11/10/31 18:54:44.42
同和の血が・・・
「噂の眞相」1993年6月号
小和田雅子の母方である江頭家のルーツは当時賎民だった水軍との噂が
エッタの血が・・・
村上水軍の軍勢は、木津川の「えっ田が城」より出撃してきたと記さ
れている。当時「えた」と呼ばれた下層の民衆の住んでた河岸に上陸
して、石山本願寺に兵糧を運び込むことに成功した。穢多崎とも書か
れているが、西木津川と尻無川の分かれるあたりだ。
ここで「えた」とされている人びとは河原者であろう。彼らがどの
ような仕事で生計を立てていたのか明らかではないが、皮革や土木、
漁猟や運送などにも従事していた海の民・川の民であったとおもわれ
る。この河口に住んでいた「えた」と呼ばれた中世賎民も、浄土真宗
の熱心な門徒だったから、水軍の上陸を手引きしたのであろう。
沖浦和光「瀬戸内の民俗誌」より