07/03/22 01:06:18
ただ、時代や状況に関わりなく、思想の役回りとして、時代の課している困難や壁にぶちあたる、てのはあるはずじゃないか、て気もする。
飽食の時代には飽食の時代の、ハイテクの時代にはハイテクの時代の壁はあるはずなんで。そこを池田はみていたのか、て疑問はありますね。
社会の具体的な風景にも目をこらしていたはずで。でなきゃ時評なんて書けないはずだから。
しかし、闘っていた、て感はないですね。別に運動や活動でなくとも、知性の闘いとしてでも、それはない。
哲学エッセイストないし哲学案内人以上の役回りは担わない気でいたのかもしれない。その辺の物足りなさが俺にはありますね。