08/05/08 21:12:25 0
>>前スレの1000
「信じすぎ」で意味が分かりにくいなら
「擁護しすぎ」と言えば分かるだろう。
もっとも>>972は擁護の域を超えている。あそこまでいくと
擁護ではなく信じている、と言った方が適当だ。解釈に無理がありすぎるからな。
実在の話を物理といったり、CGの例を持ち出したり、
しまいには、人間が作り出したに過ぎない数学を根拠にしている。
これは何も知らずに反論してるのがバレバレ。
3:考える名無しさん
08/05/08 21:58:59 0
なんというか 「思考実験」 という概念は一般には理解されにくいのかな。
だいたい、どんな内容のものでも 2ch で、「思考実験」を持ち出すと、
本質的な議論以前の段階でトンチンカンなところで難癖をつける奴が
群がり出てきてスレが荒れまくって人が離れて立ち消え・・・・ってパターンになるんだよな。
4:考える名無しさん
08/05/08 22:01:40 0
きちんとした設定をせずに、単なる空想と、
「何となくそうなりそう」という予想の組み合わせを
「思考実験」って呼んでも、誰も理解しないのが当然。
5:考える名無しさん
08/05/08 22:13:15 0
>>3
こんなところでばかを相手にするだけ時間の無駄だよ。
6:考える名無しさん
08/05/08 22:13:53 0
クオリアのことかー!!!
7:考える名無しさん
08/05/10 21:13:10 0
そもそもなんで水槽の中の脳の話が出てきたの?
8:考える名無しさん
08/05/11 22:51:50 0
例えば、腕が「痛い」と感じる。
しかし本当に痛いと感じているのは脳である。
しかししかし、脳に「腕が痛いと感じろ」と命令を
出しているのは腕である。脳だけで「腕が痛い」と感じられるのか?
痛みの入力装置として腕が必要ではないか?
ーーーーーーーーーーー
↑ざっとまとめると、これが『水槽の脳』への疑問
9:考える名無しさん
08/05/11 23:21:56 0
幻肢痛は?
10:考える名無しさん
08/05/12 00:00:56 0
>>8
ええと、「腕は必要ないのではないのか?」という問題提起が『水槽の脳』という思考実験で、
「腕が必要ではないか? 」というのが、あなたの「『水槽の脳』への疑問」ということだよね?
11:考える名無しさん
08/05/12 03:18:22 O
実際は脳が痛みを感じるのに使われる大量のエネルギーを供給する体外活動を行っている器官が腕だから
それだけだったら現実と乖離した言葉遊びの次元に近いと思われるよね
12:考える名無しさん
08/05/12 04:16:03 0
幻肢痛
13:考える名無しさん
08/05/12 09:20:09 0
幻肢痛も入力が無いわけじゃないんじゃないの。
それまで腕と繋がっていた神経が残ってるわけで。知らんけど。
14:考える名無しさん
08/05/12 09:25:31 O
幻肢痛は、本当に痛みなの?もし物理的なものを重視するなら、物理的には腕がないのに、
腕が痛いなどということはおかしい(せいぜい、「腕の痛みに似た変なもの」があるだけ)
と考えるほうが筋が通るのでは?
逆に、幻肢痛も痛みだと認められるのは、物理的なものが第一なのではなく、まずは当人が
痛みを感じる(と言っている)のが第一だ、ということが暗に前提になっているんじゃないの?
と適当なことを書いてみる。
15:考える名無しさん
08/05/12 11:22:03 O
腕は必要ないんじゃないかな
腕の感覚を司る脳の部分に刺激与えればいいんでしょ?
最初から腕がない場合はどうなのか知らないけど。
なくなった筈の手とかの痛みを感じるってのは、その痛みが起きた時に関係する記憶や感覚が起きた時、脳神経が連動して痛みを感じさせるんじゃないかな
トラウマのフラッシュバックみたいな…
アンビリバボでやってたけど、片手無くしたひとが、鏡に無事な方の手を映して動かしそれをみていると、無くしたはずの手が戻ったかのような感覚がするらしい。その発見を何に活かしたかは忘れた。義手だったかな
16:考える名無しさん
08/05/12 12:55:55 0
いずれにしても神経を通じて脳に「腕の痛み」を感じさせる電流を
入力する器官(機関)が必要なわけでしょ。
生身の腕でも機械でもいいし、記憶をフラッシュバックさせるような
視覚的情報でもなんでもいいんだけど。
17:考える名無しさん
08/05/12 23:56:53 0
>>11
>大量のエネルギーを供給する
腕が必ずしも必要ない、というのは、そういうもの(エネルギーとか)が必要ない、と言う意味ではなくて、
それ(エネルギーとか)を脳に供給するのは、他のもの(人工臓器とか)でも代替可能じゃないか?
つまり、必ずしも、腕じゃなくてもいいのではないか?
と言う意味。
18:考える名無しさん
08/05/13 03:29:33 0
「ものすごい高度な科学力」という前提に頼ってる思考実験ではある。
19:考える名無しさん
08/05/13 08:51:14 0
いや別に高度な科学力とかじゃなくて、脳が痛みやクオリアを感じるには
生身であろうが機械であろうが身体、或いは外部性は必要だよねという話。
20:考える名無しさん
08/05/13 08:52:34 0
そうじゃない思考実験なんてあるのか?
「双子のパラドックス」とか、「ラプラスの魔」は今のの科学力で実現可能なん?
21:考える名無しさん
08/05/13 09:15:52 O
ちょっと思い付いたのだけど…
1.ある人Aの前に、白いボールを置くと、Aが「白いボールが見える」と言った
→これは普通に見えたのだろう。
2.Aの前に白いボールなどないのだが、Aは「白いボールが見える」と言った
これは普通に見間違いあるいは幻覚だろう。
では、3.Aの前にボールはないが、Aの脳状態を操作したところ、「白いボールが見える」と言った
→これは、見間違いあるいは幻覚のほうだと考えていいの?
そうでないとしたら、どう考えればいいの?
さらに、4.Aの前にボールを置いたが、同時に、Aの脳状態も操作したところ、「白いボールが見える」と言った
→これは、どう考えればいいの?
22:考える名無しさん
08/05/13 10:33:28 0
脳に障害があるとは考えないのかな。
23:考える名無しさん
08/05/13 11:10:40 0
>そうでないとしたら、どう考えればいいの?
そうなるように脳を操作したと前提しているじゃないか?
お前の脳がぼけてるとしか思えない。
24:考える名無しさん
08/05/13 11:20:05 0
痛みでなくて視覚だったら?
夢の場合は、対象も光もないし目もつぶっているのに視覚のクオリアはあるだろ。
(痛みもありえるか?)
脳の中の情報だけで視覚のクオリアは成立するということだろ。
だったら幻肢痛だって同じことではないのか。
25:考える名無しさん
08/05/13 11:27:35 0
>>24
だからずっとその話をしてきてるわけでしょ。
夢・現実・幻覚に区別はあるのか。
で、夢・現実・幻覚にそれぞれズレがあると
クオリアを感じるんじゃないかと言っておる。
なんの違和感も無くいスムーズに意識が流れる、つまりフロー状態ならクオリアを感じていないのではないかと。
26:考える名無しさん
08/05/13 13:32:59 0
>>14
>腕の痛みに似た変なもの
それを幻肢痛というんだよ。
痛みというのは本人が感じるかどうかでしか判断できないよ。
麻酔かけて神経麻痺させておけば「本来痛みを感じるはずの状態」にしても痛みは感じないんだから。
>>19
幻肢痛
27:考える名無しさん
08/05/13 13:51:07 0
幻肢痛は免疫系と同様に
自己の境界を問い直すものとして
80年代にとりあげられてたね。
28:考える名無しさん
08/05/13 15:09:11 0
ほんとおもしろいこと言うよなあ。
幻肢痛は「腕が無い」から幻肢痛なんだよお。
身体が無くなることが条件なの。
ややこしい話なんだが。
腕が4本あるように感じたり3本目の足が痛く感じたとしたらただの幻覚でしょうなあ。
29:考える名無しさん
08/05/13 15:11:51 O
>>23
もう少し説明を書いておけばよかった。
目の前にボールがないのに、「ボールが見える」というのは、見間違いあるいは幻覚ではないのか。
そうだとしたら、脳の操作により知覚を再現するというのは、実は知覚を再現しているのでは
なくて、せいぜい、見間違いあるいは幻覚のような、きちんとした知覚ではないものを
再現するのにすぎない、ということになってしまわないか、というのが思い付いた疑問。
また、もし、脳の操作によって、きちんとした知覚が再現できるのだとすると、では、
きちんとした知覚を生み出すものが二つ同時に(実際のボールと、脳の操作)あったら、
それはどういうことになるのか?
30:考える名無しさん
08/05/13 15:50:10 0
まあまあ。
下條信輔 /〈意識〉とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤(講談社現代新書)
まずはこれ読んで。
話はそれから。
31:考える名無しさん
08/05/14 10:24:44 0
>>29
脳を操作する機械がその脳にとっての身体(目)だと言っておるだろう。
脳を水槽に浮かばそうが頭蓋骨の中に入れようが関係ない。
32:考える名無しさん
08/05/14 14:40:58 0
幻覚だろうが現実だろうが外部があろうがなかろうが、入力器官が機械だろうが生身だろうがそんなことはどうでもいい。
問題は脳内で起こっていること、何故ニューロネットワークに電流が流れるとボールのつるっとした質感や
丸い輪郭、重たさが感じられるのかということなんだ。
33:考える名無しさん
08/05/14 14:43:19 0
例えば、光センサーがついていて電池とモーターで常に光に向かって進む機械を想定しよう。
それは光を感じてると言えるのか。
34:考える名無しさん
08/05/14 14:46:27 0
>>33
いえる
35:考える名無しさん
08/05/14 14:49:04 0
>>33
それは意識があるといえるか。
それはクオリアがあるといえるか。
それは魂があるといえるか。
それは意思があるといえるか。
それは光を見ているといえるか。
36:考える名無しさん
08/05/14 15:07:51 0
クオリアの基礎知識のないヤツはwikiでもぐぐってこい
話しはそれからだb
ここはしったかがおおすぎる・・・
37:考える名無しさん
08/05/14 15:09:49 0
なるほど、ここでループするわけか。
38:考える名無しさん
08/05/14 15:14:23 0
>>33
電池とモーターで動く人間が居たらどうなる?
なんらかの身体的障害を負った結果そのようになる可能性は否定できないが。
39:考える名無しさん
08/05/14 18:06:38 0
>>36
「wikiをぐぐる」
ずいぶんまどろっこしい使い方だな
40:考える名無しさん
08/05/14 18:11:54 0
>>33
言えなさそうに思うけどでも、「センサーが光を感じる」とか言い方普通にあるからなあ。
41:考える名無しさん
08/05/14 18:25:23 O
>>31、>>32
ようは、きちんとした知覚であるかどうかは、別に関係ない、ということ?
いや、ふと考えてみると、仮に脳の操作とか培養液の中の脳が実現したとして、それは、
そもそも何が実現されたということになるのか、また、実現内容をどう確かめるのか、と
疑問に思ったので。
変な言い方になるけど、Aの脳を取り出して培養し、白いボールを目の前に置いた時と
同様の脳状態にしたとする。しかし、Aは、何せ脳みそだけなもんだから、「白いボールが見える」
などと発言することができないw(もちろん他にも何もできない)
それは、Aが白いボールを見ていると呼べるような状況なの?そうだとしたら、その根拠は?
