15/09/03 12:23:17.82
>>1より
デモ側としては、どうしても国会議事堂前をうめつくす「絵」がつくりたい。
そのために憲法・法律で明確に定められた「集会の自由」ではなく、
「表現の自由」を担保にして公道を占拠しようとする。
一方の警察サイドとしては、公道を使いたいなら法律に則って申請をしなさい、
「国会議事堂前をうめつくしたい」というワガママで、公共の福祉を侵害しちゃいけませんよ!
という主張の元でその前に立ちはだかる(もちろん安全の確保もある)。
こうした対立構造の中で、
8月30日の鉄柵突破事件が起こったというわけですね。
■
以上を前提として改めて私見を述べれば、
定められた法律・ルールの元で権利は行使されるべき
=公道を使いたいなら、きちんとデモ申請すべし
というものです。
繰り返しになりますが、立憲主義の法治国家である我が国では
集会・結社の自由が認められており、デモ活動は合法的に行うことができます。
一方で「表現の自由」の看板の元、
公道の占拠=公共の福祉の侵害が認められるかと言えば、
こちらには疑問符が付くと言わざるえません。
国会周辺デモ「過剰警備で『表現の自由』を制約している」主催者が警視庁に見直し要望
URLリンク(www.bengo4.com)
こうした要望を出す、というのは良いことだと思うんですよ。
まさに「対話」する姿勢ですよね。でも、それが通らなかったからといって、
「ええい、実力行使で鉄柵突破して、公道を占拠しちゃえ!」
という態度で、そのデモ(的なもの)に広範な支持が得られるかと言えば、
それはかなりの疑問が残るところではないかなと感じます。
こうした蛮勇は、身内では高い評価を得るかもしれませんけども…
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以前からの繰り返しになりますが、
私はデモのすべてを否定するものではなりません(効率は悪いと思うけど)。
しかし、自らの主張を強く打ち出したいあまりに
公共の福祉の侵害になりかねない行為を正当化することは、
中立派を遠ざけ、反対意見の持ち主の態度を硬化させるだけではないでしょうか。
「集会の自由」を行使するなら、デモ申請で。
「表現の自由」を行使するなら、公共の福祉に反しない限りで。
なお、私の支援者や各種SNSでつながりがある方々には、
本件で意見が異なる方々が多数いらっしゃると思います。
(政治活動に熱心な方が非常に多いので)
私は一つの政策スタンスの違いで、
すべての対話の門戸を閉ざすことは望むものではありません。
今後とも様々な忌憚のない意見をお寄せいただければ幸いです。