10/11/30 17:28:45 MTsOfbNd0
西尾文学の真骨頂とは様々な異なる解釈レイヤーが重層的に構築されていることである。
またさらに読み解いていくと、それらの構築されたレイヤー群が脱構築している様子が伺える。
そもそもジャンプ(少年漫画)とは、静止的な構造を前提とし、
それを想起的に発見しうることを前提としていた。
つまり、“友情”“努力”“勝利”という伝統的ドグマに対して
想起的な発見の繰り返しが前提としてある。
だが西尾の場合、遅れてきたポストモダンともいうべきだろうか、
この少年漫画的ドグマ(≒命題)に対して、批評的・疑問的に向き合い、
つねに古い構造を破壊し、新たな構造を生成している状況である。
また、常に脱構築が繰り返される西尾文学は不定形であり、
常に新しい意義を求めて彷徨っているともいえるだろう。
すなわち、各解釈レイヤーで隠されミミックになっている状況こそが
非常にクリエイティブかつアヴァンギャルドであると同時に
躍動的でライブ感あふれた即興性をも含んでいるといえる。