09/10/05 15:41:35
もしおまいらが本物のラテン語専門家なら、年から年中注釈書と首っ引きで
古典作家を読んでいるだろうから、そのあたりの文献学的な話題で俺が敵う
訳は無い。
俺はいろんな古典作家の校訂本やら注釈書を揃えて、一つ一つ読んでる暇は
無いから、逆におまえらがそれらを精査して気付いたことを書いたり、また
出題してレスを待てばいいだろ。
俺は比較言語学の立場から気付いたことがあればレスするさ。
ここはラテン語学習者が文法書とか注釈書を読んでて、分からないこと、不明な
ことを質問するだけのためのスレか? そんなんでしょっちゅう過疎るんなら、
質問はそれ専用スレ↓でやればいいだけで、わざわざ二つも重複スレ立てんなよ!
スレリンク(gogaku板)l50
ラテン語で amabam, amabo がそれぞれ過去と未来という、現代人の言語意識から
すれば正反対の時制を表す語形であるのに、なぜ -b- という共通の要素を
もっているのか、考えられることを述べよ。
人称語尾は異なっているが、正反対の時制なのに語幹末に -b- という要素を
共有していればその分紛らわしくなって、明晰性が損なわれるのではないかと考える
のはごく普通だろ。その辺の矛盾点を説明してみ。
これは純粋にラテン語の話題だぜ。もう逃げ回る言い訳は無いはずだから、
回答できるならやってみそ。