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1.湯浅元宮内庁長官(自治省事務次官ー自治総合センター理事長ー
地域総合整備財団理事長ー宮内庁と渡り鳥)は、
雅子妃の心の病気は、外交官的な仕事をさせてあげなかったからではないかとの質問に
「先任の鎌倉長官(警視総監ー三菱銀行顧問ー日本自動車連盟会長ー宮内庁と渡り鳥)も、
海外訪問を抑えた。お世継ぎ優先で」 と応えている。
猪瀬氏は「子どもを授かることは、どこででもできるのに」と官僚の頭のありようを疑う・・・。
2.平成11年12月10日付けの新聞に「懐妊の兆候」と書かれたが、流産だった。
この時、ベルギー皇太子の結婚式があり、12月3日に出発、7日に帰国された。
妊娠の兆候は、ベルギー訪問前だったとされる。
宮内庁は大事を取るべきだったが、相手国への約束違反になることを恐れ、
雅子妃の体調より自分たちの体面を優先した。
3.この苦い体験が、雅子妃を重い適応障害に追い込んだ。
適応障害は怠け者と誤解され、雅子妃バッシングは激しくなった。