11/08/06 22:39:22.34
>>18 つづき 週刊新潮 8月11・18日夏季特大号 要約
主にアンチ東宮が書いてなかった部分を補足。
・宮邸増改築の時、工事が始まった98年頃、紀子はたびたび用度課の職員を呼び
応接セットの配置やカーテンの色をどうするか指示を出していた。
・08年1月26日、インドネシア外遊を終えて帰国した翌日、悠仁が庭で遊んでいて
唇を4針縫うケガをした。
・「悠仁さまは愛育病院まで緊急搬送され、およそ2週間後にTBSのニュースで
報道されてしまいました。
その直後、紀子は警備を担当する警視庁警備部警衛課の警察官らに対し、
『 あなた方から情報が洩れてしまったのではありませんか 』 と
直接に強いご懸念を表されたのです」 (古参職員)
・菊池さんのあと、宮家における重要ポストが実質1年半近く「空位」だった。
・その後を継いだ職員の女性は、昭和天皇の侍従職、その後は皇太后職などを
歴任してきたプロパー職員。その経験を買われて抜擢されたが、当初は固辞していた。
上司が「2年でもどすから」と必死に説得し、宮廷に入った。(宮内庁関係者)