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昭和天皇は昭和26年(1951年)5月17日に貞明皇后の崩御(大葬)から2ヵ月たらずの
7月11日、田島宮内庁長官に命じて順宮厚子内親王と池田隆政との婚約が内定した旨を
自らの裁可で公式に発表させているのに対し、礼宮の場合では昭和天皇崩御から8ヵ月後
に皇室会議の決定として発表されており、先例があるため問題はないと宮内庁関係者は
語った[15]。
なお、貞明皇后の崩御の際、昭和天皇の服喪期間は1年。順宮厚子内親王は150日間であった。
アンチ秋篠宮はよく昭和天皇の服喪中に婚約会見した云々と難癖つけるけど、前例もあって問題なかったんだね。
よく覚えておこう。