14/04/10 02:41:46.39 PBvwNJ5y0
>>793
だからそれ本居宣長だろ・・・
あいつまじで最悪だわな
事実理解してるからこそ出来る捏造だろ九州女酋説w
>>795
熱田、伊勢の扱い見る限り中京地区はあくまでヤマトに協力してた勢力だろうな
出雲の扱いもそういうことでしょどう考えても
吉備は征伐されてるからな・・・
扱いが悪くなる理由はわかる気がするw
九州もw
801:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:41:49.95 hyc3XXjD0
>>785
同感同感、魏志倭人伝では邪馬台国は北九州の広範囲を勢力圏として持っていたかなりの大国
だった事がわかりますし、当時の勢力は領土の広さに比例しますから、その邪馬台国に軍勢を送って
くれと魏に要請させるほどの力を持っていた狗奴国もまたかなりの広大な領土を持つ大国だったはずです、
しかし、九州にはそれほどの土地はありませんから、狗奴国は近畿から東日本全体までも勢力圏
としていた大国だったと思います、そして、大和朝廷は奈良を本拠地としていますから大和朝廷とは
実は元狗奴国で、邪馬台国は狗奴国との戦いに敗れて滅ぼされたのだと思いますよ。
802:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:42:03.73 5/aBz6tT0
畿内を中央とするならあんなへんぴな場所にある
宇佐神宮が「八幡総本宮」であるという意味は何かということだ
803:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:42:22.34 zPtKvMx10
・帝俊(ていしゅん)は、上古の中国神話に登場する東方の天帝(帝舜と同じといわれる殷の祖神)。羲和(太陽の女神)と常羲(月の女神)は帝俊の妻である。
『山海経』(せんがいきよう)の大荒西経より「帝嚳」の異名を持つ。炎帝に属し東夷人の先祖にあたる。黄帝、顓頊と共に伝説の五帝を始祖とする。
804:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:42:44.98 mElJAunm0
>>768
例えば>>459
これもまた逆。どう考えたら近畿が出てくるのかとw
「纒向は凄いんだぞー」では根拠にならんよ、だから。
805:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:44:41.30 H1pBw0pT0
大和運輸がどこから発祥したかご存じですか?
806:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:44:53.35 PBvwNJ5y0
>>798
文字文化に接したのがAD57の朝貢以降だとすると
竹簡とか木簡を使ってた可能性はあるが
当時の日本では文書を残すという部分について重要性が理解されてなかったとかはありそう
807:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:45:00.18 hyc3XXjD0
>>790
大和朝廷(狗奴国)が奈良にやってきた理由が、元々倭国大乱の時に権力争いに敗れて奈良に
落ち延びたという不名誉な理由だったため、その不名誉な理由をごまかすためにわざと東征神話
という勇ましい神話を作ったのだと思います。
808:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:46:24.33 mElJAunm0
>>799
>>796
(だからお前は論外なのw)
中国語の作法として、形式を整えようとするから。邪馬台国には水行と陸行を
併記し、投馬国へはやらないのは、中国語の作法として奇妙。
809:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:46:37.27 1wVW494G0
これまず誰かが日本書紀や古事記や旧事本紀とかそれに含まれてる
明確な暗喩とかをまとめて共通認識を作らないと話がまとまんないね
あと氏族と氏神と神社の系譜とか風土記とか
そういうソースをみんなで共有しないといつまでも話に脈絡がない
日本人自身のために日本人の歴史をちゃんと日本人全員で学びたいね
810:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:46:44.82 Cvu+xEtV0
畿内説 邪馬台国への道程の記述は距離はあってるけど方角が間違ってる
九州説 邪馬台国への道程の記述は方角はあってるけど距離が間違ってる
どちらも都合よく解釈してるだけだね
俺は邪馬台国への道程の記述は距離も方角もあっている
すなわち邪馬台国とは現在は海に沈んでしまったムー大陸説を推したいね
811:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:47:27.63 NGVhberS0
>>802
八幡さま7世紀からじゃなかった?
卑弥呼の時代から存在した?(´・ω・`)
812:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:47:37.18 4I/RdPO80
>>804
新唐書については説明しただろw
北宋時代の成立で、当時入宋した日本の僧侶が持ってきた日本の史書を元に書いているってw
そして宋史の日本伝とかなり内容が被るとも。
新唐書は「初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り」の部分は間の代を省いてるのは宋史を見れ
ばよくわかるんだよ。
だから筑紫に居住しているの部分が筑紫三代にかかっているのが分かりにくくなっている。
お前はこういう説明に対してちゃんとした反論できないよねw
813:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:47:57.45 PBvwNJ5y0
>>801
それはないと思うよ
張政が10年後くらいに帰って帯方郡の郡主になってるから
邪馬台国と狗奴国の戦いにある程度ケリ付けて
魏の皇帝から成果を認められたってことだと理解してる
814:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:49:12.58 mElJAunm0
>>812
イミフだ。お前の妄想は根拠にならん。
815:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:49:51.31 rF5vq35g0
うちの地元の宿儺伝説ってどうみても二刀流の外人さんなんだよなぁ。
今も昔も権威は外国からってのが日本人の本質なのかなw
816:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:50:43.03 Y8PreMye0
江戸時代に「鎖国」の中で偏狭な「国粋」主義(ウルトラナショナリズム)が高揚された
それが一方では水戸学(儒教)、他方では国学(国文学)として派を立て、明治維新の成立に甚大な影響を与えた
維新の成立後、二派協力して「神道、原理主義」と称すべき国家的イデオロギーを樹立した
その歴史像がその後130年の日本の思想界の基本となっている
それ故に、敗戦後は、表面上、学問・思想の自由の立場から、異説の「公示」や「発表」は認めておきながら
通例これを「論議や論争」の対象にはしない
これが日本史学のプロの専門家にとって、内密の「処世術」となったのである
このような姑息な雰囲気の中で、もし人間精神の独創を求めるならば、いわゆる「木に登って魚を求める」たぐいと言う他はない
日本のウルトラナショナリズム下の歴史像によって「洗脳」されてはいない外国人の、人間としての理性にのみ期待するほかない
817:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:50:44.32 4I/RdPO80
>>814
俺の妄想ではなくアカデミックな方面で言われているものだがw
818:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:51:10.86 sakh/uXr0
>>807
日本書紀に記述された日本神話が時代を考えると非常に幼稚なのはどうしてだろうな?
過去をウヤムヤにするためにウヤムヤな話をでっち上げるしか無かったとしか思えないのだが。
魏と交易して数百年後にあの内容というのは違和感ある。
その後の経緯を書きたくなかったとしか思えないのだが。
しかも、日本書紀以外に文献も見当たらず、徹底した焚書が行われた事実も明らか。
そこまでの秘密って一体なんなのかと。中国にも資料が無いし、まさに闇だわ。
819:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:51:26.18 zPtKvMx10
東日本=高天原
西日本=豊葦原中ツ国(昔は大漢国とも呼ばれていた)
大陸はその豊葦原中ツ国の属国だから支那。
日本世界起源説。
日本書紀の冒頭の天地開闢はだてじゃない!
820:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:52:20.70 mElJAunm0
>>817
アカデミックな妄想だよ、だからw
小保方と同じ。
821:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:52:24.72 G+L1QYMRO
だから狗に竜宮城姫が犯されたんだろ
かわいそうに、それが台与だなんてさ
けど頑張りました
ちゃんと子育てして、アンタは天孫なのよ!と
だからお父さん顔を知らなくて当然なの!