42:考える名無しさん
08/05/14 19:01:39 0
脳を持つ生物の数だけクオリアがあり
クオリアの数だけ答えがある
つまりこの場はクオリア討論の試験場である。
クオリア=感覚質←これで理解できないものはないを言っても所詮わからないまま
43:考える名無しさん
08/05/14 19:09:09 0
ちがう言い方をすれば同じものをみているようで
実はそれぞれ微妙に感じ方が違っているかもしれない
それが!クオリアなのだ。
クオリアをもつ機械は同じ数値を入力するとまったくおなじ感じ方をするが
クオリアもつ生物は誤差を生じることがあるのだよ
この文を見てあなたたちも色々な感じ方をしているはずだ
それこそがクオリアの働きによるものだと言えよう。
繰り返し言うがわれわれはクオリア試験場のモルモットでしかないことに気がつこうか。
44:考える名無しさん
08/05/14 19:17:06 0
>>41
>しかし、Aは、何せ脳みそだけなもんだから、「白いボールが見える」
>などと発言することができないw(もちろん他にも何もできない)
脳への入力をいじくる技術力があるなら
脳からの出力を読み取ることだってできるだろうよ
ずいぶん細かいことにこだわるんだなきみは
45:考える名無しさん
08/05/14 21:16:21 0
>>41
いや、思考実験というのは、それを実現することには目的はないから。
ぶっちゃけ、「そんなことはできこない」と言い出したら、思考実験なんてなりたたない。
双子のパラドックスの議論をするのに、光速ロケットの実現可能性とか議論し始めたら、
運動の非対称性という結論にはとうていたどり着けないというか、
あさっての方向の話にしかならない。
46:41
08/05/14 22:28:09 O
>>44
確かに何にこだわってるのか分かりにくいかもしれないので、説明してみる。
私が今このように見えたり発言したりしていることが、実は培養液の脳が生み出して
いるのではないか、という想定は、何となくわかる。
しかし、他人であるAの脳を培養する、という想定は、そのままでは、つまりAの脳みそが水槽に
ぷかぷか浮いて、脳神経の反応とか何とかがみられる、という状況にすぎないはず。これで
何が確かめられるんだろうか。
いわば私とAの脳みそを同一視するとか、私がAの脳みそになったつもりになるとか、そういう
ことをさらに想像してみて、初めて、Aの脳を培養するという想定に意味が出てくるんじゃないか。
他人の脳まで含めて培養液の中の脳という想定を当然にしてしまうのは、つまり、私が今
このように見えたり発言したりしていることが、(細部はともかく)他人にも同様であって、
かつ、脳みそだけになっても同様である、ということを、当然のごとく前提にしてしまって
いるのではないか。本当にそれでいいのか。
というようなことが言いたかった。
47:41
08/05/14 22:32:26 O
(続き)
まあ当たり前といえば当たり前の前提なので、「アホか」と思われるかもしれないけど…
>>45
というようなことが言いたかったので、別に現実的に脳の培養が可能かどうかと言いたかった
わけじゃないので。むしろ考え方レベルの話のつもり。
48:考える名無しさん
08/05/14 23:04:26 0
>>46-47
そもそも水槽の脳の話ってのは
夢と現実の区別はつくかって話の
過激バージョンなんで、
自分がその水槽の中の脳になってるっていう
立場じゃないと意味が無い。
49:考える名無しさん
08/05/14 23:08:36 0
>>46
>>47
「水槽の脳」に対するアンチテーゼとして、そのことを持ち出すのはなんか変な気がするんだよね。
何でかと言うと、クオリアなんかの議論でまさに、「そういうものを当然のごとく前提にしてしまって いる」
状況があって、「そう前提するなら、このようなことも考えられる」というアンチテーゼとして、
「水槽の脳」というものは提出されたと言う面もあると思うから。
「水槽の脳」は、「当然のごとく前提にしてしまって いる」「そういうもの」についての
問題提起なのであって、それによって、「水槽の脳」が提出される以前に、
「当然のごとく前提にしてしまって いた」「そういうもの」の
本当の意味を考えてみてろ、という話なので、
なんか、そういうことを棚上げにして、何もないところから「水槽の脳」の議論が振って沸いたように言われてもね。
「そういうものを当然のごとく前提にしてしまって いる」状況が無かったのなら、
そもそも「水槽の脳」が提出される必要もなかったんだよ。
50:47
08/05/15 00:52:05 O
>>48
元の「水槽の脳」については、もちろんそのとおりだと思う。
ひょっとしたら48氏(49氏にも?)に誤解されているかもしれないけど、「水槽の脳」という
想定自体が全くおかしい、などと言いたいわけではないので。
繰り返しになるけど、今の私が実は…という想定は、何となくわかる。ただ、他人までを(さらに脳みそだけの
状態までを)まるでひとしなみに扱ってしまって、何も問題が残らないのだろうか、ということ。
それで、不謹慎なことを思い付いたのだけど、目の前にパトナムが現われたとする。そこで、
脳を取り出し…というのはひどすぎるので、脳を全面的にコントロールできる器具を取り付ける。
そして、器具を取り付けられてむにゃむにゃ言ってるパトナムに対し、「水槽の脳について
説明してください」と頼む(に当たる器具操作をする)。するとパトナムは、器具につながれた
状態のまま、「これこれこういうわけで成り立たない」と説明する。(大変失礼)
さて、パトナムのこの発言は、正しいんでしょうか、間違ってるんでしょうかw
51:考える名無しさん
08/05/15 01:22:20 0
正しい。
パトナムの「水槽の中の脳」の議論はクオリアとまったく関係ないから。
52:考える名無しさん
08/05/15 02:05:34 0
>>42
何故生物限定なの?機械はクオリアをもたないの?
53:考える名無しさん
08/05/15 02:11:33 0
機械にしかわからない。
54:考える名無しさん
08/05/15 03:39:32 O
>>51
それだけでは、理由がよくわからないのだけど…
ここで想定した目の前にいるパトナムは、事実として水槽の中の脳のような状態なんだけど、
それでも議論は正しいの?
55:考える名無しさん
08/05/15 03:51:44 O
>>54
自己レス。
「事実として水槽の中の脳のような状態」というのは、おかしかったかもしれない。
やはり、本当に脳みそだけになってもらって、その脳が、以前に「水槽の中の脳」の議論を
した時と同様の状態になった、という想定のほうがいいかもしれない。
56:考える名無しさん
08/05/15 04:03:44 O
>>54
パトナムの「水槽の中の脳」の議論は「もしも私が水槽の中の脳だったとしたら」と言うところからスタートしている。
そもそも指示論と懐疑論の話なのでクオリアに関する議論じゃない。
57:考える名無しさん
08/05/15 04:06:42 O
>>55
パトナムの「水槽の中の脳」は「水槽の中の」脳なのであって、「脳だけ」なわけじゃない。
パトナムの議論の文脈ではこれはわりと重要かも知れない。
58:56-57
08/05/15 04:39:43 O
私があれは赤いと言い、あなたがうなずくとき、同じ赤を見て感じているわけだけれども
赤の主観的な現れが一致しているかはわからない。
あなたに見えている赤(の主観的現れ)は、私にとっては青(の主観的現れ)かも知れない。
逆転スペクトルという想像なのだけれど、理解できる?
この場合の主観的現れがクオリア。
もちろん、私にとっての赤のクオリアとあなたにとっての赤のクオリアが一致するかもしれない。
つまり、クオリアと感覚は完全にはイコールではない。
感覚から意味内容を取り除いたものだと考えると近い。
脳だけ人間の痛みは腕の痛みではない「腕の痛みもどき」という議論を成り立たせることは可能。
でも、そのことは、脳だけになった場合に、「主観的現れ」が変わることは保障しない。
幻肢痛の例なら、「腕の痛み」ではない、という定義で幻肢痛を感じている人と合意することはできるだろう。
でも、「幻肢痛のクオリア」と「腕の痛みのクオリア」は同じだと言い続けるだろう。
ちなみに上の逆転スペクトルの話の私と貴方は、「5分前の俺」と「今の俺」に置き換え可能だけど
この問題は幻肢痛になったり、脳だけになったりしなくても同じなので関係ない。
59:考える名無しさん
08/05/15 04:45:59 O
>>58
推敲ミス
×あなたに見えている赤(の主観的現れ)は、私にとっては青(の主観的現れ)かも知れない。
○あなたに見えている赤(の主観的現れ)は、私にとっての青(の主観的現れ)と同じかも知れない。
○あなたに見えている赤(の主観的現れ)は、私にとっては青を見ているときの青の主観的現れと同じかも知れない。
60:考える名無しさん
08/05/15 07:48:19 0
うーん。クオリアの個別性というやつですか。
そもそも個々が感じてる赤のクオリアは経験からの記憶などによる多少の歪みはあるとしても
概ね同じじゃないと他者との合意はできないんじゃないかという哲学的証明ができそう。
というのも、脳の入力器官としての光を「感じる」視覚細胞が遺伝的に同じシステムなので、
個々のシステムに極端に違いが生じる、赤のベクトルが青のベクトルに変換するなんてことはあり得るのか。
経験してきたことが違うから個性があるんだよね、ということはできても
感じるクオリアが違うから個性があり他者とわかりあえない、他者の痛みはわからないというふうにはならないんじゃないか。
61:考える名無しさん
08/05/15 07:59:09 0
つまり、脳のみを捉える場合と脳に繋がっている神経細胞全部をまとめた場合とでは随分異なる。
脳には可塑性があり個別性が宿るが入力システムは普遍性を持つ。
問題はセンサー部でクオリアを感じてるのかマイクロチップでクオリアを感じてるのか、というあたり。
62:考える名無しさん
08/05/15 11:45:57 0
言葉が複雑なので簡単に要約すると
質感はどこで感じてるのってことね。
脳?記憶?神経細胞? クオリアは所詮は類似記憶の共有なのかしら?
63:考える名無しさん
08/05/15 12:04:24 0
質感は、「質感というようなものが存在するであろう」という知識に従って、
我々が作ってるんだよ。
「どんな感じだった?」と他人に聞かれるたり、自分で思い出そうとしたりするときに、
その必要に応じて、作り上げてるの。
64:考える名無しさん
08/05/15 12:10:24 0
>>63
でも突然質感に気がつくときってない?
お酒飲んでるときにメロンの食いかすがやけになめまかしく見えたり。
おおこれはなんとなめまかしい!と写真を撮ってあとで見てみたらどう見てもただの食いかすにしか見えないとか。
65:考える名無しさん
08/05/15 12:12:22 0
>>63
それがまさにクオリアなのだよ!
クオリアの説明なんて対話すれば7行で十分だ。
形や記憶、物質ではない感覚的なものこそクオリアであろう
意味をはきちがえてるのはワシか?
