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【薩長軍は強姦部隊】
会津では老女から4歳の子供に至るまで、阿賀川の以北で暴行されずに残った
者はほとんどいないと言われている。しかもその残虐行為は上からの指示による
とも伝えられている。薩長軍が会津城下に突入して制圧した際、明治天皇は兵士
に対し「会津はおまえたちのものだ」といい、3日間の祭りを許可した。
会津の女性のほとんどが薩長兵によりレイプされ、奥羽列藩同盟に届けられたもの
でも10万件を越えた。また暴行による自殺者は6000人を数えた。
(「カラーで見る戊辰戦争・勝利と絶望」1999年12月10日、NHK教育
放送)
明治天皇の息子の証言もこれを裏付ける証言をしている。それによると、
明治天皇は東北を荒廃させることを奨励し、それに喜びを感じていた。
官軍の残虐さを許すことで東北の嫌悪を買い、親しくなることで堕落しないように
しむけた、といった複雑性を含んでいたという。