何となく察したイワレビコ兄弟は一族の名誉挽回のために傭兵部隊の最前列へと
822:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:52:32.98 Cvu+xEtV0
狗奴国の場所は邪馬台国の南としか魏志倭人伝に記載されていないため、邪馬台国の位置に諸説ある現状では、狗奴国の場所も比定されていない。
邪馬台国の比定地について学界の主流は畿内説と北九州説に二分されているが、邪馬台国畿内説に立つ論者は狗奴国の位置を、
愛知県一宮市の萩原遺跡群をはじめとして伊勢湾岸一帯からS字甕が大量に発掘されていることから、濃尾平野一帯に広がっていた邪馬台国に匹敵する大勢力国であったという説が有力視されている。
他にも毛野国]、出雲地方説等もある。
北九州説に立つ論者は肥後国菊池郡、同国球磨郡等に比定している。
内藤湖南のように畿内説でも熊襲に比定する論者もいる[要出典]。
後裔に関する説
邪馬台国についてヤマト王権との関係に諸説あるように、狗奴国についても、その後どうなったのかを巡る諸説が対立している。
主なものは、消滅説(邪馬台国に敗れ滅んだ)、東遷説(邪馬台国を滅ぼし東征しヤマト王権の母体となった)、継承説(熊襲になった)、
神武天皇による九州の日向から近畿の奈良方面への東征伝承を邪馬台国連合の圧迫からの逃亡でありヤマト王権になったとする説などがある。
更に近年、考古学の分野において古墳時代前期前半に前方後方墳を造営していた濃尾平野以東の東日本の諸勢力の前身で
大型の前方後方形墳丘墓を営んでいた濃尾平野の勢力を狗奴国と見て、卑弥呼没後まもなく邪馬台国連合に統合され、徐々に吸収されたとする見解が出されている。
823:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:52:59.12 hyc3XXjD0
>>813
しかし、もしも邪馬台国が大和朝廷と同じだとしたら、親魏倭王の金印が皇室に伝わっていないのは
おかしいですし、邪馬台国からの朝貢が途切れた事を考えると邪馬台国は滅びたと見るのが自然
だと思います。
824:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:53:25.92 4I/RdPO80
>>814
隋書の記述にしても実際の文章を>>465で出したら「邪靡堆が近畿ヤマト政権だと言う根拠は?
あと、>>459な。」とスライドするしw
まともな学術の教育受けてないでしょw
825:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:54:26.10 vh0vn2qu0
>>79
おまえらいつも関西はチョンと言ってるはずだがw
1縄文人=アイヌ、琉球
2弥生人=江南地方出身者
3天皇家=金官伽耶諸国と同族
おそらく123の順で列島に入った。
天皇家と金官伽耶諸国は同族。
(百済や新羅、高句麗ではなく大和に庇護を求めてきた、土器、古墳等)
ただし伽耶諸国は百済や新羅とは別種。
826:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:55:06.77 GxNysuhA0
斎宮を王と勘違いされたんで、
神宮を伊勢に移転したんと違うか。
827:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:55:17.97 Cvu+xEtV0
>>818
だから邪馬台国はムー大陸だったんだよ!!
その事実を隠すために日本書紀以外の歴史書は焚書されたんだ!!
828:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:55:19.58 mElJAunm0
>>824
それお前w
お前かってに新唐書を捏造解釈で読んでるだけだからw
829:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:56:11.17 sakh/uXr0
>>823
そのとおり。
おそらく大化の改新あたりで「壮大な歴史的断絶」が発生している。
大化の改新以前、以後で歴史の明確さが明らかに異なる。
聖徳太子が何らかの鍵になっているとは察せられるが・・・
830:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:56:50.48 4I/RdPO80
>>820
だからさ、宋史日本伝と新唐書日本伝についての解説のどこが妄想なんだよ?
その具体的な指摘もできないアホウがw
429 名前: 名無しさん@13周年@転載禁止 [sage] 投稿日: 2014/04/09(水) 21:05:47.79 ID:2Lg2VT6m0
>>419
漢の商業ネットワークというのはアレだけど
彼の説は岡田英弘という学者が同様のことを言ってるから
結構いいセン行ってんだよ
>>424
隋書では大和朝廷とは邪馬台国のことである、と書いてある
459 名前: 名無しさん@13周年@転載禁止 [sage] 投稿日: 2014/04/09(水) 21:21:48.12 ID:0hEhQBqt0
>>429
書いて無い。ウソをつくな。
465 名前: 名無しさん@13周年@転載禁止 投稿日: 2014/04/09(水) 21:25:27.10 ID:EoABrwuq0
>>459
「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」と隋書に書いてある。
お前は「書いて無い。ウソつくな。」と言ったんだよ。
その罵声の始末くらいちゃんとつけろやクズが。
831:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:56:50.40 5/aBz6tT0
>>811
八幡以前に元々が社格の高い神社が出来るべき土地であった
何故ここで八幡(応神)を祭ることになったのかだな
832:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:58:07.19 Y8PreMye0
白村江敗戦と上代特殊仮名遣い
中国語、朝鮮語、日本語で万葉集の読み比べ
ジャパンの訛り方等
URLリンク(www.youtube.com)
833:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:58:35.10 zPtKvMx10
宇多天皇の男系子孫である佐々木秀義のY-DNAがD2ということが判明されているなら、蛇系(竜系)である海洋民族の縄文人は、日本を乗っ取られていないと思うがな。
834:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:58:52.28 vh0vn2qu0
訂正:数詞などを見る限り高句麗は大和と近縁かもしれん。
835:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:59:09.70 hyc3XXjD0
>>818
まぁ、資料も非常に少ないですから、真相を探るのは難しいですが、元々日本書紀が
大和朝廷の正統性を証明するために書かれた物である事から推測すると、邪馬台国が
そのまま大和朝廷になったというような単純なものではなかった事はまちがいないと
思います、しかし、大和朝廷が邪馬台国と同じヤマトと名乗っている事を考えると
大和朝廷が邪馬台国とまったくの無関係ではない事も明らかですね。
836:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:59:47.98 mElJAunm0
>>830
だから邪靡堆が近畿ヤマト政権であることを示せと言ってるだろがボケ。
837:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 02:59:57.43 GxNysuhA0
もともと古代の日本では、
嫁入りと言う文化が無かったんで、
必然的に母系で、
共同体の祭祀も女性が行ってたんでしょ。
それが出雲の影響で大和でも嫁入りするようになって、
男系の皇族が成立、さかのぼって男系の始祖の起源神話が生まれて、
男系の皇族による天皇が確定する一方で、古来の女性祭祀は、
神宮の伊勢への移転で皇族の女性が斎宮を継承、
って流れと違うか。
だから天照大御神は皇族の祖神なんだよ。
838:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:00:11.35 Cvu+xEtV0
確かに親魏倭王の金印はどこに行ったんだろう
正倉院の中に転がってたりするんだろうか
839:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:00:56.53 G+L1QYMRO
山幸彦と海幸彦はもともと兄弟だしね
840:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:01:23.47 dDx8cfc8O
もう淡路島でいいじゃん
おのころ島らしいし
841:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:01:27.37 5/aBz6tT0
俺も邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされたのだと思う
井沢元彦氏説ではないが、元々卑弥呼こそが天照だったのではないか、
元々信仰されていた神は後で大和朝廷の系譜を付け加えられ引き継がれたのではないかと思っている
842:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:01:33.48 4I/RdPO80
>>836
お前は九州王朝説論者なのか?
通説を否定するんなら、それを証明しなくちゃならんおはお前だw
843:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:02:39.70 Cvu+xEtV0
他にも魏志倭人伝に記されている邪馬台国の風習
・刺青
・泣き女
この2つが日本の風習から消滅したのは何故なんだろう
やはり邪馬台国は海の底に沈んでしまったとしか考えられない
844:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:03:26.64 vh0vn2qu0
神武天皇の東征伝説は九州王朝説の人々が最大の拠り所にしてるが、
そこには大和を指してそこがこの国の中心と言ってる。
邪馬台国=大和かどうかは判然としないが、3世紀以前から大和が日本の中心であったことはまず間違いない。
845:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:03:40.59 PBvwNJ5y0
>>823
そういう見方も一つの考え方としては面白いけど
俺の考えは邪馬台国=ヤマトだと思う
邪馬台国にとっては国内統一のために魏の力を必要としていたが
狗奴国を滅ぼした以上その必要性がなくなった
国内の統治に全力を傾けてその後満を持して朝鮮半島に進出するも
百済・新羅を討ったところで高句麗と激突(あくまで広開土王碑を事実とすればだが)
これが399年~405年
倭王讃が東晋に朝貢したのが413年
要するに独力で朝鮮半島支配しようとしたが高句麗が半島北側を支配してて膠着状態に陥り
150年前のように中華帝国の力を借りようとしたって流れ
だからヤマト(邪馬台国)にとっては統一後は魏への朝貢は何の価値もない
文字がわかるのであれば親魏倭王は明らかに臣下扱いなんだから
846:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:03:47.83 mElJAunm0
>>842
通説?
