【社会】硫黄島の真実…日本兵が籠る地下壕に米軍はガソリン入りの水で攻め、火炎放射器で火を放った、絶望の地獄絵図だったat NEWSPLUS
【社会】硫黄島の真実…日本兵が籠る地下壕に米軍はガソリン入りの水で攻め、火炎放射器で火を放った、絶望の地獄絵図だった - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
14/08/21 15:19:58.23
★日本兵が籠る地下壕に米軍はガソリン入りの水で攻め、火炎放射器で火を放った、絶望の地獄絵図だった…硫黄島の真実、生還した通信兵の証言(下)
2014.8.21 07:00

◆泥沼の消耗戦へ
「人はどこまで生き延びることができるのか。これは自分に与えられた試練だ。自分は今、その耐久試験を受けているのだ。
そう思って耐え続けていました…」。硫黄島の戦いから生還した元通信兵、秋草鶴次さん(87)は声を振り絞るようにしてこう証言した。

当初、米軍が「5日間で陥落できる」と目論んだ硫黄島の戦いだったが、日本陸軍の栗林忠道中将は「1日でも長く戦い、
島を死守することで、日米和平交渉につなげる」と決断し、奇策を敢行。地下壕を駆使したゲリラ戦で米軍を翻弄、37日間戦い続けた。

「早く決着を付けるな。ゲリラ戦に徹しよ。こう栗林中将に命じられた戦いです。普通の戦闘ではないのです。
弾もできるだけ撃つな、温存せよ-です。地下壕から出て少し撃てば、そのまま地下壕に戻る。そんな戦いだったんです」

持久戦のなかで、食料の米は完全に尽き、一日をカンパン数枚のみで過ごす日々が続く。

そんななか、通信兵、秋草さんは本土からの暗号を受信し、伝令として島の本部へ向かった。
途中、米軍に見つかり銃撃を受け、足に激痛が走った。

「手で足を触ると感覚がなく、重傷を負ったことが分かりました」。
秋草さんは感覚を失った足を引きずりながら本部を目指した。手を見ると、右の指先3本がなくなり、血まみれになっていたという。

3月初旬、唯一の食料だったカンパンも尽き、秋草さんは飢えと必死になって戦った。
薬も包帯も尽き、秋草さんが手足に負ったけがは治療できないまま化膿が進んでいた。

地下壕へ浴びせられる火炎放射器の猛火、水攻め…。米軍の攻撃は容赦なく続いた。

◆地下壕で見た地獄絵図
ある日、秋草さんのいた地下壕に大量の水が流れ込んできた。米軍が水攻めを仕掛けてきたのだ。

けがをかばおうと秋草さんはあわてて水の中から這い出た。「水には排泄物や腐乱した死体も入っていました。
そして何か異様な臭いがする。ガソリンが混ぜられているぞ。そう思った瞬間、地下壕が真っ赤な火の海になりました。
米軍が火を放ったのです。水の中にいたままの兵隊は火まみれになり、叫び声があちこちから上がりました。
大やけどを負い、皮膚がただれ落ちた兵士もいました。地獄絵図でした…」

この水攻めから一命を取り留めた秋草さんは、その後も、地下壕の中で、飢えとけがの痛みに耐えながら生きた。
頭のすぐ上で、米軍の戦車のキャタピラの轟音や米兵の足音などを、もうろうとする意識のなかで聞いていたという。

そして、ついに力尽きた秋草さんは地下壕のなかで意識を失う…。

◆収容所でも油断せず
再び目を覚ますと、そこはグアムの病院のベッドの上だったという。
地下壕で気を失っていた秋草さんは、米軍の軍用犬に発見され、米兵の手でここへ連れられてきたのだった。

秋草さんはグアムからハワイへ連行され、米軍から取り調べを受けた後、ニューヨーク、ワシントン、
バージニアなどの捕虜収容所を転々と移動していったという。

「バージニアの収容所では日本の他、ドイツ、イタリアの捕虜もいました。各国一人ずつ厨房の料理担当が選ばれ、
日本兵からは私が任されました。捕虜の起床時間は自由でしたが、私は毎朝5時に起き、料理を作りました。
他の捕虜たちは午前7時、8時など好きな時間に起きて草刈りなどをしていました」

収容所では特に決められた労働はなかったが、それでも日当が与えられたという。

「ドイツ、イタリア兵の捕虜たちは食事の際、決まった時間に揃って食堂へ来て、揃って帰る。
しかし、日本兵だけは気ままにばらばらの時間に来て食べて帰る。禁煙なのに食器に灰を山にして帰るのも日本兵だけでした。
最もマナーが悪いのが日本人で私はとても恥ずかしかった」 >>2へ続く

URLリンク(sankei.jp.msn.com)


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