66:考える名無しさん
08/05/15 12:16:59 0
直接視覚から入ってくる情報と脳が参照する記憶とのあいだにズレがあると
異常を感知して情動系に働きかける、というのがクオリアの正体じゃないかな。
情報は思い出せても情動は思い出せない。
67:考える名無しさん
08/05/15 13:06:12 0
メロンの味はクオリアなのかクオリアでないのか、どっちだ。
68:考える名無しさん
08/05/15 13:13:58 0
メロンが美味しかったらクオリア、水っぽかったらクオリアじゃない。
69:考える名無しさん
08/05/15 13:17:35 0
クオリアメロン味新発売
70:考える名無しさん
08/05/15 13:53:29 0
>>63
逆かもしれない。
世界はクオリアに満ち溢れているのに我々が気がついていない。
現実を見てない、記憶の残像ばかり見ている。
「どんな感じ?」と問われ注意を向けるとクオリアに気がつく。
71:考える名無しさん
08/05/15 13:59:48 O
>>60
>概ね同じじゃないと他者との合意はできないんじゃないかという哲学的証明ができそう。
逆転スペクトルの想定は、まったく同じように行動し理解しあいながらも、クオリアは同じではないかもしれないという想定。
> 個々のシステムに極端に違いが生じる、赤のベクトルが青のベクトルに変換するなんてことはあり得るのか。
脳の構造が同じであってもクオリアが同じになるという「証拠」はない。
脳の構造から主観的質は導ける根拠がないから。
メアリーの思考実験って奴がある。
メアリーという盲目の科学者がいた。
彼女は視覚研究の超天才で脳や眼や光など視覚に関わる物理的な事柄については知り尽くしていた。
赤の波長も脳や眼がそれをどう処理するかも全て知っていたし、
素粒子レベルで記述することさえ可能だった。視覚の文化的側面も理解していた。
欠けていたのは実際の体験のみだった。
メアリーは手術して視覚を手に入れた。そして実際に赤を見た。
「これが赤か。体験をともなわない知識だけからじゃわからないものを得た」
彼女がこう言わない保証はない。
メアリーは自分が実際に赤を見たら脳神経が赤のベクトルをどう実現するか、完璧に知っていたし、
上記の発言含め客観的に見て自分がどう振る舞うか完璧に知っていた。
欠けていたのは主観的な体験だけ。
脳神経の物理的な振る舞いをいくら知っても、その主観的体験がわかるようになる保証はない。
この客観的にわからない側面がクオリア。
メアリーを「視覚をもともと持たない宇宙人が、地球人の視覚のデータを全て得た」としてもOKだし、視覚を嗅覚や痛みに変えてもOK。
もし脳に関わる客観的な事柄から、どんな主観的体験をしているか全く導きだせないなら
脳の客観的状態が全く同じであれば、全く同じ主観的体験をしているはずとは断定できない。
>感じるクオリアが違うから個性があり他者とわかりあえない、他者の痛みはわからないというふうにはならないんじゃないか。
誰もそんなことは言ってない。
72:考える名無しさん
08/05/15 14:11:12 0
おいおい、メアリーは盲目じゃないぞ
もうね、アホかと
73:考える名無しさん
08/05/15 14:41:19 O
元論文では白と黒しかない環境で育った人なのか>メアリー
74:考える名無しさん
08/05/15 15:23:48 0
>>71
「これが赤なのか」は「赤」を見たあと、その記憶を元に行っている発言なのだから
体験する前に出てこないのは当たり前だ。
もしそれを「クオリア」というのなら、クオリア=記憶、って事だぞ。
75:考える名無しさん
08/05/15 15:40:45 0
>>71
いやだから、主体的体験としての赤のクオリアは全く同じでないにしても
脳までに到達する視覚細胞と神経細胞のシステムは人類ほぼ共通なので
ニューロネットワークの構造が人それぞれ違うとしても入出力は同じなんじゃないの。
76:考える名無しさん
08/05/15 15:45:47 0
例えば記憶装置だけ取り替えられるロボットがあったとする。
記憶装置はハードディスク、メモリーカード、ブルーレイと様々だ。
記憶装置にそれぞれカメラから赤色を感知して取り込む。
記憶装置は違えど、ディスプレイの出力はやはり赤色になるはず。
77:考える名無しさん
08/05/15 15:49:10 0
メアリーが「これが赤か」と言うことを我々は容易に予測することができる。
78:考える名無しさん
08/05/15 16:04:49 O
>>74
> 「これが赤なのか」は「赤」を見たあと、その記憶を元に行っている発言なのだから
見た後なら「あれが赤なのか」と言うんじゃないか?
「これが赤なのか」は見ているときに言う発言。
体験してから判断するまでの心的プロセスに時間的経過があれば、記憶であると言いたいかもしれないが
この主張は判断の前に体験があるということが前提になるので、自己論駁的。
よってクオリアは記憶だとは言えない。
>体験する前に出てこないのは当たり前だ。
クオリアの記憶が、記憶する前に出てこないのは記憶の定義上当たり前だが、記憶=クオリアには成らない。
赤の視覚に関する客観的事実を記憶しても、それは主観的体験の記憶の替りにはならない。記憶はクオリアではない。
また、意識に現れていなくても記憶はあるわけだが、記憶=クオリアにはならない。
意識に登ったときだけクオリアを感じるとした場合、そもそもクオリア=意識への現象的側面なのだから意識されたものにクオリアがあるのは当り前。記憶とクオリアが同じだという根拠にはならない。
また、「赤を見た」記憶があっても、「赤がどんな体験だったか」思い出せない場合もありうる。
よって記憶とクオリアはイコールではない。
79:考える名無しさん
08/05/15 16:10:08 0
まぁ74の論法でいえば「全ては記憶」といえてしまうだろうね。
80:考える名無しさん
08/05/15 16:12:00 0
>>77
でもメアリーが見ているのが本当に赤なのかどうかはわからないんだろ。
81:考える名無しさん
08/05/15 16:13:53 0
>>80
赤の波長を持った光を与えメアリーもそれを知識として知っている。
82:考える名無しさん
08/05/15 16:15:26 O
>>75-76
その通り。
> いやだから、主体的体験としての赤のクオリアは全く同じでないにしても
クオリアの話をしていたんじゃないのか?
>>77
それもその通り。
ただし、そう予測するのは我々は物理的事実から導きだせない「主観的体験」って領域を信じているので、
「主観的体験」をしたメアリーがそう言うだろうと期待するから。
83:考える名無しさん
08/05/15 16:19:51 0
>>82
信じてるからなのかなあ。
メアリーも我々と同じ身体を持っているから、じゃないか。
他の生物、たとえばハチが見る赤色のベクトルのクオリアは全く想像がつかないが。
84:考える名無しさん
08/05/15 16:26:31 O
>>80
本当の赤かどうかを議論するの無意味。
私が「赤だ」と感じているとき、貴方にとっての青のクオリアを感じていて、私が「青だ」と感じているとき、貴方にとっての赤を感じている想定は、
貴方が「赤だ」と感じているとき、私にとっての青のクオリアを感じていて、貴方が「青だ」と感じているとき、私にとっての赤を感じている想定と、全く同じこと。
どちらが本物の赤のクオリアかを問うことは無意味。
客観的な赤かどうかが問題になるのは、意味内容的側面であって現象的側面(クオリア)ではない。
極端な話、何の主観的体験もなしに「赤だ」と発言したとしても、意味内容的側面は持ち得る。
85:考える名無しさん
08/05/15 16:28:13 0
まあ、いいや。
主体的体験が観測できないからといってクオリアが普遍性を持たないわけじゃないよとは言っておく。
で、クオリアの個別性だがいずれにせよ主体的体験を観測できないのならそちらのほうが怪しくないか。
どう違うのかを観測できない。
86:考える名無しさん
08/05/15 16:31:33 0
>>83
同じような体を持っているから
同じような主観的体験を持つにちがいないって
信じてるんだろ?
87:考える名無しさん
08/05/15 16:32:49 0
>>84
いや本当かどうかはともかく、メアリーが見たそれが他人の見ている
「赤」のクオリアと同じかどうかは、わからないんだろ。
88:考える名無しさん
08/05/15 16:34:03 O
>>83
客観的な物理的事実を全て知ればどんな主観的体験をするかわかるなら、メアリーは体験前からどんな体験をするか知ってることになるし、
ハチの見る赤もわかる。(視覚に関する全ての客観的知識を知っている想定なので)。
わからないと考えるのは、ハチの物理的生物学的事実に還元できないハチの主観を信じているから。
89:考える名無しさん
08/05/15 16:34:30 0
>>86
そりゃまあブラックボックスに赤色のボールを入れて赤色のボールが出てきたら
そのような機構になってるのだろうね。
青色のボールを入れたら青色のボールが出てくるわな。
90:考える名無しさん
08/05/15 16:43:58 O
>>85
逆転スペクトルは、あくまで同じだとは証明できない。こういうことも想定できるって話で
クオリアが人それぞれ違うと言う証明じゃない。
何なら、たとえ、まったく同じように行動しても、神経脳の人間と電子頭脳のロボットじゃ主観的体験も違うような気がするけど
実は全く同じかもしれないみたいな想定も可能。
>>87
イエス
最初からそう言っている。
91:考える名無しさん
08/05/15 16:45:30 0
哲学的ゾンビなあ。
頭蓋骨が空っぽなのに人間の振る舞いをするなら「ありゃま!」だけど
ちゃんと脳みそがあって人間の振る舞いをするならそりゃ人間だわな。
頭蓋骨にチップが埋め込まれていたら我々と同じクオリアと言えるかは難しい。
92:考える名無しさん
08/05/15 16:46:19 0
>>87
しかし、そんなことを言い出したら、他人が「色」を見ているのか
どうかさえわからないのでは?
「色」という言葉が共通なだけで、中身は別物かもしれん。
というか、他人の意識と自分の意識の中身に何かの共通性があるかどうか
自体わからんではないか。
93:考える名無しさん
08/05/15 16:54:48 0
>>78
>この主張は判断の前に体験があるということが前提になるので
元々のレスにある話が「体験をした後の話」でしょ。
体験が前提の話だよ。
>赤の視覚に関する客観的事実を記憶しても、それは主観的体験の記憶の替りにはならない。
そりゃ赤を見て無いんだから当たり前だ。
こんなのわざわざ主張するほどの事じゃないでしょ?
サッカーに関してどれだけ知識を得ても、実際にボールを上手く蹴れるわけじゃない。
それのどこに疑問があるの?
もし「クオリアは記憶じゃない」ってなら、赤を見る前に赤のクオリアを感じないとダメだよ。
94:考える名無しさん
08/05/15 16:56:16 0
今更こんな話で盛り上がってるんじゃ
ある程度ものを知ってる人は
参加しようと思わないわな。
95:考える名無しさん
08/05/15 16:57:54 0
>>92
そうだよ。
96:考える名無しさん
08/05/15 16:58:01 0
他人に説明できないということは、自分の知識が足りていないという事だよ。
97:考える名無しさん
08/05/15 16:59:27 0
>>94
ウィキペディア読んでも理解できないはずだよね。
98:考える名無しさん
08/05/15 17:00:57 0
>>93
>もし「クオリアは記憶じゃない」ってなら、赤を見る前に赤のクオリアを感じないとダメだよ。
めちゃくちゃな論理だなw
99:考える名無しさん
08/05/15 17:03:07 0
赤を見た事があり、「これが赤だよ」と教えられていて初めて
「赤のクオリア」を感じる事が出来るわけだね。
100:考える名無しさん
08/05/15 17:05:48 O
>>93
> 元々のレスにある話が「体験をした後の話」でしょ。
> 体験が前提の話だよ。
前提にしちゃ駄目だろ。
>
> >赤の視覚に関する客観的事実を記憶しても、それは主観的体験の記憶の替りにはならない。
>
> そりゃ赤を見て無いんだから当たり前だ。
主観的体験を記憶で説明するのに、その記憶の前提に説明されるべき主観的体験を持ってきては駄目。
> こんなのわざわざ主張するほどの事じゃないでしょ?
> サッカーに関してどれだけ知識を得ても、実際にボールを上手く蹴れるわけじゃない。
> それのどこに疑問があるの?
サッカーに関する全ての客観的知識を知っている人間は、実際に蹴れるようになったとしても、それで何かを知ることはないよ。
どんな角度でどんな速さでければいいか、どこに力を入れればいいか全て知っている想定。
どう筋肉がついていくかどう神経系が調整されるかもわかっている。
わからないかもしれないのは、実際にされを体験することがどういうことかのみ。
101:考える名無しさん
08/05/15 17:08:31 0
赤を見たときに何故その色(RGB237, 26, 61)に見えるのか?ってのがクオリア問題でしょ。
その色の質感はどこから来ているのか、という。
でもこれって白と黒の事を考えればそれほど疑問じゃないよね。
色の話からクオリアを考えるのはわかりやすいようでわかりにくいと思うのだが。
何故色の話が主たる例として使われるんだろう。
102:考える名無しさん
08/05/15 17:10:32 0
>>100
メアリーは脳神経がどういう状態になると赤を認識するのかを知っていた
しかし実際の赤を体験した事がなかったので「これが赤か」となった。
サッカーの話と同じだよ。
いくらどう体をコントロールしたら上手にボールが蹴れるのかを知識としてしっていても
練習しなければ上手には蹴れない。
極々当然の話で、議論の余地が無いぞ。
103:考える名無しさん
08/05/15 17:12:43 O
>>101
単純に何も見えないって状態を、視覚が黒で多い尽くされるものとして想像しちゃうからじゃないか?