邪靡堆はヤマトと読める以上の通説など存在せんぞ。
それが近畿ヤマト政権であることを示せと言ってるんだよだから。
847:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:04:05.95 dDx8cfc8O
>>843
沖縄は戦前までは手の甲に刺青する文化があったらしいよ
848:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:05:28.79 G+L1QYMRO
ナガスネヒコ
「邪馬台国?知らんなぁ」
849:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:06:23.56 mElJAunm0
>>840
さあね。
おのころ島は能古島じゃ無いかとか思うがw
850:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:06:35.82 GxNysuhA0
だいたい邪馬台国の卑弥呼なんて言ったら、
大和の日の巫女しか思いつかんでしょ。
神宮の斎宮だよ。
中華側からすると、
自分たちの国をワが国、
とか自称するならワ人だし、
共同体の祭祀を行う巫女の神託で派遣されてきました、
ってんなら、ああ卑弥呼が女王なのかって勘違いするわけで、
困っちゃって天皇の命令で祭祀は男性が行う、
ってやろうとしたら、
古代からの習わしを変えてしまうのは云々、
とか守旧派の反対もあったんで、
神宮を伊勢に移転したんと違うか。
851:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:08:35.81 vh0vn2qu0
刺青は今でもあるし、泣女も戦前まで田舎にはあった。
852:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:09:42.60 Cvu+xEtV0
>>847
と言う事は沖縄が邪馬台国!
853:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:10:36.35 4I/RdPO80
>>846
お前は本当にカルトの手法を使うなw
総合的に隋書倭国伝の内容は用明天皇から推古天皇あたりまでとするのが通説だろ。
それとも、アメノタラシヒコがとか言って九州王朝説を論じるのか?
854:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:10:39.53 hyc3XXjD0
>>829
日本書紀という大和朝廷の正統性を証明する本をあえて書き記したというのも、
元はと言えば大和朝廷が自身の正統性に不安を抱いていたからと考えるのが
自然ですし、となると、大和朝廷が正当ではない手段で権力を手に入れたと
見るのが正しいでしょうね。
855:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:10:58.72 mElJAunm0
新唐書
あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。使者には情実がない故にこれを疑う。
これが「日本」をヤマトとも読む理由な。
倭(わ、またはヤマト=邪馬台)の号を冒したわけな。
856:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:12:55.89 Cvu+xEtV0
>>851
工工エエェェ(*´Д`*)ェェエエ工工.
857:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:13:18.33 GxNysuhA0
ヤマトは地域名称で、
日本人の自称がワなんでしょ。
今でも日本人は日本のことを、
ワが国って言うじゃん。
それで中華側は、
ワに倭の字をあてたんで、
日本では倭と書いてヤマトとも読む。
でも後に、
倭には矮小の意味もあると知って、
倭を和に置き換えて、
さらに大をつけたら、
大和でヤマトじゃん。
858:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:13:38.55 mElJAunm0
>>853
もちろんそうだ。
それは九州王朝説の否定が前提だが、九州王朝の否定は倭の五王を見れば
分かるように、そもそも成り立っていない。
859:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:14:04.59 c2NWXrOk0
だから何時からヤマトから日本になったんだよ
よっぽどの事が無い限り国号なんて変えないだろ
860:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:14:14.19 zPtKvMx10
・第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされる
(御杖代は依代として神に仕える者の意味であるが、ここでは文字通り「杖の代わり」として遷幸を助ける意味も含まれる。ちなみに、倭姫命が伊勢神宮を創建するまでに天照大神の神体である八咫鏡を順次奉斎した場所は「元伊勢」と呼ばれる)。
後に、東夷の討伐に向かう日本武尊(尊は倭姫命の甥王にあたる)に天叢雲剣を与えている。伊勢では、伊勢の地に薨じ、尾上御陵(おべごりょう)に埋葬されたと伝える。
伊勢の地で天照大神を祀る最初の皇女で、これが制度化されて後の斎宮となった。
・『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。
大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。
861:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:14:34.29 aVC6Pur30
関西朝鮮人はなんとしても卑弥呼邪馬台国を近畿にしたいんだなw
遺跡などからデッチあげるがどれも決定的なものじゃないから。
今後は関西朝鮮人御用学者の言い切り宣言に注意.
862:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:15:28.26 6K7U9BIv0
邪馬台国が大和国の母体だったとしてもその後の王や倭の五王が天皇家に直接つながる訳じゃなくね
邪馬台国は国家連合なのだしずっと後の磐井の乱の例もあるとおりで王権が間違いなく確立したと言えそうなのは飛鳥時代から
863:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:15:45.54 Cvu+xEtV0
>>859
『新羅本紀』では「670年、倭国が国号を日本と改めた」とされている。
864:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:16:09.38 G+L1QYMRO
倭を以てヤマトとせよ
日出天子より!
865:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:16:17.19 mElJAunm0
>>859
>>855
866:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:16:20.92 PBvwNJ5y0
>>854
難しく考えすぎじゃね?
白村江で負けてから国内の整備に力入れて
701年大宝律令成立、708年和同開珎の鋳造開始
古事記が712年、日本書紀が720年
編纂にどれくらい掛かったかだけど史記を書いた司馬遷が人生かけて編纂したのを考えれば
中国の近代国家制度を導入した時期に編纂開始したと見るのが妥当
867:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:16:21.13 Y8PreMye0
朝鮮半島の新羅からスサノオが渡来し、大国主から国譲りさせ出雲を征した(ヤマタノオロチ伝説)
そして吉備を経て物部政権を樹立した(奈良の纒向)
物部政権は初代神武から16代仁徳までであって
この初代から16代あたりまでの天皇(大王)は架空の存在であったが、実在のモデルは存在する
神武・応神なんかはスサノオであり、スサノオは新羅の王子であった天日槍であり
八坂神社でお馴染みの牛頭大王であり、敦賀の地名の由来にもなって敦賀駅前に銅像もある
都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト・ツノガアルヒト)であり、蘇民将来伝説の武塔神であり
ヤマトタケルでありと、挙げていったらキリがないからこの辺にするが、とにかく記紀等
日本の正史として捉えられている日本国の始まりとしては、この古代朝鮮人であったスサノオがパイオニア
実際日本が独立国家らしい姿を見せてくるのは継体・欽明のヤマト政権辺りからで
現代日本の礎を築いたのは天武天皇
実際「天皇」という称号を使い出したのも天武天皇と言われてて、それまでは小国の王を纏める
ヤマト政権の首長という意味で大王(オオキミ)と呼ばれていた
天武天皇は伊勢神宮の式年遷宮を制定し、崇拝を広めた人物であるが
本人は道教にも傾倒していて、天皇という称号を使用しだした理由も
唐の高宗が674年に自らの称号を皇帝から「天皇」に変えたから
この情報が遣唐使を通じて天武朝に伝えられ、689年に編纂された日本史上初の
体系的な法典といわれる飛鳥浄御原令に於いて「天皇」の称号が日本で初めて使われるようになった
この天武天皇は、高句麗末期の宰相であった淵蓋蘇文だという説も歴史ファンの間で支持されている
敦賀の地名の由来にもなって敦賀駅前に銅像もある
都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト・ツノガアルヒト)
これも古代朝鮮の王子であったスサノオ本人である
URLリンク(pandapanda.meblog.biz)
868:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:16:32.92 GxNysuhA0
もともと国号は無かったんだよ。
地域名称としてのヤマト、
自分たちを表す代名詞としてのワ、
ってのはあったんで、
ワ人とか邪馬台国とか言われてたけど、
国際的な統一名称として日のもとにある国ってことで、
日本を自称したんじゃないの。
869:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:17:34.55 4I/RdPO80
>>858
やはりなんでもかんでもアカデミックは嘘の九州王朝説の古田信者でしたねw
見てもわかるようにとかさ、具体的な話をしないでこういう言い回しで自分を正当化する
のは本当にカルトだわw
870:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:18:10.34 Cvu+xEtV0
「倭」と「日本」の関係について、
『日本書紀』によれば、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、
漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、
当初はこれを「ヤマト」と読んだとする。
『旧唐書』は、「倭国」と「日本国」を併記した上で、日本国は倭国の別種とし、倭国が日本国に改名した可能性と元小国の日本が倭国を併合した可能性について記している。
871:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:18:45.39 vh0vn2qu0
>>830
>だからさ、宋史日本伝と新唐書日本伝についての解説のどこが妄想なんだよ?
それは、古事記を元に書かれてるので、そう記述されてるのは当然。
872:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:19:00.38 mElJAunm0
>>869
近畿説がカルトwwww
倭の五王の説明とか、カルトそのものwwwwwwwww
873:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:19:11.63 hyc3XXjD0
>>841
私も卑弥呼は天照大神だったと思いますね、倭国大乱を女王が納めたというあたりの史実が
天照大御神という女神をあえて皇祖神とした神話となんとなく重なりますしね、ただ、後で中国側
に卑弥呼はどうなったか問われてさすがに天照大神とは言えなかったために神功皇后だと答えた
のだと思います、そして、大和朝廷が卑弥呼を自らの系譜の中に組み込んだのも自身の正統性
を確保するためだったと思います。
874:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:19:18.24 zPtKvMx10
そもそも、九州説だと倭国の範囲に矛盾が生じるんだよ。
九州説って要するに九州以東は倭国じゃないと言っているんでしょ?
875:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:20:28.74 PBvwNJ5y0
>>862
誰もそんなことは言ってないと思うよw
邪馬台国自体が豪族連合でヤマトも飛鳥時代の話見る限り豪族連合の名残があるし
飛鳥時代の天皇-豪族の関係と共立された卑弥呼-豪族との関係はほぼ同じでしょ?
国体自体は継続されてると見てもいいんじゃないの?
倭の五王あたりで一部の豪族の力が急速に強まったがそれもお飾りになって
その後の天皇に繋がった的な
876:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:21:07.65 Y8PreMye0
武王=舒明天皇、義慈王=孝徳天皇、翹岐=天智天皇、淵蓋蘇文=天武天皇、
武王の妃=皇極天皇、斉明天皇であり、智積=鎌足となり、金ユ信は淵蓋蘇文の義父となっている
さらに、文武天皇は淵蓋蘇文の子であり、新羅の文武王であったが、681年に死んだことにして
日本に亡命し、軽皇子として吉野で蟄居していた
そして文武天皇となったという話
日本正史では以下のようになっている
推古(592-628)→舒明(629-641)→皇極(642-645)→孝徳(645-654)
→斉明(655-661)→中大兄称制(661-668)→天智(668-671)→弘文(671-672)
→天武(673-686)→持統称制(686-690)→持統(690-697)→文武(697-707)
877:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:21:32.63 vh0vn2qu0
>>861
>関西朝鮮人はなんとしても卑弥呼邪馬台国を近畿にしたいんだなw
いや、俺は別にしたくない。
魏志倭人伝自体がデタラメな上、邪馬台国も後の日本とも皇室ともあまり関係あると思えないのでどうでも良い。
過去に存在し滅んでいったあまたある国々の一つ。
878:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:21:56.03 4I/RdPO80
日本の名称の使用の最古例は最近更新されたね。
【歴史】 「日本」呼称、最古の例か~百済人の軍人の墓誌に「日本」の文字、中国で発見★2[10/22]
スレリンク(news4plus板)l50
>中国の古都・西安で見つかった墓誌(故人の事績を刻んで墓に収めた石板)に、「日本」との文
>字があることを紹介する論文が中国で発表された。墓誌は678年の作と考えられるとしている。
>日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の大きななぞ。大宝律令(701年)からと
>の見方が有力だったが、墓誌が本物ならさらにさかのぼることになる。
>
879:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:22:04.72 G+L1QYMRO
九州以外は比定地すらわからない状況だもんな
880:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:22:12.39 mElJAunm0
近畿説は、まず近畿説ありき、だから。
都合の悪いのは、解釈を捏造して切り抜ける(?)。
>>459に対する捏造反論とか、その典型。
倭の五王の説明とかも。
学問的に根拠の無いことを、ペラペラっとさも当然の様に喋るw
881:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:23:01.86 sB7rwqP60
>>7
西都原も面白いよ。
宮崎に足を伸ばせればだけど。オレは感動した。
882:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:23:05.29 zNmWnG9T0
>>873
卑弥呼は天照大神!!
「ひきこもり」の元祖ではないですか。
天照大神といえば
女性のひきこもりですか・・・
なんか親近感が沸きますねえ
しょうもない話ですみません
883:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:23:16.27 RwRzg5Yy0
邪馬台国は呉と同盟関係にあって、卑弥呼は呉の要請で魏にスパイを送り込んだんだよ
つか、起訴猶予で実妹報道されないって分かったんだから、チャンスじゃねーの?
884:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:23:33.71 Y8PreMye0
八坂神社 創祀
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神?官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀に
ついては諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を
山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東の麓、
祇園林に垂跡したことに始まるともいう。
伊利之来朝のこと、また素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは、ともに『日
本書紀』に記されており、『新撰姓氏録』の「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、そ
の祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してある。この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一
人物と考えられている。伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね)
・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などと
して近畿地方に繁栄した。
天長6年(829)紀百継(きのももつぐ)は、山城国愛宕郡八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀の地とした。これが感神院の始まり
ともされている。そして、八坂造の娘を妻とし、男子のなかった八坂造家の職を継承したといわれ、その後裔である行円
(ぎょうえん)は、永保元年(1074)に感神院執行となり、以後子孫代々その職を継ぎ、明治維新による世襲制の廃止まで続いた。
885:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:23:37.91 5/aBz6tT0
見てきたわけじゃないから何ともいえないが、歴史で空想するのは楽しいよな
俺は今でも九州説支持だな、あんなへんぴな場所に謎が多く残ってる
大分には姫島の狐踊りのような妙な風習が今もある
別府湾には日本のアトランティス瓜生島という大きな島があったなどの伝説も残っている
神代文字である豊国文字で書かれた 『上記』がまた面白い
URLリンク(ja.wikipedia.org)上記
内容は、ウガヤフキアエズ王朝に始まる神武天皇以前の歴史や、
天文学、暦学、医学、農業・漁業・冶金等の産業技術、民話、民俗等についての
記事を含む博物誌的なものである。
886:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:23:55.88 hyc3XXjD0
>>845
なるほど、邪馬台国がそのまま大和朝廷になったという説ですね、ただ、
それだと親魏倭王の金印が皇室に伝わっていない疑問が残りますが・・・。
887:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:24:06.57 4I/RdPO80
>>876
はいはい、小林惠子ネタですね。
888:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:24:30.74 mElJAunm0
>>879
御井でオケ。
>>181
>>191
>>199
889:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:24:51.22 PBvwNJ5y0
>>878
国号にしたのが701年の大宝律令だとしても
当然以前から使ってただろうことは容易に想像できるよね?
大宝律令はあくまで中国式の律令体制に移行したというだけの話で
それ以前のものを全て捨て去ったという意味ではないから
890:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:24:52.14 Cvu+xEtV0
>>878
じゃあ新羅本紀にある「670年、倭国が国号を日本と改めた」説が一番真実に近いのか
660年 - 新羅と唐の連合軍が百済を滅ぼす。
661年 - 第4代の正統カリフであるアリーが暗殺され、ウマイヤ家のムアーウィヤがカリフとなる。ウマイヤ朝イスラム帝国成立。
663年 - 白村江の戦いで、日本が、唐・新羅連合軍(唐・新羅の同盟)に大敗する。
667年 - 近江国の大津へ遷都(- 672年)
668年 高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされる(唐の高句麗出兵)。
中大兄皇子が天皇に即位(天智天皇)。 ←きっかけはこの辺かな?
891:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:25:36.23 vh0vn2qu0
何でも良いが神代文字はやめろ。
アヒル文字とか持ち上げてた売国チャンネル桜と同レベルになる。
892:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:25:48.56 Y8PreMye0
668年に高句麗が滅亡すると難民・棄民となり倭国に亡命してきた高句麗人もあり、716年には武蔵国に高麗郡が建郡された。
高麗郡大領となる高麗若光には705年に王(こきし)の姓が贈られており、高句麗王族であろうとされる。
高麗郡高麗郷の地である埼玉県日高市にはこの高麗王若光を祭る高麗神社が今も鎮座する。
ほかにも『新撰姓氏録』には以下のような高句麗系氏族が見られる。
狛人…高麗国須牟祁王の後(河内国未定雑姓)
狛造…高麗国主夫連王より出(山城国諸蕃)
狛首…高麗国人安岡上王の後(右京諸蕃)
狛染部…高麗国須牟祁王の後(河内国未定雑姓)
大狛連…高麗国溢士福貴王の後(河内国諸蕃)
大狛連…高麗国人伊斯沙礼斯の後(和泉国諸蕃)
893:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:26:12.33 Z1wQThiE0
>>19
うわぁ…
今後、九州四国西日本の地元の人はよほど気をつけないといけないな。
墓荒らしの泥棒が来る。
地理的に近いんだからさあ。
泥棒の国と。
894:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:26:21.45 G+L1QYMRO
倭人伝は信用が出来ない記紀を信用するべきなら
畿内はニギハヤヒとナガスネヒコの土地だったで終わりだよな
895:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:26:31.88 4I/RdPO80
>>886
印は下賜された王一代限りか与えた王朝が途絶えるまで有効。
だから、金印は返還された可能性もある。
896:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:26:45.21 1gxVQq5Y0
>>888
海まで遠すぎるだろ
897:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:28:15.01 mElJAunm0
>>874
全然矛盾しない。
捏造解釈と矛盾するだけ。
隋書
翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。百済を渡り、
竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。
そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。
また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
898:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:28:44.51 vh0vn2qu0
金印は冊封国の証明なので、倭→大倭・大和・日本になった時点で捨てたでしょう。
899:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:28:45.18 PBvwNJ5y0
>>886
親魏倭王
いつまで残ってたかは分からないが(個人的には台与の時代西晋に最後の朝貢が行われた
266年以降に鋳潰されたと見るが)少なくとも日本書紀成立後にこの金印が残ってれば大問題でしょw
皇室に伝わるわけがない訳で
漢倭奴国王印みたいにどっかに捨てられてれば埋まってる可能性もあるけど
900:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:28:48.73 sakh/uXr0
>>835
遣隋使と日本書紀の順序が逆なのが大きな糸口だと思う。
ご存知の通り、日本書紀はそもそも中国に対して日本国の成り立ちを説明するために編纂された文書だし、
そもそも正史とは新しい国家が出来た際にその正当性を説明するために作成されるもの。
つまり、聖徳太子の建国した律令国家と日本書紀を編纂した国家は別の国なのよ。
「日本は継続していない。」と解釈すれば全て合点が行くところを、
無理に継続性がある前提で考察するから無理が生ずる。
現在の日本国家も1945年に建国された国家であり、以前日本列島に存在した国家とは何ら関係がない。
901:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:28:48.78 4I/RdPO80
>>889
こういう話が最近あったねという程度のものだからw
ただ想像するんでなくそれ以前と比べて根拠が増えたよというものだしね。
902:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:29:53.18 1gxVQq5Y0
>>895
漢委奴国王印は石で作った墓みたいのに入れられて掘り出された訳ですが
903:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:31:12.69 Cvu+xEtV0
やはりこうして並べてみると邪馬台国=ムー大陸説がもっとも信憑性が高いような気がする
904:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:31:49.06 Y8PreMye0
三井寺 新羅神社考
福井県の新羅神社(1)
若狭地方の森羅神社
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。
URLリンク(www.shiga-miidera.or.jp)
安羅神社 滋賀県草津市
「日本医術の祖神、地方開発の大神を奉祀する」とあり、祭神は天日槍命(新羅の王子)とする。
「近江国の吾名邑」は、ここ「穴村」に比定する。天日槍が巡歴した各地にはそれぞれ彼の族人や党類を留め
後それらの人々が彼を祖神として、その恩徳を慕うて神として社を創建した。
「安羅」という社名は、韓国慶尚南道の地名に同種の安羅・阿羅があり、天日槍を尊崇するとともに
故郷の地名に執着して社名にしたものと思われる。社宝として古来神殿に蔵されている数十個の小判型黒色の小石は
従前その由来が判明しなかったが、近年有識者によると、この小石は野洲川源流地帯に多い玄武岩と同質とされ
その黒色をなしているのは火にあぶって温め(温石として)患部に当て治療に使用したものと解かった。
このことは今日の鍼灸の原型をなす医術であるとされる。
905:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:31:54.84 hyc3XXjD0
たぶんヤマトという名前は単なる国の名前じゃないと思う、なぜなら
大和という名前は言ってみればとてつもなく尊大な名前であって、普通の国が
名乗れるような名前じゃないからです、つまり、大和とは倭の大と書きますから、
そのような名前を普通の国が名乗れたわけがありません、つまり大和とは
特定の国の名前ではなく、元々何百にも分かれていた国々を統一した国に
与える称号のようなものだったと思います。
906:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:33:28.88 GxNysuhA0
古代の日本には嫁入りが無くて、
必然的に母系で、共同体の祭祀は女性が行ってた。
沖縄の一部では今でも、女性が共同体の祭祀を行う伝統が残ってるし、
伊勢神宮にも皇族の女性が斎宮として務める伝統が長く続いてた。
大陸や半島の影響かもしれないけど、
出雲で嫁入りが行われるようになって、
男系の氏族が成立するようになると、
有力な勢力だった大和でも嫁入りが行われるようになって、
男系の皇族が成立したんでしょ。
だから国譲りの後に天孫降臨、
って流れになるんだよ。
嫁入りによって男系化してから、
そもそも男系の始祖は誰なのかという疑問が生じるんで、
男系始祖の起源神話が挿入される。
907:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:33:54.07 c2NWXrOk0
大和って書いて何で読み方がヤマトなんだよ
誰が最初に読んだんだよ
908:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:34:13.72 PBvwNJ5y0
>>902
あの発掘時の話って色々怪しいんだよね
偽物と言う気はないけどさ
あれが偽物なら作った奴は間違いなく親魏倭王印も作ったはずだし
909:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:34:14.15 4I/RdPO80
>>902
所有者が返還できずに放棄する事情が発生したということでは?
邪馬台国の時には想定されている奴国なり伊都国は連合傘下であるが主導する立場ではないし。
910:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:35:46.23 /vpczqfr0
陵やら準陵の発掘規制なんてやめて、とっとと調査させろよ
墓だからっていう論理も分かるが、せめて1000年以上前のものは全部公開しろ
盗掘されてりゃ世話ないわ
911:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:36:49.42 G+L1QYMRO
>>907
蘇我さん家のウマくんの息子さんらしい
というのがもっぱらの噂
912:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:36:58.68 Cvu+xEtV0
やっぱり親魏倭王の金印が出て来ない事に対してちゃんと納得できる説明が出来る人はいないな
マジでどこ行っちゃったんだろうなあ
913:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:37:16.44 Z1wQThiE0
>>898
中国歴代王朝との貿易が正式には朝貢貿易でしょ?
江戸時代まで。
タテマエ上は柵封体制化にあるって事で貿易してたんじゃないの?
貿易以外では不都合はなかったわけだし。
914:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:37:39.57 1gxVQq5Y0
>>908
いっそそっちの方が重要なのになw
>>909
大昔から皇室や朝廷の文化として、やべえものは、奉ったり祀ったりするじゃん?
