士の抵抗と嵐の後とはいえ
兵を見捨てて逃げ帰るくらいのだし

352:名無しさん@1周年
19/10/14 19:36:50.35 Bjvdp41M0.net
>>320
そもそも元やクビライは、鎌倉や幕府について理解してたんだろうか
理解してたとして、鎌倉も京もどこにあるのか、
九州からどう行けば着けるのかわかってなかったんじゃないか
幕府は使者を九州で止めたので、基本鎌倉にも京にも行けなかった
文永の役の7回目の護送した使者は処刑で、
鎌倉も京も調べられる状況にない

353:名無しさん@1周年
19/10/14 19:42:34.53 3iRXQ9h40.net
>>2
マジレスすると軍の数が違いすぎてモンゴルや朝鮮人を殺して終わり

354:名無しさん@1周年
19/10/14 19:48:44.35 7UeMIKJq0.net
まるで北斗の拳のモヒカンみたいな奴ばかりだった鎌倉武士をどうにかおりこうさんにさせようと幕府が作ったのが御成敗式目
第10条 人を殺したらいかんで
第12条 争いは悪口からはじまるから、悪口言ったらいかんで
第13条 人の事殴ったらいかんで
第15条 文書偽造したらいかんよ
第31条 裁判に負けたことをブーブー言ったら土地1/3取り上げね
第33条 火付強盗は断罪
第34条 人妻とそういう関係になったら、土地半分取り上げて仕事クビね
第35条 裁判に3回呼んでもこなかったら敗訴ね
第37条 頼朝公の時代から何回も言ってるけど朝廷の土地は取るな
第42条 農民の財産は取るな
第43条 人の土地は取るなって
第50条 ケンカに加勢したら罰ね
第51条 原告は幕府の権威を借りて被告を脅すな

355:名無しさん@1周年
19/10/14 19:52:18.31 LOCOvi180.net
>>354
なんでコイツらに喧嘩売ったのかなぁ…
宋と同じように考えてたんだろか

356:名無しさん@1周年
19/10/14 19:56:50.64 nJRiSYak0.net
>>354
こんなやつらを統制できていた鎌倉幕府ってやっぱりすごい
普通無秩序で荒廃した社会になりそうなもんだが

357:名無しさん@1周年
19/10/14 20:30:24.54 y1WTEoyf0.net
てつはうはデカいロケット花火みたいなものだったらしい

358:
19/10/14 20:31:51 poYNnNh70.net
>>356
いうてモンゴル人も野蛮さではそんな大差無いで
単に弱いだけで

359:名無しさん@1周年
19/10/14 20:34:31.07 ukS60Ald0.net
【中国国家主席】習近平氏「中国分裂を図る者は、体を打ち砕かれ骨は粉々にされて死ぬだろう」
スレリンク(newsplus板)

360:名無しさん@1周年
19/10/14 20:34:54.58 HOkhGr7l0.net
>>352
教科書には使者を鎌倉で斬ったとあるけど

361:名無しさん@1周年
19/10/14 20:36:34.97 ZDXFJaB10.net
>>13
くそwww

362:名無しさん@1周年
19/10/14 20:43:25.96 yV7pMpIY0.net
>>352
それぐらいなら日本の漁師や貿易商人から聞き出せば済む話では?

363:名無しさん@1周年
19/10/14 20:48:29.07 ZG3NIfeT0.net
結局のところ、「てつはう」ってパンジャンドラムみたいな色物だろ

364:名無しさん@1周年
19/10/14 20:49:54.29 Bjvdp41M0.net
>>360
うん
文永の役の後の使者は鎌倉へ送られて斬られた
から使者が鎌倉や九州~鎌倉間を知っても死人に口なし

365:名無しさん@1周年
19/10/14 20:50:17.25 P830q1G/0.net
>>347
おっしゃる通りだと思います
どの季節においても渡海がネックとなり限りなく困難になりますよね

