06/05/18 23:07:00
>>480 >鏡像を己れの姿であるとは認めたがらず、それを自分と異質な外的現実の一部分と見放すであろう。
この種の「己れとの対話」が「時代のトレンド」でもある事は「ゲド戦記」が
ジブリ最新作として7月に公開される事からも明らかではあるまいか
「ウイークリー時評 宇野重規(しげき)」 ~読売新聞5月17日(水)
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「ゲド戦記」■自由とは、実に重い荷物である
ファンタジー文学として有名なル=グウィンの『ゲド戦記』が、今度アニメ
映画になるという。子供ばかりでなく大人にも多くの熱烈なファンを持つ
この原作が、どのように映像化されるのか楽しみである。
私自身、かつてこのシリーズの第1巻『影との戦い』を読んだ記憶がある。
~魔法そのものと言うよりも、自尊心と不安によって思い悩み、他者への
信頼と猜疑(さいぎ)心の間で揺れる、何処にでもいる若者の心理により
大きな比重が置かれている。
何より恐ろしい闇は自らの内面にあるという結末には、強い印象を受けた。
~最終的にゲドは魔法の力を失ってしまう。魔法を使って敵をバタバタと
投げ飛ばすようなシーンは無く、むしろゲドは悩んで塞ぎ込み、疲労
困憊(こんぱい)し、無力な姿ばかり見せる。それでもゲドは立ち上がり、
自分の老いや無力さに立ち向かうと共に、より若い世代に語り掛け、彼らの
自己解放の苦闘を支える。それも年長者として教えを説くのでは無く、同じく
苦しみ悩む人間としての優しさと厳しさを示す事によって。
こんなセリフが印象に残った。「自由は、それを担おうとする者にとって、
実に重い荷物である。(中略)それは、決して気楽なものでは無い。自由は
与えられるものでは無くて、選択すべきものであり、しかもその選択は、
必ずしも容易なものでは無いのだ」(清水真砂子訳)
この本は老若男女を問わず、人に自由である為の覚悟を促し、それを
励ます本である。同時にこの本は、人が自由である事によってむしろ、
社会への感覚を取り戻す可能性がある
という事も示している。 (東京大学助教授・政治哲学)