11/02/11 02:20:28 teiTQsme
>>325
珍奇事務所社長
日本でなかなか自社の歌手が売れない時スピードや安室が全盛期
それ意識してアフターズスクールみたいに小学生のBoA拾って育てた感じ
>1998年、SMは韓国の同業他社に先んじて、設立以来の目標であった海外進出を開始する。
>最初の進出先は日本で、スカイプランニングと提携を結びS.E.S.をJ-POP歌手としてデビューさせた。
>しかし、これは失敗に終わり、日本ではヒットさせるまでに時間が掛かることを痛感させられたイ・スマンは、
>その期間を逆算して次はもっと若い歌手を送り込もうと社運を賭けたプロジェクトを起こす。
>イ・スマンは、この計画のためにスカウトしたまだ小学生のBoAをホリプロの力も借りながら約2年かけて
>「日本の歌手」に育成する。そして、海外進出の中で障害になっていた信用力のなさを解消するため、
>当時エイベックスの会長兼社長を務めていた依田巽からのアドバイスを受けて、SMを韓国の芸能関連企業としては
>初めてコスダックに上場させたり、吉本興業やエイベックスと共同で日本での活動拠点「SMジャパン」を設立した