366:名無しさん@1周年
19/10/14 20:53:12 cBbmxa170.net
絵を見ると日本側が使ってるように見えるが

367:名無しさん@1周年
19/10/14 20:59:31.40 XX3IG1dJ0.net
>>116
ハーンの血縁が殺されたら皆殺し。これは報復。
一般には抵抗したら支配層が皆殺し。
内部分裂を誘うためな。
モンゴルの蛮行と呼ばれてるのは、
相手をビビらせるプロパガンダも含まれてる。
モンゴルはイスラム商人がバックアップしてたから、都市国家の完全破壊して皆殺しはその後の通商に悪影響が出るからな。
あまりやらなかったとか。

368:名無しさん@1周年
19/10/14 21:04:56.31 ukS60Ald0.net
>>367
逆。降伏しなかった都市国家の完全破壊と皆殺しは基本政策。
チンギスからオゴデイ時代のモンゴル帝国に都市民を生かしておくという発想はない。

369:名無しさん@1周年
19/10/14 21:08:02.11 e78WqdtA0.net
なんでこれだけ歴史的仮名遣いで読むのか謎

370:名無しさん@1周年
19/10/14 21:09:02.47 kUse0vRD0.net
元が日本を征服できなかった主たる原因は、戦争に向けて人々の力を結集できず、連携や士気が
不十分だったからだと思うが、
もともとの動機が日本の豊富なゴールドを手に入れたいということであったならば、戦争などせず
に陶磁器や銅銭や書物など輸出産品の産業を振興するだけでよかったはず。当時の日本はろくな
陶磁器も作れず、紙は不足し、貨幣を発行していなかった。そして貿易を有効に管理できる組織も
なく、モンゴルがユーラシア征服の旗印とした自由交易の障害があまりない。
惜しまれるのは、こうした経済論ができる側近がフビライの近くにいなかったことではないか。

371:名無しさん@1周年
19/10/14 21:14:07 ukS60Ald0.net
モンゴル軍の兵士は人を殺したり強姦したりすることそれ自体に喜びを見出せないようになってから弱くなった。初心忘れるべからず、だ。

372:名無しさん@1周年
19/10/14 21:14:09 AB9av9u00.net
>>369
当時の発音がどんなものなのか分かるのかお前

373:名無しさん@1周年
19/10/14 21:28:33.89 XjPA9uVQ0.net
火砲のこと?

374:名無しさん@1周年
19/10/14 21:52:25.91 ph+HJxqc0.net
>>350
>>341 を読め!
>(瀬戸内海の)村上海賊に同じ構造の焙烙玉という武器がある
>ロープで繋いで振り回して投げるハンマー投げで飛ばして
>敵船で爆破することで船員を殺傷させ炎上させる爆弾だ
>恐怖より直接的破壊力があったはず

375:名無しさん@1周年
19/10/14 21:56:10.14 /9bN0XZw0.net
モンゴルで謎なのはヨーロッパ戦線であったみたいに、離れているところに
いる軍団がしっかり連携取っ手陽動作戦とかやっていることなんだよなぁ。
なんかオーパーツでももっていたんだろうか

376:名無しさん@1周年
19/10/14 22:05:58.07 puu7NY350.net
>>328
竹崎季長、漢だよな。
盛っては、あるものの、暴れる馬を抑えて、突撃しようとしてる。
従者が止めるのを聞かず、突撃して危うく討ち死にするところだったって、鎌倉武士は頭おかしい。

377:名無しさん@1周年
19/10/14 22:16:45.68 jnlGFvwI0.net
モンゴル軍の最大の失敗は朝鮮人と組んだことだろうな
そして同じ失敗を後に日本がwww

378:名無しさん@1周年
19/10/14 22:30:19.98 TkXgTYn40.net
これ「てっぽう」と読むと思う。

379:名無しさん@1周年
19/10/14 23:20:15.92 6h4xc11U0.net
ハンマー投げみたいに投げれば。


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