09/03/03 08:27:55
>>567
それはさすがに言いすぎじゃないかな?
せめて実践の一部、ぐらいじゃね?
エンジンかけて直進は出来てもそれで車運転できるとはいわんだろ。
まあ、レスの文意を汲めば多分わかった上で書いてるんだろうけど
伝習録のかなりの部分が格物致知と致良知の比較、解説を骨子としてる以上、
特にある程度の朱子学的な解釈に基づく孟子とかは前提的な理解として求められるし、
その辺の流れを消化した上じゃないと
陸象山の心即理が引っ張り出されてくることに説得力がない。
多分、このへんから天理を存し人欲を去る感じの実践的側面とつながると思う。
ただまあ、1900~1910年代生まれの士官学校卒なら
未だその辺の基礎教養はけっこうあったろうし
気分的には敢えて吉田松陰あたりから入って
大塩の洗心洞箚記でもうお腹いっぱいじゃないかな。