視覚自体が存在しない生き物には、そういう想像自体が不可能じゃないだろうか。
104:考える名無しさん
08/05/15 17:19:35 0
>>103
人間以外の生き物の事はわからないが、
人間は明るい(光量が多い)と白く、少ないと黒く、という風にものを認識してるわけだから
そこにそれほど疑問は無いと思うんだよね。
もし人によって白が黒に見えたり黒が白に見えたりするのなら
ある人が「まぶしい!」といって目を細めるところである人が爛々と目を見開いているとか
ある人が「暗くて何もみえない」って言ってるところで「まぶしい!」って叫ぶ人がいたり、と
めちゃくちゃな事になってしまうじゃないか。
105:考える名無しさん
08/05/15 17:23:17 O
>>102
>>100の答えにはなっていないよ。
メアリーは赤の体験自体を知らなかった。見ることで赤の体験の知識を得た。
サッカーの話は、サッカーの蹴り方を「知った」ことだけで、知識は得ていない。
「知った」の意味が違う。
サッカーの蹴り方を覚える過程で得た全てを、蹴り方を覚える前から全て知識として知っていたという想定だから。
106:考える名無しさん
08/05/15 17:37:36 0
>>105
>>100は質問には見えないよね。
>メアリーは赤の体験自体を知らなかった。見ることで赤の体験の知識を得た。
サッカーボールは蹴ってみてなきゃ上手に蹴れるようにはならないのさ。
メアリーがいくら知識として「赤とは何か」を勉強したろころで
それが実際に赤を見る代わりにならないのは当たり前だぞ?
それのどこにクオリアの話が関係するのかね。
107:考える名無しさん
08/05/15 18:33:24 0
>>106
>>102を繰り返しているだけで、>>105への反論になってないよね。
サッカーは物理的事実から全て導き出せる。
どんな角度で蹴れば、どう飛ぶか、どう筋肉がついていればどうなるか、どう神経系がなっていればどんな反応をするか。
全て物理的事実。
一方、主観的体験は物理的事実だけから、神経系がどういう状態にあればどんな主観的体験が起きるか、がわかるという根拠はない。
>サッカーボールは蹴ってみてなきゃ上手に蹴れるようにはならないのさ。
サッカーボールを蹴るとはどういうことなのかはわかる。
>メアリーがいくら知識として「赤とは何か」を勉強したろころで
>それが実際に赤を見る代わりにならないのは当たり前だぞ?
「赤を見る代わりになる」ってのが何を指しているか不明確だが、「赤を見る」ことがどういうことかわかるかどうか不明。
あと、「赤を見る」ことがどういうことかわかるか不明といっているのであって、絶対にわからないとは言ってない。
そんなことが断言できるほど、我々は脳については知っていない。
ただ、「視覚に関する物理的事実の全てを知るには程遠い」我々にはとてつもなく想像困難なだけかもしれない。
「飛行力学の全てを知っていても、翼などがなければ空を飛ぶことはできない」と断言できる
物理的不可能性と想像不可能性(と思えるもの)は別種の問題。
サッカーは前者
108:考える名無しさん
08/05/15 18:38:39 0
>>107
>神経系がどういう状態にあればどんな主観的体験が起きるか、がわかるという根拠はない。
メアリーは神経系がどうなれば赤を感じるのかを知っているわけだが。
109:考える名無しさん
08/05/15 18:43:51 O
>>108
その赤を感じるということが、主観的にどういうことであるのかがわからないかも知れないと言っている。
110:考える名無しさん
08/05/15 19:42:08 O
メアリーの話は、孫引きでちょっと読んだだけなんだけど、全然ピンと来なかった。
隣の家は、白黒のものばかりの家で、そこに住んでるAは、白黒しか見たことがないらしい。
そこで、赤いリンゴをプレゼントしたら、「これが赤なのか、初めて見た」と感激していた
ようなので、「それはよかった」と答えて、めでたしめでたし…
ここのAは、脳神経に別に詳しくないんだけど、それが何か影響するんだろうか?
赤いリンゴを見たことがない人が、「初めて赤を見た」と言ったら、まあ新しい知識を得たと
言っていいんだろうし、ただそれだけのような気がするんだけど…
元ネタに詳しい人にとって馬鹿げた疑問だったら、申し訳ないけど。
111:考える名無しさん
08/05/15 19:43:20 0
>>107
>サッカーは物理的事実から全て導き出せる。
まてまて、ボールを上手に蹴るにはボールを見る必要があるぞ。
112:考える名無しさん
08/05/15 19:49:45 0
>ここのAは、脳神経に別に詳しくないんだけど、それが何か影響するんだろうか?
するどころかそこがこの話のキモなんだよ。
113:考える名無しさん
08/05/15 20:26:51 O
>>112
ここのAが、白黒の家の中で、脳に関する白黒の文献を読み漁ったり、白黒の照明の下で(?)
実験を繰り返したり議論したりしたら、メアリーと同様と思われるけど、そんなことを
いくら付け加えたからといって、赤いリンゴを初めて見ることと何も関係ないような気が…
いや、機会があったら元ネタか何か読みます。失礼。
114:考える名無しさん
08/05/15 21:28:07 O
>>113
1.精神現象や社会現象も含め、あらゆる事実は全て物理的事実である。
したがって、全ての物理的事実を知れば、全ての事実を知ることになる。
2.物理的事実を全て知っている人間が知らなかった事実がある。
したがって、物理的事実でない事実がある。
3.1か2のどちらか、または両方に問題がある。
こんな感じの議論だったはず。
115:考える名無しさん
08/05/15 22:52:38 0
>>114
そもそも「物理的事実」が何を意味するか分からない。
物理現象を記述した言語情報が「物理的事実」ならそれは
物理現象ではない。
116:考える名無しさん
08/05/15 23:06:40 0
>>115
物理現象を記述した言語情報が物理的事実なんてどっからでてきたんだ?
117:考える名無しさん
08/05/15 23:07:32 0
>>70
まあ、可能性はあるけど、無駄な理屈。
>>63
で説明ができるんだから、「あるかもしれない」クオリアなんて、
オッカムの剃刀で切り落とされちゃう。
118:考える名無しさん
08/05/15 23:13:20 0
>>63だって「かもしれない」議論だろ。
119:考える名無しさん
08/05/15 23:14:07 0
>>116
物理現象を記述した言語が物理現象じゃなくても、物理現象を記述した言語であることにかわりはないなw
120:考える名無しさん
08/05/15 23:18:16 0
>>118
全くそのとおりだから、「オッカムの剃刀」を持ち出してるんだよ。
121:考える名無しさん
08/05/15 23:27:56 0
オッカムの剃刀の場合、その都度「質感」を作っているという想定より、
単に質感があるという想定の方がシンプルだよ。
>>63は「質感の存在」にさらに「思考する度に質感を製作する」というステップを入れている。
122:考える名無しさん
08/05/15 23:33:46 0
>>121
その考え方だと「神様」という想定を持ち出せば、シンプルにできることはいっぱいでてくるね。
123:考える名無しさん
08/05/15 23:36:02 0
つまり、「従来あることの組み合わせで、説明できる」
ことを、「組み合わせるよりも、別の想定を導入したほうがシンプル」
といえるのなら。
124:考える名無しさん
08/05/15 23:42:30 0
>>63は以前からあることの組み合わせで何かを説明してるのかよw
125:考える名無しさん
08/05/15 23:49:55 0
>>124
感覚と記憶と論理的思考能力だけで説明できてますが?
126:考える名無しさん
08/05/15 23:52:26 0
つうかそもそも、「従来あるものだけでは説明できない」ということを、
言い出したのがクオリア厨なわけでしょ。
都合が悪くなると逆のこと言い出すのかよ。
127:考える名無しさん
08/05/15 23:53:13 0
>>122-123
>>63は質感の存在を肯定した上で、その生成原理を仮設しているから
「単に質感がある」という場合より、真理条件は狭いんだよ。
>>125
できてないよ。
128:考える名無しさん
08/05/15 23:57:16 0
>>126
誰も都合悪くなんかなっていないと思うが。
だいたい哲学的ゾンビとか逆転スペクトルを誰にも言われず考え付く子供がたくさんいるのに
「質感というようなものが存在するであろう」という知識に従って作った、なんて想定は事実によって論駁される
129:考える名無しさん
08/05/15 23:58:10 0
>>127
>>63
が肯定しているのは、「質感は、「質感というようなものが存在するであろう」という知識」の存在だけだよ。
>>127
それ以外に何を使ってる?
130:考える名無しさん
08/05/16 00:01:08 0
>>128
>誰も都合悪くなんかなっていないと思うが。
じゃあ、反論する必要ないじゃん?
>だいたい哲学的ゾンビとか逆転スペクトルを誰にも言われず考え付く子供がたくさんいるのに
>「質感というようなものが存在するであろう」という知識に従って作った、なんて想定は事実によって論駁される
でも、哲学的ゾンビとか逆転スペクトルって、演繹的に考え付くもんだよね?
(直感的になにもないところからひらめくものではないよね?)
131:考える名無しさん
08/05/16 00:07:45 0
>>129
>「質感は、「質感というようなものが存在するであろう」という知識」の存在だけだよ。
主語になってるのが質感という時点でアウト。
マジレスすると、「「質感というようなものが存在するであろう」という知識」が何をどうやって作っているか説明できていない。
>>130
>でも、哲学的ゾンビとか逆転スペクトルって、演繹的に考え付くもんだよね?
>(直感的になにもないところからひらめくものではないよね?)
演繹的にも帰納的にも考え付くものじゃないと思うぞ。
それどころか、演繹的や帰納的に説明することさえ不可能。
逆転スペクトルも、哲学的ゾンビも、メアリーもコウモリも、論理だけじゃなくて
第一に相手の直感に訴えている。
少なくとも自分の場合は哲学的ゾンビはふと思いついた。
132:考える名無しさん
08/05/16 00:07:58 0
>>128
>だいたい哲学的ゾンビとか逆転スペクトルを誰にも言われず考え付く子供がたくさんいるのに
>「質感というようなものが存在するであろう」という知識に従って作った、なんて想定は事実によって論駁される
まあ、「神」とか「幽霊」を誰にも言われず考え付く子供もたくさんいるな。
君の理屈では「幽霊の 正体見たり 枯れ雄花」も、そのような事実によって論駁される わけだ。
133:考える名無しさん
08/05/16 00:12:44 0
>>131
>主語になってるのが質感という時点でアウト。
なんだそりゃ。もうヤクザの難癖と変わらんな。
>マジレスすると、「「質感というようなものが存在するであろう」という知識」が何をどうやって作っているか説明できていない。
それが説明できないと、「質感」主語にした時点で、「質感」の存在を肯定していることになるのか?
じゃあ、「念力」や「アストラルパワー」も、君の論理では、存在することになるわけだ。
>演繹的にも帰納的にも考え付くものじゃないと思うぞ。
>それどころか、演繹的や帰納的に説明することさえ不可能。
>逆転スペクトルも、哲学的ゾンビも、メアリーもコウモリも、論理だけじゃなくて
>第一に相手の直感に訴えている。
このポエムに、俺って付き合わなきゃなんないの?
134:考える名無しさん
08/05/16 00:26:47 0
機械はクオリアをもってるの?
135:考える名無しさん
08/05/16 01:07:18 0
>>21 >>92
だから記号論だろ。それテンプレに入れておけよ。
毎回、同じ話題が繰り返されている。
136:考える名無しさん
08/05/16 01:32:09 0
>>132
>まあ、「神」とか「幽霊」を誰にも言われず考え付く子供もたくさんいるな。
クオリアや質感と違って、神や幽霊という概念に触れる機会は多いから、そんな話(現実にたくさんいる)は信じがたいな。
単に「神」や「幽霊」にあたる概念を誰にも言われずに思いつくかもしれない、とかそんな子供がいたという話ならわかるが。
>君の理屈では「幽霊の 正体見たり 枯れ雄花」も、そのような事実によって論駁される わけだ。
残念、論駁されるのは「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」というものだけ。
>>133
>それが説明できないと、「質感」主語にした時点で、「質感」の存在を肯定していることになるのか?
>じゃあ、「念力」や「アストラルパワー」も、君の論理では、存在することになるわけだ。
「アストラル・パワーは知識によって作られている」ならアストラル・パワーの存在を肯定している文になる。
当たり前過ぎる話。
>このポエムに、俺って付き合わなきゃなんないの?
