【国際】韓国人の夫に「おまえら日本人のせいだ」と事あるごとに殴られた サハリンで暮らす84歳の日本人女性 [11/25]at NEWSPLUS
【国際】韓国人の夫に「おまえら日本人のせいだ」と事あるごとに殴られた サハリンで暮らす84歳の日本人女性 [11/25] - 暇つぶし2ch1:ちゅら猫φ ★
16/11/25 14:37:25.26
★サハリンで生きて…84歳の日本人女性

来月の日ロ首脳会談で北方領土問題が進展するか注目されてきましたが、
トランプ氏とプーチン大統領の接近でかなり視界不良となっています。
ロシアは今、日ロ関係をどう考えているのでしょうか。日本とロシアの経済協力について
取材で訪れた極東ロシア・サハリン。戦前からサハリンで暮らしている、日本に帰りたくても
帰れなかったある1人の女性と出会いました。

ロシア極東サハリン州の州都ユジノサハリンスク。サハリンの南端は、
北海道の宗谷岬からわずか43キロしか離れていません。
かつてここは樺太と呼ばれ、日本の一部でした。州立博物館は戦前に日本が建てたものです。
入り口脇には狛犬が。今も町には日本のものがあふれています。市場を歩いてみると・・・
日本のうなぎの蒲焼きを見つけました。日本のお菓子もあります。日本のわさびやしょうゆも・・・

Q.わさびは人気ある?
「はい。わさびもだし、お菓子やコーヒーなど全て日本の商品は人気があります」

この街で、私たちは1人の日本人女性に会いました。松崎節子さん(84)。
戦前、当時の樺太で生まれました。

「昭和18年~20年は豊原(ユジノサハリンスク)はとても暮らしが良かった。
郵便局の前にずーっと夜店が出る。おやきとかサツマイモとか全部」(サハリンの残留邦人 松崎節子さん)

1945年8月、ソ連が樺太に攻め込んできたことで人生は一変します。

「食べ物もなかった。晩になって(外を)見ると戦車が・・・」(サハリンの残留邦人 松崎節子さん)

戦車が町を占領。松崎さんら女性は山に逃げたといいます。

「1週間くらい晩になったら山に行って寝る。ソ連の戦車がどんどん出てくる」(サハリンの残留邦人 松崎節子さん)

父親が栄養失調で亡くなり、身寄りのない松崎さんは、14歳で最初の結婚をします。
ところが、相手の韓国人男性が帰国してしまったため、別の韓国人男性と再婚。
サハリンには当時、日本軍によって強制連行された韓国人が大勢いました。
夫は事あるごとに松崎さんに暴力を振るったといいます。

「(夫は)戦争が終わっても国に帰れない。お前たち日本人のために帰れないと。
夫婦で暮らしていながら、お前は日本人だといつもいじめられた」(サハリンの残留邦人 松崎節子さん)

日本へ帰りたいという思いを強くした松崎さん。1958年、日本へ最後の引き揚げ船が出ることを知り、
夫に黙って着のみ着のままで港に向かいました。しかし、間に合わず、目の前で船は出航して行きました。

「電車が少し遅くなって、その船は出て行ってしまった。30分くらい遅れました。つらいつらい。
もうつらくてコンクリートのところで泣いたり飛んだりして」(サハリンの残留邦人 松崎節子さん)

家に帰ると、激怒した夫から激しい暴力を振るわれたといいます。夫とは後に離婚。
また、別の男性と3度目の結婚をしました。

松崎さんが日本の地を初めて踏んだのは、それから四半世紀たった1990年。
その後、何度か一時帰国しましたが、結局、子どもたちが育ったサハリンで生きていくことを
決めました。それでも心は日本人だといいます。

URLリンク(news.tbs.co.jp)


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