08/05/18 03:08:41 O
B:自分が健全で健康的な人間だと他人にわざわざ説明するかね。その根性が不健全だ(笑)勘弁してほしいな。
A:人間が自分の経験からしか見えない、というのは致し方ないし、また、それがあるからその人なんだとも言える。結局、肉体二十歳君も、トラウマ抱えた他人の考えを変えることは難しいと認めているわけだからね。ある程度まで話し合えば、
ああ、これ以上は互いの経験から来てる話で、それぞれがその人間の真理なのだから、ほっとく以外にない、てところに来てしまう。引きこもりみたいな子供を無理やり変えようとすれば、戸塚宏みたいなショック療法、ヨットに乗せて海に突き落とせばいい、
自力ではい上がることをたたき込む以外ない、みたいな話になる。死んだらそいつが悪いんだ、私の他にこの子供を直せるやつが居たのか?こいつの親が私に縋りついてきたんだ。親が無能なんだ。子供が死んだと騒ぐくらいなら最初から連れてくるな。て話になる。
生まれ育った経緯に客観的になれるのはある程度年齢経てからだ。二十歳くらいじゃ無理なんだ。また今の親は子供がダメになったら私が生きている限りあの子の面倒をみる、くらいな覚悟などない。また、何で子供がダメになったのか、親自身が自分の何がダメだったのか
振り返って考えられるような、子供に曝け出せる覚悟もない。お前は頭がおかしい、病気だ、を繰り返し、病院送りにするくらいしか能がない。子供に殺されたら自業自得だ。
B:健全な主張が抑圧的にならないためには可能な限り、寛容さを保つ以外ない。俺は健康的だ、良かった良かった、で止めとけばいいのに、他人の人生や感性にまで口出しされるほど迷惑な話はない。親でも今やその手の口出しは無理だ。会津若松母親殺害事件はその手の
母親が惨殺された事件だった。子供がおかしくなるか、ならないか、て境目はますます見えにくくなる。政治家、親戚など無責任なことしか言わない。今や家庭が幸福の温床だとか言い触らす人間は減ってきたとは思うが、家庭が幸福の温床になるか、惨殺事件の温床になるか
、わからないというのが現実なんだ。(当事者だけは解ってて、しかし、家の恥は黙っておこう、というのが本音だろう)不安なら家庭など持たないことだ。利いた風なことを言い触らすやつが言動の責任とるわけないからな。