何がポエムなんなんだか知らないが、付き合う必要はないんじゃないか。
想像可能性論法は、直感に訴えている側面があるのは事実。
メアリーの例にしても、「メアリーが「これが赤ね。はじめて知った」というだろう」という直感に訴えかけている。
この直感を共有しない人にとって、メアリーの話は主観的体験って領域の存在証明にはまるで感じられないだろう。
137:考える名無しさん
08/05/16 01:39:49 0
>残念、論駁されるのは「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」というものだけ。
ちょっと不正確だな。
「幽霊の錯覚は、幽霊というものが存在するはずだという知識によって生み出される」というものだな。
幽霊という外から与えられた知識なしに霊体験を語る子供がいたとしてだが。
あと、この場合、質感が「質感というものがあるはずだ」という知識から作られる、と同一になるのは
幽霊が「幽霊というものがあるはずだ」という知識から作られる、であって
幽霊の錯覚と質感ではないな。
錯覚ってのは、意識と意識が指し示している対象との相違なので、
意識現象それ自体である質感を錯覚というもので説明するとき、
単に「錯覚」という言葉で片付けるのではなく、錯覚という言葉の再定義が必要になってくる。
138:考える名無しさん
08/05/16 07:13:44 0
まあ白黒メアリーの家の話は実生活でよくあることだよね。
タージマハールの写真や映像で見たことがあるという人と
インドに行って見た人とは違うということはわかる。
それがどう哲学的な話になるのか。
主体的体験と言おうが脳に新たな情報が加わっただけなので
5と5+1は違うよねと言ってるだけじゃないの。
139:考える名無しさん
08/05/16 07:27:10 0
>>136
>クオリアや質感と違って、神や幽霊という概念に触れる機会は多いから、そんな話(現実にたくさんいる)は信じがたいな。
>単に「神」や「幽霊」にあたる概念を誰にも言われずに思いつくかもしれない、とかそんな子供がいたという話ならわかるが。
もちろん、そういう意味だが、何か?
>残念、論駁されるのは「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」というものだけ。
もし、「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」ものでないとしたら、
なぜ作られた、とあなたは説明するの?
140:考える名無しさん
08/05/16 08:55:51 O
>>138
「脳に新たな情報が加わるだけ」とはどういう意味?
特に「だけ」というのは。
141:考える名無しさん
08/05/16 09:25:23 0
つまり、「タージマハールについての物理的事実」をすべて
(建造物やその周囲の空気や光等の環境までを素粒子レベルで)
知り尽くしていて、なおかつ「自分の脳や体についての物理的事実」
もすべて(どんな波長の光が眼に当たったら脳がどう変化するかとか)
知り尽くしていても、
「タージマハールが自分にどう見えるか(感じられるか)はわからない」
ということから、
「タージマハールが自分にどう見える(感じられる)という事実は
物理的事実に含まれない」、という結論を出せるか、ということでしょ。
142:考える名無しさん
08/05/16 09:34:10 0
「想像していたとおりのタージマハールだったよ」とか
「写真で見たとおりのタージマハールだったよ」とか
メアリーが「赤なんてとっくに知ってたわ」
ということも実生活ではおおいにあるわけでして。でして。
だから主体的経験がことさら意味を持つわけでもないんじゃないかな。かな。
143:考える名無しさん
08/05/16 09:36:19 0
新しい知識としての情報を得ることと
新しい体験をすることに脳の中で差などあるのかないのか。
144:考える名無しさん
08/05/16 10:14:42 0
見聞きによる知識は現物体験の代わりにはならない。
145:考える名無しさん
08/05/16 11:08:18 0
もちろん情報量の差で言うなら体験のほうが圧倒的に情報量が多いからね。
画質の良いテレビで観るほうが感動は大きい。
一方で逆に体験に知識を乗せてもまたメアリーのようなことがいえるのではないか。
逆メアリー
赤色に囲まれて育ったメアリーだがなぜ世界が赤色なのか知らなかった。
ある日、本を読んでそれが光の波長が物質に当たって変換された色なのだと知った。
146:考える名無しさん
08/05/16 12:03:46 O
>>139
> もし、「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」ものでないとしたら、
> なぜ作られた、とあなたは説明するの?
どうつくられたのであれ、幽霊の錯覚に先行して幽霊の知識がなければ、後者は前者の原因ではない。
147:考える名無しさん
08/05/16 12:14:32 O
>>142
この話の肝は、物理的な事柄から主観的な体験を導きだせないはずという話なので、
それまでの主観的な体験を元に主観的な体験を想像できても問題じゃない。
>>145
メアリーは「全ての物理的事柄」を知っている前提。
情報量の多さの問題なら、メアリーの物理的事柄に関する知識>>>体験。
情報量の問題ではない。
あくまで主観的な体験に関する知識が「全ての物理的事柄に関する知識」に含まれないということ論理関係が問題。
148:考える名無しさん
08/05/16 12:18:21 0
131さんへ
横から失礼するけど
哲学では当然だったクオリアが自然科学で検討されていくことで
どんな影響があると思う?
149:考える名無しさん
08/05/16 12:31:30 0
>>147
主観的かどうかという話じゃなく、単に得る情報の種類が違う、というだけでしょ。
視覚器官を通じて得た情報と、言語として得た情報じゃあ種類が違うのは当然でしょう。
メアリーが知っている「全ての物理現象」というのは、言語を用いて説明されたものに限られるわけだからね。
150:考える名無しさん
08/05/16 12:53:13 0
そそ。
つまり「メアリーの部屋」の視覚の主観的体験もまた感覚器官を通じて電気信号として
情報に変換され脳に到達しているということを考慮していない。
もしくは、知識を得るということもまた主観的体験であるとも言えるわけだ。
知識と体験の違いは情報の量と入力器官の違いだけだ。
その証拠に、SFを読んだだけで行ったこともない星を、実際に体験した過去を思い出すかのようにイメージすることができる。
151:考える名無しさん
08/05/16 13:03:02 0
俺、子供の頃に北海道に行った事があると思ってた。
記憶も明確にあるし、なんの疑問も持ってなかった。
ところが大人になったある日、親と話をしていたら俺は実際には北海道に行っていない事がわかった。
本当は行くはずだったのだが、直前に予定の変更があり行けなくなったんだそうだ。
しかしうちの親も俺が北海道に行ったと勘違いしていたため、家庭内で過去に何度も北海道旅行に行った話をしていた。
その話を子供のころから当然のように聞いていた俺は、何の疑問も持たず自分は北海道に行った事があると思っていた。
しかし俺のなかには今も明確に「北海道に行ったときの質感」が記憶されている。
人間なんて実にいい加減な生き物だな、と実感したよ。
152:考える名無しさん
08/05/16 13:13:40 0
芸能人の格付け番組で、どれが高級ワインか当てるやつがあるがあれなんか見るとな。
味覚とラベルや価格は比例しない。
同じ味でもブランドや価格で主体的体験は変化するのな。
153:考える名無しさん
08/05/16 13:20:07 0
ということで、つまり哲学的にはクオリアも方法によっては物理で扱うことができるということになるわけですー。
決してクオリアは科学で扱えない、科学ではないということではないんですー。
154:考える名無しさん
08/05/16 13:43:28 0
>>153
そうやってなんでも聖書から見つけ出そうとするんじゃないよ。
155:考える名無しさん
08/05/16 13:46:01 O
>>149
基本的洞察としてはおそらく正しいんじゃないかと思うが
単に言語と視覚イメージの違いなら
視覚イメージとして脳等の物理状態の全てを把握していれば、そこにある主観的な視覚イメージも導きだせることになるぞ。
物理状態と主観的な体験の間の推論ギャップはそれだけじゃ消えない。
>メアリーが知っている「全ての物理現象」というのは、言語を用いて説明されたものに限られるわけだからね。
色の経験がないだけだぞ。
>>150
> その証拠に、SFを読んだだけで行ったこともない星を、実際に体験した過去を思い出すかのようにイメージすることができる。
なんの証拠にもならないぞ。
156:考える名無しさん
08/05/16 15:18:44 0
>>155
そこで情動が出てくるわけですよ。
視覚イメージだろうが知識だろうが新しいものを取り入れるときには情動が伴う。
コンピューターなら保存をクリックすればディスクに書き込まれるが
人間は記憶と記憶になかった新しい情報とを瞬時に峻別して情動という
重要さのラベル付けを行い新しい記憶に書き換えるわけだ。
つまり主体的体験には情報+情動が含まれているわけ。
157:考える名無しさん
08/05/16 15:44:31 0
>>156
情動だって脳活動の一種には違いないだろう。
メアリーは情動の変化についてもあらかじめ知っているはずだ。
158:考える名無しさん
08/05/16 15:46:59 0
>>155
>視覚イメージとして脳等の物理状態の全てを把握していれば、そこにある主観的な視覚イメージも導きだせることになるぞ。
もちろん導き出せるよ。
外部から人工的に作りだしたわけではないが、夢はまさに主観的なイメージでしょ。
159:考える名無しさん
08/05/16 16:38:23 0
「クオリアなどは存在しない」という主張があるということで二通りのことが考えられる。
ひとつ目は単純だ
「その主張をしている人間がクオリアという概念を理解できない」
ふたつ目はこうだ
「じつは人類の中には哲学的ゾンビが存在している」
これは衝撃的な事実だ。しかしこれはけっして冗談などではない。
クオリアに関する議論をめぐる、不可解かつ根本的と思われる齟齬は
一方にクオリアの不在を帰属させることで容易に理解できるようになる。
人類の永い歴史の中でいままで気付かれなかったこの事実に初めて光があたることは
クオリアの議論が生んだ最も重要な点かもしれない。
160:考える名無しさん
08/05/16 16:43:30 0
>>159
何故人類限定?
機械はクオリアをもっていないの?
161:考える名無しさん
08/05/16 16:54:05 0
赤のクオリアを感じるから赤く見えるのではなくて
赤いものがそこにあるから赤が見える、って考えればいいだけじゃないのか。
わざわざクオリアっていう考え方をもってくる理由はなんなんだ?
162:考える名無しさん
08/05/16 16:55:42 0
>>160
あいにく機械と議論することがないもので
機械が「クオリアなどは存在しない」と主張するところに
立ち会ったことがないんだよ。
163:考える名無しさん
08/05/16 16:56:44 0
>>162
え?クオリアって自己主張でしか存在を確認できないものなの?
あなたは「機械はクオリアを持っていると思いますか?」という質問にどう答える?
164:考える名無しさん
08/05/16 16:59:26 0
>>163
「そんなことわかるわけないだろう」と答えるよ。
165:考える名無しさん
08/05/16 17:00:20 0
>>164
そうか、クオリアってのは存在するのかどうか、わからないんだな。
「あるかもしれない」っていう仮説みたいなものなのかね。
166:考える名無しさん
08/05/16 17:02:32 0
>>165
ゾンビみっけ!
167:考える名無しさん
08/05/16 17:14:18 0
>>164と>>166で議論してみりゃいいんじゃね?
168:考える名無しさん
08/05/16 17:16:47 0
>>159
こういうレス見てると神について語っている宗教家と何が違うんだろう?と思うよね。
169:考える名無しさん
08/05/16 17:22:20 0
>>168
だれに同意を求めているの?
ゾンビ?
170:考える名無しさん
08/05/16 17:24:00 0
神を信じないものは人間じゃない
クオリアを信じないものはゾンビ
笑えるw
171:考える名無しさん
08/05/16 17:35:53 0
↑なんかぶつぶつ言って笑ってるよ。
ちょっとこわい・・・
172:考える名無しさん
08/05/16 17:38:28 0
>>170
神なんて信じなくたって人間だけど
クオリアを感じないのはゾンビだろ。
信じるとか信じないなんてのは意味がわからないが。
173:考える名無しさん
08/05/16 18:12:26 0
機械がクオリアを持っているのかはわからないけど
クオリアをもっていない人間は人間として扱わない。
こういう主張をしている人はクオリアというものについて自分ではどこまで理解しているんだろう?
質問をされても「わからない」というのに、じゃあクオリアってよくわからないものなんだね、といわれるとゾンビ扱い。
いったい何が主張したいんだろうか。
>>172
俺はクオリアなんて感じて無いけど、ゾンビだったの?
