10/12/04 13:12:33 jTKbv5cH0
アンチの皆さんはオペレーショナリズム的見地より
西尾の文学性をどうにか解析しようと注力していますが、
そもそもプラグマティズム的な描写性をシニカルに引用的に用いて
どこか放棄的に使用する西尾文学において、
上記のような努力はそもそも本質的に不毛であり、
またその行為には既に徹底した表層性を孕んでいる危険を
自覚する必要があるといえるだろう。
トポロジカルにいうと、確かに西尾文学には矛盾を含んでいるといえるが、
それはトートロジー的なメタ要素としての記号的引用にすぎず、
それを抽出して指摘することは、意義のない行為であるばかりか
西尾が表層部分のサーフェスに仕込んだトラップに
まんまとのせられて哀れにも踊ってしまっているという
アイロニカルな景色のみがあるわけである。