11/07/13 16:28:09.20
510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/13(水) 13:22:10.04
お爺ちゃまは悪くない!?
URLリンク(itabasi.exblog.jp)
「江頭氏は社長といっても、水俣病が発生したあとに日本興業銀行から派遣さ
れた方。公害病発生とは無関係で、責任はない」
たしかに水俣病の発生が確認されるようになったのは一九五六年ごろからで、
江頭氏が日本興業銀行からチッソの専務となったのは、それから六年後の一九
六二年のことだった。二年後の一九六四年には副社長、同年暮れには社長となっ
た。
けれども、江頭氏が経営権を握ってからも、チッソは自分たちの工場排水の
なかの有機水銀が水俣病の原因であることを認めようとせず、患者との交渉も
いっさいもとうとしなかった。それどころか一九六六年まで、水俣湾に水銀を
たれ流しつづけたのである。当然そのあいだに、水俣病患者は大量発生するこ
とになった。
ご成婚より二年前の一九九一年一月三十一日の段階で、水俣病患者と認定さ
れなかった人は一万千二百八十一名、認定された人は二千二百四十二名、認定
を待つ人は二千八百九十名だった。それまでにも、多くの患者たちの生命が消
えていった。公害病としては、世界に類例をみない規模にまで拡大していった