それは困ったな。
しかし他人を勝手にゾンビ扱いするって、ずいぶん失礼な話だよね。
174:考える名無しさん
08/05/16 18:18:43 0
>>173
そうかきみはゾンビだったんだね。
でもべつに悪いことではないんだから
気を落とすことないよ。
これからもがんばってね。
175:考える名無しさん
08/05/16 18:24:35 0
>>159
だからさ、あなたの言いたいのは「気持ちはわかる」なんだよ。
気持ちはとても良く分かる、がしかし、あまりにも非科学的なんだ。
それに、人類史の中で今まで気付かれなかった訳ではない。
再三、話題に上っている。だけど今回の話題で何かが進歩したかと言うと
これといった進展がある様には思えない。
176:考える名無しさん
08/05/16 18:29:43 0
>>146
そんなことはわかってるよ。
だから、「どう説明するのか?」と聞いてるんだよ。
177:考える名無しさん
08/05/16 18:33:01 0
>>173
「神の言語を見聞きしているはずです」→「信仰が足りないと神の言語に気付かない」
「クオリアを感じているのです」→「感じていないのなら哲学的ゾンビ」
完全に形態しかありませんから、↓応用してこんなのでもいいよ
「魂を世界と呼応させることで世界を知れる」→「世界が分からないのは魂が未熟だから」
178:考える名無しさん
08/05/16 18:35:16 0
>>175
そりゃ非科学的だろうね。哲学なんだから。
べつにクオリアも扱えないような自然科学にこだわる必要もないだろう。
自然科学の内部での方法論的反省はこれからだろうけどね。
クオリアは哲学史では再三登場しているよ。
自然科学で進展がないのは知ったことではないな。
179:考える名無しさん
08/05/16 18:35:20 0
「クオリアを感じていない」と自分で言うなら、それは哲学的ゾンビではないよ。
180:その2の583
08/05/16 18:40:15 0
>>175
>>178
科学がクオリアを「扱わない」ことと、科学の「進展」は関係ない。
科学がどれほど進展しようと、クオリアが科学の形式を備えない限り、永久に、科学はクオリアを「扱わない」。
で、科学が扱わないからといって、「クオリア」が否定されるわけではない。
単に「そういう種類の問題ではない」というだけのこと。
逆に、「クオリア」を「扱わない」からといって科学を非難すべきものでもない。
181:考える名無しさん
08/05/16 18:44:05 0
>>180
もちろん科学はクオリアを「扱わない」が
扱おうとしたところで「扱えない」んだよ。
182:考える名無しさん
08/05/16 18:53:22 0
>>174
で、何が主張したいの?
クオリアを感じてる人は人間で、感じてない人はゾンビ。
そう定義してるんだよね?それは何のため?
そこから何が生まれるの?
183:その2の583
08/05/16 18:59:38 0
>>181
どんなものでも「扱わない」ものはたいてい、無理に扱おうとしても「扱えない」のは当たり前だね。
別に科学とクオリアに限ったことではない。
184:考える名無しさん
08/05/16 19:01:29 0
>>181
科学で扱えないとする根拠が貧弱すぎる。
自分が見ている赤がなぜその色の質感であるのかは絶対にわからない、というのはただの決め付けだよ。
その質感に意味がある、という人間の勝手な思い込み。
185:考える名無しさん
08/05/16 19:02:37 0
>>182
>で、何が主張したいの?
ゾンビだって幸せになれるよってこと。
あ、幸せを「感じる」ことがないから無理かw
>クオリアを感じてる人は人間で、感じてない人はゾンビ。
>そう定義してるんだよね?それは何のため?
物理主義を批判するためだよ。
>そこから何が生まれるの?
物理主義以外の可能性。
186:考える名無しさん
08/05/16 19:07:54 0
>>185
勝手に自分で定義していいならなんでもありだなw
クオリアを感じてるってやつは哲学的ゾンビ、って定義されたらどうするのよ。
187:考える名無しさん
08/05/16 19:11:15 0
>>186
おれが定義しているわけじゃないんだけど。
そんなことも知らないでよく議論に参加してるなw
188:考える名無しさん
08/05/16 19:13:23 0
>>187
もちろんそんな事は知っているよw
「哲学的ゾンビ」という定義を使う人としての貴方に対してレスをしてるだけだよ。
189:考える名無しさん
08/05/16 19:18:06 0
>>188
じゃあ
>勝手に自分で定義していいならなんでもありだなw
は意味不明だな。
190:考える名無しさん
08/05/16 19:18:42 0
>>159
クオリアがあると主張する哲学的ゾンビも考えられる
ワケワカラン。
191:考える名無しさん
08/05/16 19:22:55 0
哲学的ゾンビという概念がもっとも不可解でありえない概念だね。
192:考える名無しさん
08/05/16 19:24:50 0
>>186
で、「哲学的ゾンビ」の定義は、その場合どうなるの?
193:考える名無しさん
08/05/16 19:26:44 0
ありえるかありえないかじゃなくて
想像できるかできないかの問題
194:考える名無しさん
08/05/16 19:52:58 0
>>193
想像できない物事もあるという世界観かな?
195:考える名無しさん
08/05/16 19:53:35 0
>>189
いや、まさに書いたとおりの意味だが。
「哲学的ゾンビ」という定義を使っている人たちは
「哲学的ゾンビ」という定義を勝手に作り出しているわけだからね。
そちら(哲学的ゾンビという定義を用いている人達)は勝手に定義を作ってよくて
こちら(用いていない人達)は定義づけをする事が許されない、なんて事はないよね?
196:考える名無しさん
08/05/16 20:07:33 0
別の定義をするというのは、元の議論とは別に新しい議論を始める、って意味しかないと思うが。
197:考える名無しさん
08/05/16 20:07:35 0
>>194
それは「物事」の定義によるわな
哲学的ゾンビについては、そういうものが想像できれば
それだけで議論は進められる。
198:考える名無しさん
08/05/16 20:08:35 0
>>195
「哲学的ゾンビ」という概念とそのもととなった思考実験は
多くの哲学者の間で意味のあるものとされ検討され続けているよ。
批判するのはかまわないけどそういった文脈をちゃんと踏まえてね。
それとは別に君がクオリアをもつ人間を「哲学的ゾンビ」と定義するのはけっこうだけど
その概念を使った思考実験が哲学的に魅力のあるものならみんながそれをめぐって
議論するんじゃないの。
199:考える名無しさん
08/05/16 20:34:32 0
>>198
もちろん「クオリア問題」を考えている哲学者はたくさんいるから
多くの哲学者が「哲学的ゾンビ」という概念について考えている。
しかしそれがだからといって「意味のあるもの」とは限らないんだよ。
もしあなたが「意味がある」と思うなら、そのあなたの思う意味を教えてくれないか。
「他の多くの哲学者」といっても、彼らの多くはここには居ないんだから。
>その概念を使った思考実験が
もし「哲学的ゾンビ」が「思考実験」であるなら、相手の事を「ゾンビ」と呼ぶのはダメだね。
思考実験の枠から外れすぎだよ。
200:考える名無しさん
08/05/16 20:42:20 0
ある程度連続してレスしてる人はコテハンつけたら?
数字コテでもいいから
201:考える名無しさん
08/05/16 20:46:26 0
>>199
きみが>>188と同一人物なら多くの哲学者たちがなにゆえに
哲学的ゾンビの思考実験をめぐって議論しているのか知っているだろう。
彼らとおなじように意味があると思っているんだよ。
同一人物でなかったら
「哲学的ゾンビ」をぐぐってくれ。そこまで面倒見きれん。
>もし「哲学的ゾンビ」が「思考実験」であるなら、相手の事を「ゾンビ」と呼ぶのはダメだね。
>思考実験の枠から外れすぎだよ。
それチャーマーズに言ってやれよw
ほれ
URLリンク(consc.net)
202:考える名無しさん
08/05/16 20:51:58 0
チャーマーズはほとんど論理的な文章の書けない人だから
無視したほうがいいよ。
203:考える名無しさん
08/05/16 21:44:35 O
>>158
なんで物理状態の知識から意識の主観的側面を知ることができるか、という問いが
外界の「赤」なしに、「赤」の主観的体験をすることができる、と答えるんだ?
204:考える名無しさん
08/05/16 22:09:45 0
>>201
チャーマーズに言いたいならここに書かないよ。
まあ、届ける方法も知らないけどw
>彼らとおなじように意味があると思っているんだよ。
「彼ら」とかじゃないんだ、あなたの意見が聞きたいんだよ。
他の人とコミュニケーションが取りたい場合は他の場所へ行くから。
2ちゃんの哲学板のクオリアスレにいる「あなた」とコミュニケーションが取りたいから
俺はここに書き込みをしているんだよ。
205:考える名無しさん
08/05/16 22:41:26 0
・人工知能(強いAIと弱いAI)
もし強いAIの人工意識が人間の脳の神経細胞をシュミレートできるレベルに達した時
機械もやはりクオリアを生じるのであろうか?それとも・・・ただの超演算処理に過ぎぬのであろうか?
意識とはなんぞ!
206:考える名無しさん
08/05/17 00:38:52 O
>>204
>>185
207:考える名無しさん
08/05/17 01:18:46 0
>>178 >>180
それがポモ的なんだよな~ 近代批判と言うかさ。
反論になってるようで、反論した時点ではテーマから逸れてるでしょ。
科学ではないって事を認めた時点で、それは遊戯にしかなってないんだよ。
それでも数学のように、無矛盾や矛盾を説明できる体系には出来るだろう。
けれど、何でもアリの世界に足を突っ込んでいる事に違いはない訳だ。
だとすると、「クオリアと質感は違う。質感は感じている現象そのものだが
クオリアは質感を発生させるのに必要な構成要因であり、質感の根源と
なっているのだ。そして、質感の根源であるクオリアを直接感じられる人と
クオリアそのものは感じられないが、クオリアから発せられる質感は感じられる
人に分かれており、哲学的ゾンビは質感しか感じられない存在である」だとか
もう、それっぽいロジックを言ったもん勝ちの世界になっちゃう訳で
目指してる物とは違う気がするんだな。
208:考える名無しさん
08/05/17 08:19:14 0
哲学的ゾンビの話は終わったはずだぞ。
「クオリアを感じてる」と証言するAという人物と
「クオリア?なにそれ?」と証言するBという人物がいた場合、
AとBのシステムが同じならクオリアは存在する。
クオリアは観測できないので、存在しないという理由にはならない。
209:考える名無しさん
08/05/17 09:07:11 0
春のそよ風 夏の柑橘類 秋の紅葉 冬の...(ryry
↑これらを見ておまいらはどう感じ?何を想う?けど再現されるだろ感覚が。
同じようならイメージをすればより近似値的なクオリアを持ち
まったく違うイメージをする場合もあるのがクオリア
つまり感覚的な質感を感覚質という。これは基本だぞ...
