17/08/30 01:05:27.26 BQm7wuyb0.net
自分の人生にくやしさを抱えている人は、
自分のそのわだかまりを解消できないと、自分より立場の弱い人を支配して、
自分のこりかたまった「べき」論を展開し、いじめぬこうとする。それができないとヒステリーになる。
弱い者を敏感に探そうとする。弱い者に憎悪をむける。
絶望した自分や間違った自分に固執しており、それが苦しく不利益だと思っているのに、
そうであることに自分の存在をかけてしまう人がいる。
そうやって偽悪者になって否定されることを自己目的化することで、
自分が否定されても、それは自分から否定されるような振る舞いをしてるのだから、自分の意思通り、
はじめて自分の意思がそのまま通っている、叶ってる、という歪んだ快感があるために。
そこには深刻な自己否定と自己絶対視がある。
それは決して高尚なものではなく、
愛着障害や心の傷で発達障害になっている人が陥りやすい。
相手から愛情を見せられても、
その愛情を受け取ることは相手の思惑にはいるようで、相手の優位を認めることになり、
自分のほうが心理的有利に立とうとせんがために、受け入れられないのだろう。
相手の愛を信じると、また手に入れられない恐怖がおそうのではとか、
やさしくなるともろい自分がむき出しになるのではないかと、臆病になっている姿だ。
やさしくされたいのに誰かを困らせ非難し、素直に本心を吐露することは弱みを見せることに思えているのだろう。
私はどうせ拒絶される、裏切られるという恐怖で、それならば先にこちらから嫌われようとしてしまうのだろう。
そのスパイラルから抜け出せない自分を嫌悪しているのだろう。
自分が変われないでいるのは、自らに対して変わらないという決心を無意識にしているから。
変わることで生まれる不安より、変わらないことでつきまとう不満のほうを選び続けているだけだろう。
他人のことを意地の悪い解釈で叩いて、自分の人生の悔しさの恨みを晴らそうとしている人よ、
自分の人生なんて自分が動かしているのだから、
自分が幸せになろうと覚悟しないと幸せになりゃしないよ。
それが分からないのなら、そのまま君は一生恨みを抱えて生きていくことだろう。