06/12/06 21:45:03
持論を聞いてください。ってか教えてください。
快楽と苦痛は真理とも言えるような絶対的なことだと思うがなぜ人間は
快楽と苦痛をもっと深く考えないのか?
人間の取る行動は、快を感じる為と苦を避ける為の二つに分かれる。
人間ではなくても生物ならば全てそうだ。
なぜか、生物は快楽と苦痛という感覚に支配されてきた。
しかし、この飴と鞭のように表現され、意味合いでは
生物を繁殖させやすくとか生存の為とか言われる、この飴ではなく
自分たち個体にとっては嫌な事このうえない『鞭(苦)』について、なぜ
もっと深く考えないのか?
生物は快楽だけを感じる仕組みでも生存や繁殖はできたと思う。
仮に、苦痛があった方が生存に適するとしても、では、一体、誰が・何が
どういう理由でどのような意味でどのような方法で
自分たち生物にこの『苦痛』という鞭・感覚を与えたのか?
生物が苦痛を感じるようになってるのは、一体なにが原因なのか?
もしも、物理法則のように宇宙ができて物質が動くのと同じように
当然の、絶対的なことだと言うなら、なぜその絶対的なことは決まったのか?
なぜ宇宙が出来てから生命に快楽だけではなく苦痛の感覚までもが
生まれてしまったのか。
この苦痛こそ、人生やら社会の様々な問題の根源的なことだと思いますが、なぜ、
人はもっと深く考えないのでしょうか?
いや、脳科学で解明されてると言う人もいるかもしれないが
それは脳のどこがどう動くと苦痛が発生するというシステムだけであって
そもそもの苦痛を発生させる根源的な部分は分かってない。
これはどうやって研究すればいいだろうか?もしも苦痛を意識的に消せる方法が分かれば
革命的なことだと思うんです。電気や文字や農耕の発明以上に。