ついでだから哲学的ゾンビについて補足する。
同じ哺乳類のコウモリがいるだろ
・コウモリは超音波で空を飛び障害物をよけるがその感覚を人間はたやすく想像はできる
がしかし、コウモリそのものではないため人間が実際にそれを感じることができない。
・人間はたやすく想像できる←この部分にクオリアが働いてはいるが
・人間がそれを実際に感じることができない←この部分がいわゆる哲学的ゾンビと言われているもの
つまり人間≠コウモリであるからである。(種としての絶対超えられない壁)
クオリアの解釈がほしいやつはwikiへ行き悟ってこい
今クオリアは物理分野にまで広がりつつあるのだぞ・・・白痴どもよ。
210:考える名無しさん
08/05/17 09:18:45 0
クオリアは物理的に測定、観測できない、個別性を持ち普遍性を持たない、
だから他者が私と同じクオリアを感じる人物か外部からは知りようがない
というのがみそ。
理由は脳内のニューロネットワークの可塑性にあるわけだ。
人類共通して赤のクオリアを感じたときのニューロネットワークが対になっていれば
よいのだがそうなっていないわけだからね。
だけど脳が柔軟でも脳に入出力する器官は遺伝的形質を受けつつ物理的に観測可能。
たとえ物体を構成する部品が脳にバラバラに収めこまれていたとしても
入出力時にちゃんと物体を構成していれば問題ない。
なにが入ってくるかわからない倉庫はむしろ収まり方が決まっていないほうがいい。
211:考える名無しさん
08/05/17 09:19:58 0
>>209
コウモリの感覚をたやすく想像なんかできんぞ。
哲学的ゾンビというのは、外見も行動も普通の人間だが主観的な意識体験(クオリア)
を全く持たない人のことを言うんじゃないのか。
212:考える名無しさん
08/05/17 09:26:13 0
>>209
人間とこうもりでは脳も脳への入力器官も違うから当然といえば当然。
遺伝子の違いはクオリアの違い。
対になっているので違いを知りたいなら遺伝子を測定すればいい。
物理や科学で扱えないわけじゃない。
213:考える名無しさん
08/05/17 09:34:15 0
つまりクオリアの違いが生殖に影響し種を分ける。
214:考える名無しさん
08/05/17 09:52:05 0
やっぱりウィキペディアだよw
日本語版はダメだと言ってるだろ。あんなもん読むと頭がバカになるぞ。
あれは2chと本質が同じ、wikiシステムを使った落書き帳なんだから。
書き込みを見ると「あー、こいつウィキペディア見てきたな┐(´-`)┌」ってのが
すぐ分かるんだよ。入れ替わり立ち替わり、そんな人がスレにやって来て
有意義な話題もなくスレを減らして行く。
#読め読め詐欺。神秘主義。精神運動としては評価できるが哲学的ではない。
215:考える名無しさん
08/05/17 09:53:44 O
「〔チャーマーズの議論に関して〕おそらく、実感としては、こういうことでしょう。「俺には
確かに意識であるこれがある。しかし、他者にもこのようなものがあるのだろうか?」〔中略〕
そもそも「他者」に「このような」ものがあるとかないということ自体が、経験的な事実言明の
ふりをした論理的な同語反復か矛盾言明なのではないでしょうか?そうです。他者に「このような」
ものはないのです。だからこそ、他者なのです。では、他者はゾンビなのでしょうか。一つの
意味では、まさにそうなのです。だって、そうでしょう。外的な振舞いも内的な脳や神経の状態も
全くふつうの人間なのに、痛さも酸っぱさも不安も憂鬱も感じない人は、だあれ?と問われたら、
この謎々の答えは「他人」しかありえないでしょう。〔中略〕しかし、しかしですよ、その
「他人」って誰ですか?私はいま、なぜこのことを、賛同を期待して、あなたがた他人たちに
語ることができるのでしょうか?」
適当なところを引用してみた。前後の文脈まで示していないのであまり意味はない。
216:考える名無しさん
08/05/17 09:54:47 0
最近、茂木という人の本を読んだのだけどなんだか変化違和感が残ったんだ。
なんだろうなコレはと思ったのだけど・・・
ようはクオリア問題というか、意識のハードプロブレムというのは、
人の意識という現象を、現代の科学の根幹をなす道具、数学を用いて記述することが現状できていないことなのかな。
でもさ、その数学というものも、人の意識に現れる現象の一つ、りんごの赤い色や、木の葉のざわめきなどと同じく、
意識が近くする多種多様なクオリアの一つ、と言っていいのだよね。
つまり科学的に意識の問題を解決、解明することって、
あるクオリアについて、別のクオリアで説明するってことだよね。
数学って、科学畑の人にとっては、永遠の真理であり人間の力を超えた宇宙の根幹をなすものである、という印象なのだけど。
でも数学の証明などの真理も、有限の生と死をいきる一個体の哺乳類、ヒトの脳髄のなか意識にのぼるものであり、ユニークなクオリアの一種であるわけだから・・・
クオリアでクオリアを証明、解明するって、なんか自分の尻尾を食べちゃうような感じがするんだ。
だからいくらクオリアとか意識の本を読んでも、なんかスッキリしないのは、たぶん、彼らがよって立つところの数学的真理が消えちゃうからなのかなーとか。
あー、なんかもやもやしている気分をそのまま文章にしただけなので、まったく意味不明の電波書き込みですいませんとは思うのだけど、どうにもスッキリしなくて言葉にしたくて、また誰かに聞いて欲しかったんだ。
217:考える名無しさん
08/05/17 10:08:33 0
>>216
その考え方を突き詰めて行くと、「存在するのはクオリアだけである」
という「唯クオリア論」となります。
218:考える名無しさん
08/05/17 10:14:02 0
>>217
ああ、そうなるのかー
お手軽だけど、あまりヒトの役には立ちそうにない結論だね。
ただ「数」というものがクオリアであるとすると、数学の証明とかをしている時の数学者の脳はどこが活動しているのかの研究とかしないのかな。
科学者いじめのネタにしかならないか・・・
219:考える名無しさん
08/05/17 10:44:19 0
永遠に完結する真理というものが
ヒトの外にあるのか、内にあるとするのか。
内にあるとすると、
「真理をみつけたぞー!!」って血走った目で街中で叫んでも
「ああ、またヒト脳内クオリア真理か」って言われちゃうのか。
自分にとっては真理でも、他人と共有できないものは、他人にとって価値はないね!
かといって、ある個体の脳内に発生した真理のクオリア(真理感?)を、他の個体と共有させる方法はあるのかと言われると・・・
ある個体に真理感が発生する手続き、真理感発生レシピを、他の個体にも行わせ真理感が発生すれば、よしとするのか。
証明、論文というものの機能は、その手続きを他の個体が実行可能であり、真理感が発生するか否かで評価が分かれるのかねぇ。
現状、ヒトの外にある真理って、記述されたレシピでしかないわけか。
妄想してみる。
科学畑のヒトががんばって、脳の物理的構造とクオリアの一対一対応関係を明らかにしたとする。
さらにがんばって、任意のクオリアが発生するように、自由に脳の物理構造を変化させることが可能になったとする。
すると(省略)
書くの飽きた。ワッフルワッフル。
220:考える名無しさん
08/05/17 10:58:31 O
唯クオリア論?的な考え方を検討した本は、あるんだろうか。
少なくとも本屋で簡単に見つかるような範囲だと、見当たらないように思った。
物質が客観的に存在し、かつ、きちんと研究すれば物質についての知識がちゃんと手に入る、
というところまでは、当然の前提にしているということですかね。
しかし、科学哲学の入門書だと、近年では「観察の理論負荷性」なるものが話題になって
いるとされている(もう古いのかもしれないけど)。それとの関係とか、ないのかねえ?
221:考える名無しさん
08/05/17 11:02:28 O
>>220
ああ、自分ですぐ気付いたけど、「観察の理論負荷性」は、個々の人にどう見えるかなんて
こととは、直接関係ないか。失礼。
222:考える名無しさん
08/05/17 11:15:48 0
うん、「観察の理論負荷性」は、直接関係ないか個々の人にどう直接関係か失礼
自分ですぐ気付いたけど、個々の人にどうこことは失礼。
223:考える名無しさん
08/05/17 12:21:26 0
>>200
同意w
前から思っていたが電波が多すぎるw
224:考える名無しさん
08/05/17 12:23:39 0
そこに赤いものがあるから、赤が見える。
それだけの事でしょ。
赤いものをみたら何故か緑の質感を感じた、とかなら説明不能というのもわかるが。
>だから他者が私と同じクオリアを感じる人物か外部からは知りようがない
相手を観察すればわかるよ。
もしそれをわからないとするなら自然科学なんてなりたたないぞ。
225:考える名無しさん
08/05/17 13:29:41 0
でも観察って難しいよね。
226:考える名無しさん
08/05/17 13:48:03 0
結局のところ、ある個人の意識が観測しているクオリアを、他のヒトが観察できる可能性はゼロなのか。
観測できるのは、他者の意識の結果である肉体の変化だけで。
よく物理学で、観測行為自体が対象に影響を与える話が出てくるけれど
他者のクオリアを観察しようとしても、観察者の観察用器官(視覚・聴覚等)を通した結果、
それは観察者の意識に上った時点で、観察者のクオリアに変換される。
あ、かなり電波が入るうえに気持ちの悪い話を思いついた。
むかしむかしはるかかなたの銀河系の天才医師が、
恋人同士が互いが感じていること、お互いへの愛を
偽ることが可能な言葉に頼らず確認できるようにするため
二人の脳を手術で繋いで、互いの思い、意識、クオリアを
直接共有できるようにしました。
さて意識とクオリアを共有したそれは、二人といえるのか。
227:考える名無しさん
08/05/17 13:49:35 O
それは、脳神経などに関する観察・研究結果が同様なら、クオリアも同様だろうというくらいの意味?
それとも、クオリアを観察できると言ってるの?
228:227
08/05/17 14:23:41 O
>>227は、>>224、>>225についてのレスね。
229:考える名無しさん
08/05/17 14:35:00 0
>それは、脳神経などに関する
AはBである
CはBである
ゆえにAはC
Aが赤い花を眺めるときの脳神経などの観察・研究結果と
Bが赤い花を眺めるときの脳神経などの観察・研究結果が
同じであれば
AとBが知覚しているクオリアが同じと言えるのかというと、
言えないよね。
たぶん、言えないんじゃないかな。
あと僕は他人のクオリアは観察できないと思うよ。
脳と脳を直接繋くとか、愛のキューピッドの力をかりるとか、架空の話なのでなんでも良いのだけど、
今現状、人が他人の意識内容、クオリアを直接体験できないという問題?にハッキリとした原因があり、
その原因を何らかの方法で取り除けば、クオリアの観察、共有可能になるのが
この世界、と仮定したうえの話なのだけど。
人が他の人のクオリアを、あたかも自分自身のクオリアと判別できない精度で知覚できたとさらに仮定すると、
その時点で観察対象と観察者の間に境界はないと言えるのかなと思ったの。
ありえない話なので考える価値はない話。
ああ、書いてて意味がわからない。
230:考える名無しさん
08/05/17 15:25:04 0
>>227
>>229
クオリアの観察をする、って考えるからおかしくなるのであって
クオリアがあるが故に起きているであろう現象の観察を繰り返せばいいんだよ。
231:考える名無しさん
08/05/17 16:42:36 0
>>161
> 赤のクオリアを感じるから赤く見えるのではなくて
> 赤いものがそこにあるから赤が見える、って考えればいいだけじゃないのか。
「赤のクオリアを感じるから赤く見える」という言い方は普通しないです。。
「赤く見える」を言い換えたものが「赤のクオリアを感じる」ということだから。
232:考える名無しさん
08/05/17 17:02:13 0
個々のクオリアが脳のどういう生理現象に対応するのかがまだ
不明だということだけでしょう。
仮説をたてて実験するしか無いんじゃないの?
233:考える名無しさん
08/05/17 17:12:38 0
>>231
でもそれだとクオリアという言葉が要らないことになってしまう。
234:考える名無しさん
08/05/17 17:23:41 0
>>233
要る要らないは別の話だと思うんですけど、
要は「赤が見える」ことのメカニズムを考える以前に言葉の使い方がおかしいのではないかということが言いたかったわけです。
235:考える名無しさん
08/05/17 17:33:01 0
でも「赤く見える」っていえばいいだけのことだし
赤が見えるのはそこに赤いものがあるからなわけで
クオリアという言葉、というよりクオリアという概念が必要ないよね。
何か意味があるからクオリアという概念が持ち出されているんじゃないの?
