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393 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2010/12/09(木) 08:19:49 ID:Mb1bq+sg0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
週刊文春2010.12.16号
ご静養からはや7年 深層レポート 雅子さまはなぜ治らないのか/友納尚子
4頁の記事
・雅子妃のお誕生日前の野村東宮大夫による定例会見では、宮内庁詰め記者から
痺れを切らしたような質問が浴びせられた。主治医の大野医師についても、苛立ちの声が上がった。
・実は、今年の初めあたりまで昨年と比較すると大きなご回復ぶりがみられ、雅子妃の完全復帰が近いのではないかと周囲では期待されていた。
・だが、3月に入ると雅子妃の心に大きく影を落とす事態が発覚。
・愛子内親王の「不登校問題」である。
・雅子妃はそれまで腹痛を訴えたり、
「給食を残してしまうと悪いから」などと言って学校に行きたがらない愛子さまに
「行きなさい、行きなさい」と背中を押してきた。
・それは、学校で愛子さまが下駄箱に頭を突っ込まれそうになったり、
首を絞められそうになったり、乱暴を受けていたことを知らなかったからだ。
・ましてや、同級生の児童から、雅子妃のことを「税金泥棒」と悪口を言われたことで、
愛子さまがご病気の母親を想って深く傷ついていたとは予測もつかなかった。
・いわゆる「不登校会見」で批判に晒された野村東宮大夫も、発表すべきか悩んだという。
皇族という立場上、なぜ欠席が続くのか公表しなくてはならないだろうが、
会見で発表すれば騒ぎになることは明らかだったからだ。
・数日後にガーナ、ケニアを訪問する予定だった皇太子と打ち合わせをしていた際、
東宮大夫がご相談を申し上げたという。
・皇太子は、乱暴をした児童に十分に配慮をするように求めた上で発表することを了解。
・しかし、雅子妃は皇太子から会見で公表することを聞いて戸惑われていた。
・一部報道では、雅子妃は公表することに積極的だったというものがあったが事実は違っていた。
・皇太子夫妻は何度も話し合われ、最終的には「公人というお立場の責任」と
「事実を伝えないことで、かえってネジ曲がって伝わったり、批判されたとき、
愛子さまがより傷つくことになりかねない」という二点を重く考えられたという。
続きます。