【昭和40年代】玉の海ってどれぐらい強かったの?at SUMOU
【昭和40年代】玉の海ってどれぐらい強かったの? - 暇つぶし2ch780:待った名無しさん
10/03/19 00:00:04 0
玉の海が急死したときの大相撲の特集が「貴ノ花が横綱になれるか」
だった。協会はその折に琴桜は頭になかった。しかし47年には空前の
混乱が続き、北の富士が漸く復帰したところで次の体制を考えたの
だろう。まともに取れば琴桜が地力ナンバー1だったことは誰もが
知っていた。ただ闇雲に突っ込むのでちょっとした変化技を簡単に
喰らっていた。それで迷いが出て勝てる相手にも勝てなくなったと
いうのが「迷える猛牛」(47年秋時点)の現状だった。故障も癒え、
相手がまともに取ってくれれば確かに強かっただろう。横綱昇進後
の左喉輪右おっつけは、48年春千秋楽と48年名古屋千秋楽くらいしか
記憶にない。横綱になってからは妙にせせこましい取り口に変わって
いたよ。48年名古屋も左に変わって上手を取るというせこい取り口。

何れにしても年下の玉の海に14連敗で歯が立たない状態で横綱になった
と思う方が不自然。成績も44年春の優勝以降は11勝止まり。あり得ない。

輪島を横綱って?何を言っているのか分からんな。当時のことを全く
覚えていないか生きていないかだな。将来の貴輪時代が期待されていた
段階で、急に無敵になったらおかしいだろう。双葉山じゃあるまいし。
輪島が大関4場所で通過した折でも大鵬が5場所もかかったのにと驚く
報道が多かったのに。あり得ないよ。


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