10/11/02 20:29:29 0
週刊現代 1989.9.16
ニュープリンセス川嶋紀子さん「22年間の履歴書」
しかし、日本語のまったく話せなかった紀子さんが、3年後に学習院初等科に編入す
るころになると、まるでちがった少女に成長していたのである。
「ええ、4年生からの編入でしたが、応募者100人くらいのうちから試験に通ったのはた
ったの3人。むろん成績は優秀でしたよ。とくに作文力のすぐれた生徒でした。彼女の印
象といえば、とにかく優等生だったということ。衣服のたたみ方も机の中の整理も几帳面
でキチンとしてましてね、いつもニコニコと愛くるしい人でしたね」
そう語っているのは、紀子さんを4年生の1学期から5年生の1学期まで担任した学習院
初等科の上野修示先生だ。
そして、学習院初等科の5年1学期をすますと、紀子さんはこんどは両親と一緒にオー
ストラリアのウィーンへ行くことになる。父親の辰彦さんが、ウィーン郊外のラクセンバー
ク研究所の主任研究員に招かれたからだ。
そして約2年後の昭和54年9月、帰国して学習院女子中等科へ―。
その中学校時代からの同級生の橋本雅代さんは、紀子さんの印象を「とにかく優しい
人」の一語につきるといっている。
「それとね、何にでも一生懸命に打ち込む人なんです。中1のとき一緒にテニスをやるこ
とになり、『私、あまりうまくないの』といっていたのに、高等科では院内スポーツ大会の
ダブルスで優勝してしまうんですから。紀子ちゃんなら皇室に入っても絶対に大丈夫、う
まくやると思いますよ」