道真とかさ
915:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:38:11.60 fNBQRxFj0
捏造金印を教え込まれた世代
916:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:38:23.27 Y8PreMye0
日本神話において、神武東征の際に高皇産霊尊によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への
道案内をしたとされるカラスとして有名な八咫烏、日本では和歌山県の熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)
をはじめ全国2000余の熊野(高麗野)神社の共通の紋章であるが、奈良・明日香村キトラ古墳(8世紀初頭)の天井壁画
太陽図にも日輪の中に三足烏が書かれている
高句麗の古墳壁画によく見られるこの三足烏は、太陽の中で生きる、三本足を持った想像上のカラス
中国・集安の「五カイ墓4号墓壁画には、円(太陽)の中で翼を半円形に広げて立つ三足烏が描かれている
あと、北朝鮮の平壌・徳興里古墳や江西中墓には、太陽の中の玄鳥が翼を広げて飛び立つ様子が描かれている
4世紀の高句麗の古墳壁画に初めて登場する「太陽の中の三足烏」がこのような図像の枠組みを持つに至った背景には
古来から伝承されてきた太陽崇拝やソッテ(信仰の対象、または何かのお祝いのために立てる長い竿)信仰・卵生説話
などの「鳥トーテム」が緊密に関係しているとされている
太陽とカラスとの関連については、高麗の文臣・李奎報の詩文集『東国李相国集』の「東明王篇」で
太陽の化身である解慕漱(かいぼそ=高句麗の建国神話では天帝の子で、東明王〈朱蒙〉の父とされる)が頭にカラス
の羽で作った「烏羽冠」をかぶっているところに淵源を求めることができるとされている
三足烏は高句麗建国のシンボルであり、三足烏と云えば高句麗の始祖、朱蒙(チュモン)であり朱蒙が率いた軍旗でもあった
三足烏の形象とは古朝鮮以来のシンボルであり、漢民族は朝鮮族を東夷族と呼んでいたが、三足烏の形象は東夷族のものであり
高句麗は中国中原にあって、朝鮮族がもともと居住していたと云われている
三足烏(Samjokgo サムジョゴ)は高句麗の建国神話などに見られる文様
917:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:39:04.88 PBvwNJ5y0
>>912
漢倭奴国王印があんな場所で見つかった理由は
奴国の使者が中華皇帝に拝謁したはいいが、
臣下扱いのあんな金印持ち帰ったら奴国王にどやされるから
帰り道に捨てたって説もあるw
918:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:39:26.50 hyc3XXjD0
>>882
大和朝廷は卑弥呼を天照大神として自身の系譜に組み込む事で自身の正統性を確保
しようとしたんだろうけど、中国側から卑弥呼の事を問われた時に、卑弥呼という存在
していた時期がはっきりとしている人物を天照大神としてしまうと、天照大神をはるか太古
の伝説としたい大和朝廷としては都合が悪かったのだと思います、それで、卑弥呼を
神功皇后だとする不自然な解釈をする事になったのだと思います。
>>895
>>899
なるほど、そういう解釈もありますね。
919:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:39:43.59 GxNysuhA0
単にヤマトの出先機関があっただけじゃないの。
920:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:39:55.54 4I/RdPO80
>>907
飛鳥時代から奈良時代にかけて国名や地名を佳字二字とする法令が出た。
奈良盆地のヤマトのクニはそれで奈良時代終りまでの間に
「倭国→大倭国→大養徳国→大倭国→大和国」
と変遷した。
921:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:40:33.78 Y8PreMye0
高句麗のシンボル三足烏は、日本では八咫烏と称されている
・奈良県橿原市五條野町に八咫鳥を祀った八咫鳥神社
・奈良県明日香村のキトラ古墳で石室の天井にある星宿図の日輪の中に三本足のカラス(日象)
・八咫烏は加茂建角身が化身した姿だと云われていて建角身は賀茂御祖神社=下鴨神社の祭神であり
賀茂別雷神:賀茂神社こと賀茂別雷神社に祀られている神
・建角身命を祀る京都の上加茂神社では禰宜が烏に扮して年を占う烏相撲を執行していて、八咫烏は熊野の
夫須美神の使いでもあり、熊野の火祭では烏帽をかぶり八尺の黒衣で烏の嘴をかたどって烏と化した神官が
空中に扇で呪文を書き、それは烏文字で護符や熊野誓紙の文字ともなった
・美保神社の青柴垣神事に用いられる神宝である三本足の烏と兎もそれぞれ日神と月神を象徴している
・穏地郡武良郷の中村の御客 祭(荒神祭)は霊山・大峰山の山祭であり、ここに古式の的射神事が残されていて
その的となるのは遠来の神は日神たる「烏」の図像であり武良郷全体の大祭「日月陰陽和合祭(略して日月祭)
もまた日神(三本足の烏)と月神(白い兎)を祭りの旗印(御神体)」としている
・三島と云う名前が付く神社は全国に1万社以上あり、その総本山は静岡にある三島大社であり延喜式によると
三島大社は伊豆国賀茂郡にり伊豆はかなり早い時期から賀茂氏が支配していた場所であって、伊豆諸島の神社は
ほぼ事代主命を祀っている
922:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:40:43.99 Cvu+xEtV0
>>917
ちょwww捨てないでwwwwwwwwwwwwwwwww
923:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:40:45.41 1gxVQq5Y0
>>912
どっかに大事に隠してあんだよ
それを隠す為に、いろんな古墳をアンタッチャブルにしてある、とか
924:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:41:52.70 GxNysuhA0
高麗国の後継国は、
せいぜい渤海国とか、
あるいは満洲国だろう。
中華は古来、
東北に悩んでたんで、
東北を鬼門と称したんだわ。
925:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:42:07.67 RwRzg5Yy0
>>905
大和は当て字。
白村江の戦いでボロクソに負けたんで一致団結しなきゃってんで
「和をもって尊しとなす」という意味をこめて「大和」としたんだと思う
926:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:42:39.28 JQ4hrqka0
香川が今日はハッツトラック決まるで!
927:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:43:04.60 G+L1QYMRO
何回、九州征伐してるんだよな
ってのが記紀の感想
つうか九州に里帰りしてたんじゃねえのか?
928:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:43:34.75 sakh/uXr0
>>890
自分も大化の改新が日本の始まりとの見解かな。
大和は唐との戦争で疲弊し自滅、同時に朝鮮半島の領土を失う。
大化の改新はいわゆるクーデターとして伝えられているけど、
外交的に唐に敗北した国を継承したくないことから日本とし、
しかし、内政のために大和の継承国家を装う必要があった。
少なくとも天智天皇とそれ以前の天皇は全く赤の他人だと思うよ。
天武と天智も兄弟じゃない。
929:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:44:05.59 hyc3XXjD0
>>900
その可能性はたしかにありますね、断絶がある可能性はあると思います。
930:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:45:14.27 Y8PreMye0
日の丸の歴史
701(大宝元)年、文武天皇の御代、797年に編纂された続日本紀の朝賀の儀に関する記述で、正月元旦、
儀式会場の飾りつけに「日象」の旗を掲げたとある。これが日の丸の原型で最も古いものといわれている。
文武天皇の後、天皇が即位する際の飾りでは、正面に鳥形の幢、左右に日月像の旗を立てるようになったと伝えられている。
「日月(じつげつ)紋]は太陽と月を象った紋で、太陽は天照大御神、月は月読尊を表していると言われている。
この日月の紋のついた旗が「御旗」と呼ばれていたと解釈できる。当時は太陽と月の2つをセットにして考えられていた。
どちらが太陽か月であるかを区別するために、太陽を金で、月を銀で打つようになる。月を丸ではなく三日月にしたものも現れ
室町時代からは菊家御紋章を打つものもでてきて、皇室の現在の紋章となっていったものと思われる。
931:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:45:51.53 GxNysuhA0
訂正:高麗国→高句麗
高麗国は李氏朝鮮の前の王朝だけど、
高句麗の後継国かと言ったら、ちょっと分からない。
影響は皆無じゃないだろうけど、
このへん、半島は大陸とくっついてるから、
ややこしいな。
確か高麗がコリアの語源なんだっけ。
でも高句麗が滅びた後で日本に、
高句麗の後継を称する渤海国の使者が来て、
新羅を挟み撃ちにしようぜ、
って持ちかけられたんだけど、
唐との関係改善を目指してた日本は、
断ったらしい。
ただ、渤海国とは、
滅亡するまで何回か交易したんだとか。
932:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:45:55.73 PBvwNJ5y0
>>923
まぁ宮内庁とかちょっと常識通じないからね
それは出雲大社とか伊勢神宮もそうだけど
彼らは万世一系で2600年以上の歴史があるという前提でしか動かないから
そんなものは嘘だと日本人なら皆知ってるわけで
そもそも天皇家自体が神武天皇の存在を信じていなかった
それは神武天皇を祀る橿原神宮が明治になってから作られたのを見てもわかる
半島由来の物が出ると困る説もよく言われるけどさ
百済と新羅は倭人の建国した国説もあるわけでそもそも半島は楽浪郡や帯方郡があったわけで
別に何が出ようが問題ないんだけどね
一部キチガイがいるでしょ左右ともにさw
933:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:46:27.90 vh0vn2qu0
>>905
近頃、俄に保守・右翼ブームですが、その割に大和の大、大日本帝国の大について
まともなことを言ってる人がいないのが不思議ですね。
以前、チャンネル桜で篠沢教授が「日本は小さな国なのに大英帝国に憧れて大日本帝国と名乗った」
とか言っててビックリしました。
中国文化圏・漢字文化圏で大という国号を付けるのは天子を頂く国のことです。
中国では文明の中心は中国であり、世界は皇帝が支配すべきところ、
その他の地方は皇帝の恩寵がとどかない野蛮国という思想があります。
中国では戦乱の世を統一して統一王朝を建てると大漢とか大清国と国号に大を付けて名乗るのです。
それは、自分が天の命を受けた地上世界の正当な支配者であるという宣言です。
周辺国はそれに不満を持っても大も皇も名乗れませんが、中国に対抗できるだけの力を付けると大を名乗ります。
いわば独立国宣言です。
それが、蒙古→大蒙古、ベトナムの越国→大越国であり日本の倭→大和国、大日本帝国なのです。
934:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:46:39.60 JQqcAhqv0
>>913
朝貢と冊封はイコールではないぞ
冊封国は毎年朝貢せねばならんし
朝貢自体は多少上下のある友好関係くらいなニュアンス
中華王朝の宋も金に朝貢しておったし
935:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:47:16.40 4I/RdPO80
>>900
>現在の日本国家も1945年に建国された国家であり、以前日本列島に存在した国家とは何ら関係がない。
これ一部の学者とそのシンパの間でしか通用しない主張だから。
天皇も帝国議会も継続していたのに建国もへったくれもないよ。
936:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:47:24.77 Y8PreMye0
熊野神社 八咫烏(日象)
URLリンク(www.bell.jp)
URLリンク(mikumano.itafusa.com)
URLリンク(blog-imgs-17-origin.fc2.com)
URLリンク(www.omairibiyori.com)
鳥トーテム(ソッテ)
URLリンク(pds.exblog.jp)
鳥居の原型は木の柱の上に鳥がのったもの
高句麗古墳 三足鳥
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.searchnavi.com)
八幡大菩薩の日象文
URLリンク(blog-imgs-52-origin.fc2.com)
キトラ古墳 星宿図 日象・月象
URLリンク(pds.exblog.jp)
キトラ古墳 日象
URLリンク(www.asahi.com)
高松塚古墳 日象復元図
URLリンク(c-academy.up.d.seesaa.net)
937:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:47:33.20 RwRzg5Yy0
>>900
明治時代に作られた法律が今でも生きてるし、とりあえず継承はしてると思う
明治維新は、まま、別の国と言ってもいいかもしれないけど
938:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:49:13.95 GxNysuhA0
日本は天皇が統べる国だよ。
ただ、権力争いは、
戦国時代とか色々あって、
いまでは選挙でやってる。
日本の主催者は天皇だけど、
運営は幕府とか政府がやります、
って長い時間かけて仕組みが出来たでしょ。
939:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:49:24.53 PBvwNJ5y0
>>928
白村江は大化の改新の後だぞ・・・・
中大兄皇子が百済に入れ込んで大敗したのを誤魔化すために
国内に専念しただけだろう
まぁあの異常なまでの百済への入れ込みと中臣鎌足が「韓人」と記載されてる部分から
大化の改新で世話になった百済出身の中臣鎌足のために軍隊派遣して大敗した説が
出てきてるわけだが
940:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:49:28.69 zPtKvMx10
邪馬台国は大和国でOK?
941:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:49:33.77 Y8PreMye0
四神像(朱雀、青龍、玄武、白虎)
・キトラ古墳 4つ揃っている、白虎が北向き(めずらしい)、躍動感がある
星宿図
・キトラ古墳 精密で平壌(ピョンヤン・北朝鮮)からみた星空だという説がある
十二支像
・キトラ古墳 朝鮮半島風のキトラの獣頭人身十二支像
国営飛鳥歴史公園
URLリンク(www.asuka-park.go.jp)
942:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:49:37.88 vh0vn2qu0
日本の援助で独立した大韓帝国、戦後アメリカの援助で独立した大韓民国も同じ理屈です。
943:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:50:57.01 4I/RdPO80
>>937
明治維新もちゃんと天皇と朝廷が律令の破棄やったり新しい官職の整備をしているから
継続してるんだよ。
944:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:51:21.75 Z1wQThiE0
>>934
> 朝貢と冊封はイコールではないぞ
ああそう?
イコールだと思ってたわ。
こら勉強が足らんな。
945:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:51:38.24 zPtKvMx10
日天の本家が日本国。
日天の分家が、日本国の近隣諸国。
日本国最強伝説!
946:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:52:01.04 PBvwNJ5y0
>>934
倭は冊封国でも扱いが特殊なんだよ
倭の五王の頃は高句麗に対する牽制の意味もあって蛮夷の中でも特別扱いされてる
その後も地理的にそういうポジションで扱われているわけ
947:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:53:26.15 sakh/uXr0
>>943
それが継続と呼べるのかって話かと。
実質、継続していないものを継続している体裁とした。という話でしょ。
それは継続しているとは見なさないと思う。
948:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:54:21.57 rF5vq35g0
金印が残ってるのが不思議だわなぁ。属国の証だから捨てたなら捨てずに
鋳潰せばいいんだしそのほうが証拠残らないやん。倭の国の子孫がいづれ
正統性と示すために保存しておいただろうからそこが倭の国なんじゃないの?
949:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:54:48.99 4I/RdPO80
>>947
いわゆる幕府は律令体制を前提にして存在していたものだよ?
950:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:55:56.34 hyc3XXjD0
>>925
ちなみに、大和という字は元々ヤマトとは読めませんから、大和は諸国をまとめたという称号で、
ヤマトは国名だったと思います、つまり、邪馬台国とは国名であり、もちろんヤマトと呼びましたが、
そのうち大和という称号とヤマトという国名を混同するようになり、大和をヤマトと読むようになった
のだと思います、そして、後に狗奴国が邪馬台国を滅ぼした時に大和の称号と共にヤマトという
国名もまた受け継いだのだと思います。
951:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:56:30.84 PBvwNJ5y0
>>947
大日本帝国憲法に基づいて招集された帝国議会で
日本国憲法が承認されてるんだから継続していない説のほうが無理があるよw
じゃあ日本国憲法に基づいて憲法改正された場合は継続されてない別の国なのかって話でね
952:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:56:50.80 Y8PreMye0
鳥居の原型
URLリンク(art58.photozou.jp)
URLリンク(akatonbo-jo.cocolog-nifty.com)
URLリンク(stat.ameba.jp)
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
URLリンク(img.4travel.jp)
ソッテ
URLリンク(inoues.net)
953:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:57:46.27 GxNysuhA0
ヤマトは地方名で、
ワ人は日本人の自称からでしょ。
つまり、倭人が住む領域全般を表す単語、
ってのは無かったんだわ。
それを表したのが日本、
って考えりゃいいんじゃないの。
954:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:58:07.52 1gxVQq5Y0
>>932
宮内庁が日本の史学の限界決めてる様なもんだもんね
955:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:59:04.39 sakh/uXr0
>>949
言うまでも無く形骸化していたけどね。
江戸時代の法律は全て幕府が発布しており、朝廷には何の権限も無かった。
日本人だからこそ日本国が継続していないことを理解しないといけないんだよ。
大和と日本は違う国だし、日本という名前の国も何度も起こっては滅亡している。
今世紀中にまた日本は滅びると思うよ。そしてまた日本という新しい国が誕生する。
同じ名前にしておけば継続している風に見えるから。
956:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 03:59:57.50 GxNysuhA0
迂闊なことは言えないが、
追放されたスサノオは半島へ行って、
大国主はスサノオの娘と駆け落ちした、
つまり嫁入りが形成された、
って解釈とか。
957:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:00:15.86 hyc3XXjD0
>>933
おお・・・やはりそうですか、実は前々から大和という名前はどう見ても普通の国が
名乗れるような名前じゃないと思っていたのです、だから、たぶん大和とは国名
ではなく称号なんじゃないかと思い続けていたのですよ。
958:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:00:32.09 1gxVQq5Y0
>>948
もしくは、金印貰った王朝を滅ぼした側の人間が
祟りを畏れてナイナイしちゃったか
959:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:01:58.20 PBvwNJ5y0
>>954
まぁ難しいところだよね
何が出ても都合の良いように天皇を貶める方向で捏造する奴が必ず出てくるから
戦後の日本では考古学にイデオロギーが介入するからね
俺達が知りたいのは純粋な歴史的事実だけなのにな
江南だろうが半島だろうがどーせ今住んでる奴らは民族的に関係ないからどうでもいいんだよw
960:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:02:13.01 4I/RdPO80
>>955
いや、だからね、諸法度は律令があるのを前提にしてんのよ。
官職とかどうやって決めてんだよ。
徳川家が独自に作ったのか?
961:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:02:16.83 GxNysuhA0
ヤマトの出先機関が九州にあって、
そこの役所に金印があっただけじゃないの、
って言っちゃダメなんだっけ。
962:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:04:04.11 rF5vq35g0
>>958
あそうか、三点の置石に上に巨石はいかにも荒神封じだしね。
963:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:04:30.22 RwRzg5Yy0
>>955
征夷大将軍は朝廷から与えられていた官職なんだし、
実態はどうあれ、形式的には継承してると言って差し支えないよね
964:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:05:04.47 JQqcAhqv0
中国人や欧州人みたいに敗れた国は皆殺し
人種民族総入れ替えみたいな事は起こらなんだな。
これは日本特別の幸せ
965:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:06:09.11 1gxVQq5Y0
>>959
実は大化の改新~聖徳太子一族滅亡位まで?権謀術数で
血で血を洗ってたりしたら、それはそれで面白そうなのになw
966:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:06:26.51 wUXQmx1g0
>>964
あったかも知れんが天皇家の形成よりは古い時代だろなあ。
967:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:06:29.91 O/Vy3UIH0
征夷大将軍自体が律令の中で朝廷から任命されているわけで
大宝(養老)律令から徳川滅亡まで日本の憲法はずっと一緒だぞ
武家諸法度なんかは征夷大将軍が自分の部下に課した法律であって国家の継続性とは何の関係もない
968:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:06:35.93 4I/RdPO80
>>955
征夷大将軍は官位を得ていることで、律令によって定められた個人の役所を持つ
権限を行使できるんだよ。
鎌倉幕府も室町幕府も将軍個人が律令の規定で与えられる権限を使っているだけ。
969:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:06:52.28 rF5vq35g0
天皇に血筋なんて関係ないでしょ? 三種の神器とカミと交信できる秘儀を習得してるかどうかしかないじゃん。
巫女はそういうもんでしょ?
970:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:06:57.53 YeWhNXZU0
>>7
意外と関東にも多い
埼玉のさきたま古墳群や群馬の古墳からは国宝の刀や埴輪がでてる
関西は盗掘されてるからな
971:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:06:58.86 LW/PPyuu0
>>843
流行に流されやすい日本人という可能性もあるからな
刺青だせえ、泣き女はずい、ってことになれば、
あっという間に消滅したりする
ミズラもチョンマゲもなくなっただろ?
972:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:07:04.27 G+L1QYMRO
普通に山戸が先だろ
つまり山戸と倭は別物
973:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:07:15.52 zPtKvMx10
もう、邪馬台国は九州説論者の心の中にあるということにして、さっさと畿内を発掘しようぜ。
974:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:08:23.80 1gxVQq5Y0
>>962
でしょ?
だからどっかの神社に鏡と金印が「祟り神」として
祀られてるかも、と思うとちょっと楽しい
975:967@転載禁止
14/04/10 04:08:39.16 O/Vy3UIH0
日本国家の継続性という意味で一番断裂したと思われるのは継体天皇
ただこれも全大和朝廷の血族を自分の妻に迎えることで一応の継続性は保っているのかな
976:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:09:07.57 LW/PPyuu0
>>967
しかし、禁中並公家諸法度ってのもあるからな
977:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:09:23.76 GxNysuhA0
時系列的には、
もともと古代の日本には嫁入りがなくて、
必然的に母系の部族社会が形成されてて、
それが南方から渡来した人達によって、
稲作や航海術が伝わって、
農耕技術の発達とともに、
半島南部まで活動域が広がって、
出雲で嫁入りが行われるようになり、
大和でも嫁入りで皇族が形成されて、
半島や大陸との交渉の過程で、
古来の巫女による祭祀はマツリゴトの場から遠ざけられて、
伊勢に移転したとかなったんと違うか。
結果として、
高貴なる皇族の男系始祖は旅をしてきて、
皇族の女性が伊勢に行って斎宮を務める。
978:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:09:54.70 Y8PreMye0
群馬の多胡羊太夫とは何処の国の人か
胡という漢字が何を意味するか
それが多いということは
979:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:12:00.00 PBvwNJ5y0
>>975
まぁ男系という意味では断絶してる臭いけどね
まぁ平安時代の乱れた(自由な?)性を考えると途中でどっかの貴族の子供が
天皇になってる可能性もあるけどねw
980:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:12:05.85 Y8PreMye0
八束小脛とは何者か
天狗か?
981:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:12:09.50 4I/RdPO80
>>976
禁中並公家諸法度は藤原氏と徳川家が共同で制定したもの。
それまでの朝廷の慣習を再構築しただけのものだよ。
乱世の間に乱れてしまっていたから朝廷側の必要からやってんだよ。
982:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:13:50.48 GxNysuhA0
継体天皇は、
中央で男系の皇族が絶えちゃったんで、
母親の共同体にいた有資格者を迎えたんでしょ。
もともと、
母系部族社会を背景とした、
男系王族なんだよ。
983:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:14:45.93 1gxVQq5Y0
>>971
刺青が無くなったのは、素潜り漁が減ったとか、刺青なんて入れてたら、
一歩間違えたら破傷風で苦しみぬいて死ぬ時代だったからだと思う
魏志倭人伝に記された様な、鯨面獣身やってる国民がいる国なら、
海が近くないとありえねえと思ってるんだけど、そこなんだよそこ
984:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:15:55.90 FMN431Rx0
ゴッドハンド的な捏造は全部訂正したのか?
985:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:16:39.70 zPtKvMx10
八色の姓で、応神天皇の皇別である息長真人の氏姓を一番価値のある氏姓だとしてるからなー。
継体系の天皇が、応神帝の皇別を優遇してるからなー
986:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:17:20.28 PBvwNJ5y0
>>983
旅の途中で見た漁民を大げさに書いてるだけじゃね?
あと中国では額への刺青は罪人の証
そういう意味で蛮族を貶めた可能性もある
卑弥呼が刺青入れてたとかそういう話がないし
987:967@転載禁止
14/04/10 04:17:37.64 O/Vy3UIH0
>>979
継体天皇が旧大和朝廷を制圧して人心を慰撫するために旧王朝の娘を嫁に娶った
一番リアリティがあるよね。男系をたどれば現天皇の始祖は継体天皇っぽ。
どっちにせよ大宝律令以降の日本史の連綿性には何の疑問もない
988:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:19:25.70 zPtKvMx10
そもそも東夷族は蛮族という認識じゃないし。
・帝俊(ていしゅん)は、上古の中国神話に登場する東方の天帝(帝舜と同じといわれる殷の祖神)。羲和(太陽の女神)と常羲(月の女神)は帝俊の妻である。
『山海経』(せんがいきよう)の大荒西経より「帝嚳」の異名を持つ。炎帝に属し東夷人の先祖にあたる。黄帝、顓頊と共に伝説の五帝を始祖とする。
989:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:19:50.38 1gxVQq5Y0
>>986
漁師が刺青入れるのは、鮫避けって意味があるからまだ分かるんだよね
で、大げさって言い出したら、鏡100枚やったったぜ。だって大げさな可能性がw
990:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:20:15.97 GxNysuhA0
そもそもさぁ、
古事記の冒頭で、
イザナギとイザナミが、
なんで柱を廻りなおして、
声をかける順番が女性から男性に入れ換わったか、
ってのを考える必要あるんだわ。
母系部族社会から男系氏族社会への移項、
って背景があるでしょ。
母系部族社会ったって、
べつに女性優位ってわけじゃなくて、
男は、意中の女性の伯父さんや兄弟に、
気を使う必要あるんだけどね。
991:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:21:14.97 PBvwNJ5y0
>>987
武烈がいかにも中国の史書にあるような典型的な悪王だしねw
中国史では放伐の対象でしょあれw
実際の武烈がそこまで酷いやつだったとは思わないけどね
明らかに負けた王朝が貶められるパターンだし
992:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:21:30.13 JQqcAhqv0
>>966
大和大王政権以前も
大きな戦争らしき戦争の少なさ(瀬戸内vs北部九州、畿内vs東海道東国、対蝦夷はあった)
人口の増減、宗教・生活習慣の連続性をみると
大きな民族レベルのコンクエストもそうない感じだしね。
古代から人心穏やかで争い事を嫌う民族性も
この辺りで醸成されたのだと思う。
畿内、瀬戸内、中部に流入した神武系というか
稲作長江流域民が最も大きなエフェクトじゃないかな
993:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:21:41.87 YeWhNXZU0
この国は大宝律令以降変わってない
藤原不比等最強だったってこと
994:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:23:08.80 rF5vq35g0
大体神様が天皇のおっさんにお告げするわけがないんだよな。昔から
巫女さんは若いのって決まってたんだし。常若を信条とする神道がなんでおっさんに
お知らせしにゃいかんのじゃw
995:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:23:19.04 Y8PreMye0
夜這いや歌垣などという風習は何処からやってきたのか?
996:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:23:29.83 RwRzg5Yy0
>>975
俺の妄想だが、天皇は元来女系だったんじゃないかな?
それを男系に無理やり改変して出来たのが日本書紀で、
だから、辻褄が合わなくなってるんじゃないか?
そう考えると近親相姦が多いのも説明できるし。
(古代エジプトもそうだったように)
997:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:23:45.93 zPtKvMx10
アメノウズメと一発やりたい
998:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:23:56.96 1gxVQq5Y0
>>992
狭い国土で協力しあわないと、どうしようもなかったって事もあると思うw
999:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:24:35.88 PBvwNJ5y0
タイムマシンができたらいいのにな
1000:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 04:24:47.77 YeWhNXZU0
天智以前の天皇家なんてそこらの豪族のトップなだけ
不比等が大宝律令で天皇家と藤原をがっつり守ってそのまま明治まできた
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