236:考える名無しさん
08/05/17 19:07:20 0
>>235
クオリアなんて概念なしでも脳の機能は記述できる。
にもかかわらず、主観的には必ず視覚体験には
クオリアというのが付随している。
それはどうして?ってのが根本の疑問なわけ。
主観性なんか持ち出さないで、脳の機能だけに注目してれば
おっしゃるとおりクオリアなんて概念は全く必要ない。
237:考える名無しさん
08/05/17 19:44:53 0
>>236
主観的にも赤を見れば赤くみえる、それだけだよ。
赤をみなくても赤の質感を感じるというのなら考える余地があるだろうけど。
あと「自分が見ているものと他人が見ているものが同じ質感であるか確認する方法がない」
というような話も出てくるけど、これは多数の人間を観察すればわかることだよ。
238:考える名無しさん
08/05/17 20:16:12 0
>>236
クオリアを生じるのも脳の機能の一部だろう。
クオリアがどうして生じるか、脳内現象として何が生じているの
か説明できていないだろ。
クオリアがなければ知覚の言語化はできないだろう。
意識の無いところに言語は無いだろう。
239:考える名無しさん
08/05/17 20:40:52 0
>>237
>あと「自分が見ているものと他人が見ているものが同じ質感であるか確認する方法がない」
>というような話も出てくるけど、これは多数の人間を観察すればわかることだよ。
これが不可能だってことがわからないと、クオリアを議論する意味はわからない。
240:考える名無しさん
08/05/17 20:46:11 0
>>238
なんかもうぜんぜんダメ
241:考える名無しさん
08/05/17 20:50:16 0
>>239
それを不可能と言ってしまうと自然科学なんて成り立たないぞ。
同じものを見たときに同じ質感を感じているわけじゃないのなら
その質感を得たときに取る行動が変わる等、なにかしらの変化が起こる。
そういう観察方法を否定するのはあまりにも酷い。
242:考える名無しさん
08/05/17 20:57:40 0
>>241
きみの言ってる「質感」ってのはクオリアのことじゃないの?
そうじゃないなら別に文句は言わないけど、そしたら
「自分が見ているものと他人が見ているものが同じ質感であるか確認する方法がない」
なんて言明はクオリアと全く関係ないので、ここで話題にする意味が無い。
243:考える名無しさん
08/05/17 21:10:45 0
>>242
それはむしろこちらから質問したい事なんだよな。
もし俺の使っている「質感」と貴方の使っている「クオリア」が同じ意味なら
わざわざ「クオリア」という新しい概念を打ち立てる必要はどこにあるの?
244:考える名無しさん
08/05/17 21:20:32 0
>>243
>もし俺の使っている「質感」と貴方の使っている「クオリア」が同じ意味なら
いや、間違いなく違う意味でしょう。
同じ意味なら>>237のような発言が出てくるはずが無いので。
245:考える名無しさん
08/05/17 21:53:49 0
では>>242の
>きみの言ってる「質感」ってのはクオリアのことじゃないの?
には「違う」と答えればいいのかな。
「クオリア」にせよ「質感」にせよ、「自分が感じているものと他人が感じているものが同じであるかわからない」
なんていう論は通らないでしょ。
246:考える名無しさん
08/05/17 22:00:52 0
>>245
>「クオリア」にせよ「質感」にせよ、「自分が感じているものと他人が感じているものが同じであるかわからない」
>なんていう論は通らないでしょ。
だから、そういう素朴な信念に実は根拠が無いってことがわからないと
クオリアを議論する意味もわからないの。
247:考える名無しさん
08/05/17 22:10:09 0
>>246
上に書いた事は読んでもらえてないのかな。
「自分と他人が同じ質感を感じているのかどうかなんてわからない」が通るなら
自然科学なんて成り立たないよ。
248:考える名無しさん
08/05/17 22:18:19 0
>>247
だから、きみの言う「質感」については何にも文句言ってないでしょ。
それが他者と比較できようとできまいと、このスレ的にはどうでもいいの。
それはクオリアと関係ないから。
249:考える名無しさん
08/05/17 22:19:40 0
>>248
他人と自分が同じ質感を感じているのかどうかはわからない、ってのは
クオリア問題の一部だよ。
250:考える名無しさん
08/05/17 22:22:51 0
またおまえらか
もう少し成長しろよw
おまえらそもそも本とか読まねーの?
251:考える名無しさん
08/05/17 22:25:20 0
>>249
>>247の人が言うような、他者との比較が自然科学的な手法で可能なような
「質感」ってのは、クオリアと関係ないでしょ。
その「質感」が何を意味してるのかよくわからないし、知るつもりも無いけど。
252:考える名無しさん
08/05/17 22:26:39 0
泥沼だなあw
253:考える名無しさん
08/05/17 22:59:43 0
>>251
いや、従来自然科学の分野で特に問題とされていなかった「個々人が感じてる質感」は
クオリア問題を考える上で重要だよ。
254:考える名無しさん
08/05/18 05:20:21 0
>類義語を採用しない理由
>現象的意識や主観的体験などもクオリアとほぼ同義の言葉であるが、[…略]
>[略…]この意味の厳密さへの志向と科学的な傾向の強さの二点から、旧来の用語とは
>異なる「クオリア」という新語が使われる。
だから、これだろ? 日本語wikipediaを見てきた奴ってのはすぐ分かるんだよ。
あんなデタラメなサイトを参照にするのは勧めない。
英語版を翻訳してみて読んでみろ。こんなバカげた節はないから。
255:考える名無しさん
08/05/18 07:12:38 0
>>254
wikiアンチ乙
じゃおまえが英語版を翻訳して日本語wikipediaを書き換えればいいだろが
できないくせに吠えるなよ白痴にみえるぞ
どうせ翻訳サイトで訳したのみただけなんじゃね?もしEnglishができたとしても
おまえじゃwikipediaの編集すら無理だろうなw
ちなみにwikipediaはweb上の百科事典だ。
辞書程度のものだがデタラメだとしても(仮)定義がなければ対話すらできないのがわからないようだな。
では>>254に世界中が納得するクオリアの定義をしてもらうとしようwみんなおkだよな?期待してようぜ
☆言語の違いは違う出版社が出す辞書みたいなものなのに本当に白痴っているんだな。久々にわらた
256:255
08/05/18 07:42:30 0
こんにちは=Hello=안녕하세요=你好=Guten Tag=Bonjour=Ciao=Hola=Oi などなど
言語は違うがすべて同じ意味をもつとされている。
しかしこれは単純な意味の言語だから万人が理解されることは難しくないだろう。
おそらくはこの言語を聞くと万人が同じようなクオリア感じることだろう。
だが学術的な高度な言語になるとどうだろう?
ぴったりはまる言語はあるのだろうか?かなり難しい作業になることだろう。
なので辞書でも出版社が違えば訳の言い回し方が違う場合があるだろ?このことの補足をしたかった。
何事も好き嫌いや食わず嫌いがあれば本質にも偏見を生じかねないぞ。
257:考える名無しさん
08/05/18 08:08:25 0
噂のウイグル獄長か
258:考える名無しさん
08/05/18 08:27:11 0
そういえば光の波長が視覚細胞でどうのようにして電気信号に変換されているのかは
もうわかっているのかな。
259:考える名無しさん
08/05/18 08:52:31 0
クオリアを政治的に認めたくない立場の人たち
・なんでも自己責任に還元されたくない社会的弱者。
・他者との関わりで人は生きている。人との間と書いて人間なんだ。
・意思が脳内から派生していることを認めたくない宗教指導者。
クオリアは認めるがクオリアを物質に還元したくない立場の人たち
・同上
・情報論的立場→チャーマーズ(すべては011011に還元できる情報である)
260:考える名無しさん
08/05/18 13:14:47 0
>>255
翻訳サイトの事を言ってるんだよ。ボケ。
翻訳機を通せと言う意味で>>254を言ったの。
英語ができるかできないかで競うつもりもない。
そうやって、意地の張った読解をして煽りをしてる事こそどうかと思うぞ。
URLリンク(www.google.co.jp)
ここの翻訳通して読むだけでも十分だ。それだけでも日本語版のおかしさがわかる。
>>256
そんな戯れ言はどうでもいい。
アンチとか言って質の低いラベル合戦をする気もない。
そもそも「アンチ」を作る事で「信者」も自然に生成されてしまう訳で
「信じる」ことに意義を見いだしてしまったら、百科事典で哲学でもない。
「○○という用語は科学で頻繁に使われます」「だから○○は科学です」
なんて、論理を大真面目で書くなんてあり得ないの。用語の使い方なんて
定義を変えればそれまでだし、科学論文で使われるからその用語が科学だ
なんてのは、理系オンチというか、論文オンチを"騙す"ための論理だ。
読む人が読めば一発で欺瞞である事がわかる。
分からないのが許されるは論文とかには触れない高校生までだ。
中には使える分野もあるのだろうが(と言ってもそれを調査してないけど)
哲学においては本当に最悪だと思うよ。元々、哲学は解釈で成り立っている学問
みたいな所があるから仕方が無いのかもしれないけど。
しかし、書き散らし的な側面はする。
261:考える名無しさん
08/05/18 13:17:02 0
記号論の話が出てくるのも、そのせいだろう。
何の必要性もなく、シニフィアンを崇めているからだ。
262:考える名無しさん
08/05/18 13:20:29 0
変なのが出てきたな。
263:考える名無しさん
08/05/18 13:21:37 0
クオリア問題は科学では扱えない、っていうからおかしくなるんじゃないの?
264:その2の583
08/05/18 14:15:11 0
>>207
>>>178 >>180
>それがポモ的なんだよな~ 近代批判と言うかさ。
>反論になってるようで、反論した時点ではテーマから逸れてるでしょ。
テーマからそれてるも何も、私は、特になんらかのテーマについて、書いたつもりはないが。
単に、一般論として、なんでもかんでもあつかえるものなんてものはないのだから、
科学とクオリアにおいて、科学がクオリアを扱わないことについてだけとやかく言うのはおかしい、
といっているだけで、それ以外の「テーマ」なんて知ったことではない。
>科学ではないって事を認めた時点で、それは遊戯にしかなってないんだよ。
>それでも数学のように、無矛盾や矛盾を説明できる体系には出来るだろう。
>けれど、何でもアリの世界に足を突っ込んでいる事に違いはない訳だ。
私は、科学は「何でもアリの世界」じゃない、といっているだけだが?
なぜ、そう言うことが、「何でもアリの世界に足を突っ込んでいる事」になるんだ?
>だとすると、「クオリアと質感は違う。質感は感じている現象そのものだが
~
>もう、それっぽいロジックを言ったもん勝ちの世界になっちゃう訳で
>目指してる物とは違う気がするんだな。
だから、>>180 の内容の何をどう解釈すると、そういうわけのわからん世界になっちゃうの?
265:考える名無しさん
08/05/18 15:04:54 0
>>254
>現象的意識や主観的体験などもクオリアとほぼ同義の言葉であるが、[…略]
間違いなのか?
266:考える名無しさん
08/05/18 17:39:27 0
>>262
お前の言ってる「変なの」が、「主張」についてなら考慮する余地があるが
「人」に付いているのなら論外だな。
もう、ウィキペディアについてテンプレに入れておけよ。
「類義語を採用しない理由」の項目のせいで、スレが記号論で埋まるんだよ。
害にしかなってない。
267:考える名無しさん
08/05/18 17:44:23 0
>>265
合ってはいると思うよ。
しかし、そこで「>旧来の用語とは異なる「クオリア」という新語が使われる」
と言う、結論に行くのはおかしい。言語学をやってる訳ではないからね。
文献を調査する手法かなにかでしょ、これは。
268:考える名無しさん
08/05/18 18:01:29 0
なんですかいきなり。
269:考える名無しさん
08/05/18 21:17:40 0
「くおりあ」という記号のクオリアが、キミとボクで同じであるか、科学的に分からない悲しさ。
「くおりあ」を「愛」に置き換えて読むと、とってもポエムです。
270:考える名無しさん
08/05/19 13:29:48 0
なんでクオリアなんて概念を導入しなければならないんだよ。
そこに赤いものがあるから赤が見えるでいいじゃん。
そこに幽霊がいるから幽霊が見えるでいいじゃん。
そこに神がいるから神が見えるんだよ!
271:考える名無しさん
08/05/19 15:47:29 0
赤いものがあると思うから赤が見えるのかもしれないし
幽霊がいなくても幽霊がいると思うから幽霊が見えるのかもしれないし、
神がいなくても神がいると思っていなくても神が見えるかもしれないじゃん。
272:考える名無しさん
08/05/19 16:03:56 0
いくら赤いものがあると思ったって
そこに赤いものがなけりゃ赤が見えたりしないよ。
幽霊なんか見たくないってひとが幽霊をみているんだから。
赤が見えるのはそこに赤いものがあるからで
幽霊をみたってことはそこに幽霊がいたってことだし
神を見たってことはそこに神がいたってこと。
だからクオリアという概念は必要なし。