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仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教など、い ずれの宗教も
平和や救いを教えている。一方いずれの宗教も、人智をはるかに超える超越者
への絶対的信 頼、または普遍的真理への絶対的確信をその信仰の基礎としている。
この宗教に帰依すれば、自分は本当に救われると確信するから、人はある特定の宗教を持つのである。
宗教のもつこの絶対性は、個人の心のなかに信仰として収まっているかぎり、
宗教は外界と争いを起こさない。それどころか、その帰依する超越者への感謝報恩
のしるしに、しばしば宗教はその信徒 を他人への慈悲や慈善という行為へ個人を
駆り立て、宗教は社会的徳として人々から称賛をうける。
ところが、他の宗教や類似の思想活動と対抗する局面に遭遇する と、宗教はおのれの
絶対性を信じるがゆえに、一転して自己の優位 性を主張し、排他的となり、
ときには闘争をも辞さなくなる。
これは、教義や思想の対決論争だけで終わる場合もあれば、長期間にわたって互いに
自己の正当を主張し、相手を不当とする非難応酬に発展する場合もある。
たとえば、宗教改革におけるルターとローマ教皇庁の対立がこの例である。
こうした宗教対立は、一神教のユダヤ、キリスト、イスラムの世界での出来事であって、
日本のように八百万神の存在を認 める多神教の風土にはないという人がいる。
だが、そうではない。 法華経信仰を提唱した日蓮は真っ向から仏教の他宗派の
教義を否定し、彼の教えのみの正統性と優位性を説いた。