10/09/12 16:17:41
>>237
*推古天皇エピソード
推古天皇32年(624年)、馬子が葛城県(馬子の本居(ウブスナ)とされる)の
支配権を望んだ時、女帝は、
「あなたは私の叔父ではあるが、だからといって、
公の土地を私人に譲ってしまっては、後世から愚かな女と評され、
あなたもまた不忠だと謗られよう」
と言って、この要求を拒絶したという。
このように、公正な女帝の治世のもと、聖徳太子はその才能を十分に発揮し、
冠位十二階(603年)・十七条憲法(604年)を次々に制定して、法令・組織の整備を進めた。