ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿at PHILO
ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿 - 暇つぶし2ch151:考える名無しさん
08/05/15 18:35:27 O
B:そんな本、出てるの?知らなかったね。それはでも、画期的な本じゃないか?その管賀江留郎って人の調べた資料が真実なら、現代日本の少年犯罪論のほとんどすべて、いかがわしい虚構、てことになる。それに、例の“外に出て女を作れ”の人が言ってた話は

根拠があったのだということになる。言ってみれば、管賀江留郎と“女を作れ”の人が勝ち、てことだぜ。

A:そうなんだ。大した本だよ。管賀江留郎なんて全然初耳だけど、よくやってる。まあ、管賀によれば、“私はただ資料を調べただけで、これくらいの作業なら誰でも出来ます”と至って謙虚な姿勢を崩さない。余裕綽々だ。“間違った情報があったらご連絡下さい。”

なんて言ってる。

B:で、反論はないのかね。管賀の話に全面的に承服する?

A:まず、近年の少年犯罪で特徴的なのがどこにあるのかを思い起こしてみよう。俺は2つ挙げることが出来ると思う。

 一つは、全然自分と無関係な人間にたいする無差別な殺人衝動、或いはたまたまそこにいたというだけで殺人対象と化した事例が起こってきている。“たまたまそこにいた”というのは、これもやはり、偶然性なので、誰でもよい、という無差別感覚の表れだと見る。

そこから惹き起こされている事件がある。

 もう一つは、この無差別、無作為な殺人衝動にたいし、対社会的な破壊衝動、ないしは破滅衝動とが表裏一体のように噛み合っている事例が多々ある。つまり、社会的規範にたいする<ゲームは終わり>という感覚。社会的規範にたいする<徒労>という感覚。

日常を維持することに根拠が喪失したこと、つまり、いわゆる<脱社会化>の感性ってことだ。

 その2つの要素が噛み合って、異様な事件になっている、と思える。「酒鬼薔薇事件」にしても、「てるくはのる事件」、「佐世保市女子同級生殺害事件」、「会津若松母親殺害事件」、「静岡母親毒殺未遂事件」、等々、この感性が基礎にあるのだと考えられる。

 先の管賀江留郎の著書の中にも、かようなタイプの事件は見当たらない。したがって、管賀江留郎の発掘した膨大な資料のなかには現代にも妥当する事件はあろうが、だが労作にも拘らず、現在進行中の状況へはこの著書は妥当していない、と見なければならない。


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