07/04/10 23:17:41
そもそも生物として、死ぬことが目的ではないだろ。
人間は考える能力を持っているだけ。そこを特別ととるか、その他地球上に生息する生物と同じととるかは勝手だけどね。
死ぬのは、生から死までの一本道の果てに“ある”だけ。「死にたい」ってのは、「逃げたい」ってことだろ。
目的と手段をはき違えさせると、死ぬ理由なんてそこら転がってるだろね。
現状から逃げ出せる方法を探すのを諦めるといけないんだと思うよ。
死ぬ以外で諦めるにはどうやったらいいかを探すとかさ。
皆普通は論理的に考える能力があるけど、その論理的な考え方に恐いものがあると思うよ。
たとえば、死にたい、自殺したいなんて気分のときに考えると、論理的思考の向かいどころも、
自分で都合のいいように発展させてしまうのが一般的じゃない? この場合だと、自殺する方向ね。
290氏の場合だと、考え方の出発点を「自分一人のためだけに死ぬもの」ってことになってるから、
「いきなり家族の目の前で死んでもいい」ってことが正当化できてしまう。
ほんと、論理的思考の恐いところだと思うよ。
考える能力を手に入れているってことは、こういう危険も孕んでいるってことだと思うんだな。
死ぬ理由を探してしまうってのは、そういう気分に過ぎないんだと思うよ。
単なる気分なんだよ。
んで、気分に左右されてあっさり(かどうかは知らないけど)死んじゃう人が多い。
でも、気分の問題なら、やがては過ぎ去るものだと思うんだけどね。
耐えるのも大切、そんな気分を誤魔化すのも大切だと思うね。
これはまぁ、個人的な考えなんだけどね。
「死ぬ」って結論を出す以外に、何かあるかもって探してみなよ。
もともとどうなるか分からないんだしさ、人生。
諦めたら、見つかるかも知れない可能性まで存在しないことになってしまうんだから。
ってなことでどーよ。